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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    久し振りの中野「廣」の会 

    JT

    2月は、とにかく風邪をひかないように(脊髄を病んで以来、いちど患うと尾を引いて大変なことになるのは判っている)、ひたすら静かに、おとなしく、こっそりと過ごしていた。

    そんな暮らしでも、例えばこの時期に最高においしくなるほうれん草を食して楽しんだり、毎朝決まって訪ねてくるヒヨドリや小鳥たちに食パンをやったりして、何とか時の過ぎるのを待っていたということだ。

    でも昨2月28日夜、久し振りに中野「廣」の会が催されることになり、午後から東京に出た。
    池袋から高田馬場、東西線に乗り換えて2つ目の駅が中野である。新宿周りではなく、このルートなら意外に近いのだ。

    会は6時から。いつものように2Fのソファールームのテーブルには、ママさん手作りの各種大皿料理が並び、生ビールから日本酒、焼酎まで飲み放題。優駿4代目編集長だった故福田喜久男を知る競馬会OBや、現「優駿」担当責任者のYさんまで、それにいつもの優駿招待メンバーが揃って、合計10人ほどの会となった。出世の階段を昇るTさんも私用が早くに終わって駆けつけてくれた。

    それからのことは、話すまでもない。和気あいあいの雰囲気の中で、互いの会話も酒量も弾み、皆が赤ら顔で楽しく過ごした。

    ついでに次は7月下旬に開催と性懲りもなく話が決まった8時45分ごろ、私は池袋発9時半のレッドアローに乗るために後ろ髪を引かれるようにひとり先に店を出た。10時半のレッドアローでも帰り着くのだが、これは直通ではなく飯能止まりで、そこから各駅に乗り換えねばならず、念のため風邪をひかないように自制心を発揮せざるを得なかったのだ。

    まあ、しょうがない。この季節、朝まで東京の裏町を放蕩する元気もないし、2日前の中山記念ではデムーロ・ネオリアリズムではなくルメール・アンビシャスから流して余分な小遣いも失くしていたのだから。フェブラリーSをデムーロが勝ったのだから、今度はルメールの番だと思い込んだのが失敗だった。せっかくアンビシャスに乗らない横山典には少しだけ着目していたのだが、それも後の祭りで・・・。でも、美味しい雰囲気と料理だったからヤケ酒ではありませんでした、ハイ。

    11時には家に帰り着いて、改めて皆さんの楽しい笑顔を想い出しながら、ベッドに入ったが、何故かなかなか寝付けなかったのは、どうしてなのかは判らない。判らないから考えていると、余計に寝付けなくなって、結局、空が明るくなるまで寝返りを繰り返していた。
    これもまた今日を生きるということなのだろう。





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    ペインクリニック~医師小沢みどりのこと 

    s322205_1.gifHOSPEX Japan 2015 HPより

    1962年東大医学部麻酔科に、若杉文吉医師の手によって初めて創設されたのが、ペインクリニックという医療ジャンルだった。

    ペインクリニックというのは、簡略に言うと、「肉体に痛みがある場合、局所麻酔薬によって必要な部位で神経回路をブロックして、神経レヴェルでの痛みの循環を断つことで、炎症を抑え血行を良くして、人間の自然治癒力を効果的に促進させようとする治療である」

    レントゲン透視をしながら、麻酔剤を打ち、次に神経部位に達するように見るからに太く長い注射を施すから、一度でも効果を実感しないと思わず恐怖感すら抱いてしまう。施術後には、麻酔が効いているからベッド上で2,3時間は安静にする必要もある。

    若杉医師は、その後関東逓信病院ペインクリニック科部長を経て、慈恵医大の教授に迎えられ、その教えは、新潟大医学部出身の慈恵医大教授湯田康正医師に継がれ、この二人が日本のペインクリニック治療の第1世代を担った。

    東大医学部出身の小沢みどりは、この二人の先駆者から学んだ第2世代のトップ医師となり、慈恵医大から、小岩の病院を経て、本郷に自らのペインクリニック診療所を立ち上げ、毎日数十人の患者に精力的に治療を行っていた。

    私自身も、小沢みどりが作家山野浩一のつれ合いとなってから運良く出会いを得て、言わば「患者としての追っかけ」を務めてもいたのである。第7胸椎の異常を手術してくれたのが、日本の整形外科学会に君臨する東大医学部出身で当時虎の門病院にいた立花新太郎医師であり、この立花医師がかつては同輩が経営していた小岩の病院で週末の土曜だけ診療を担当していたのだが、そこに小沢みどり自身もいた縁もあって、整形外科的治療を終えて以後、まだまだ様々な身体の異常に悩んでいた私を、ペインクリニック患者として引き受けてくれたのである。

    筋肉の麻痺や痙攣、知覚異常・・・挙げればきりがないほどの症状を抱えた私に、今があるのも、14時間の外科的手術によって相当程度の改善を施してくれた立花医師と、それでも残った症状の緩和に努力してくれたのが小沢みどりだったということである。

    その小沢みどりが、久々の休暇を取ってオーストラリア旅行をする寸前の10年前の夏、ひとり自分の診療所に向かう途中の吉祥寺駅で倒れたのである。このとき小沢みどりの脳には血栓によって酸素を供給することができなくなっていた。救急車で運ばれた病院では、実はもうほとんど処置ができないと判断されもした。

    しかし山野浩一の看病や看護に関わる多くの人たちのケアを受けながら、何とか自力で食べ物を飲み込めるまでになり、その後10年の間、脳の破壊はあっても、生き延びてきたのである。

    小沢みどりの本郷の診療所は、学生時代の麻雀友達だった今や著名の弁護士永沢徹が、後見して後始末を引き受けてくれたことも幸いした。診療所には、高額なリース契約による医療機器が取り揃えられていて、契約解除することも、永沢徹弁護士の手腕がなかったらできない相談だったのである。

    昨日2月12日。住まい近くの八王子京王プラザ4Fで、晴れて生き残った小沢みどりの還暦を祝う会が催された。

    集ったのはおよそ50人。永沢徹弁護士もいたし、元患者であったJRA前理事長や社台RHの吉田晴哉追分ファーム代表もいた。
    同じテーブルで隣り合わせたローマ史の東大名誉教授本村凌二も元患者だった。

    宴の終わり頃、私は車いすの小沢みどりに近寄って、
    「みどり先生、鶴木ですよ。お久しぶりです」
    と肩に手を置いて声を掛けた。そのとき小沢みどりは、かつてはペインクリニックの神の手でもあり、今は細く小さくなった手で、そっと手を握り返してくれた。
    あれと思って思わず顔を覗き込んだが、その後は目を伏せるような表情で、小さく顎を揺すったままだった。

    どうしたんだろうと横を見ると、ケアをしている女性が、「それはどこかで判っているという反応なんです」と説明してくれた。

    その言葉こそ、今日、生まれて初めて八高線に乗って、ここに来て良かったと、心の底からそう思えた瞬間となった。






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    2017 元旦 ~明けましておめでとうございます 



    2017年 元旦。酉年です。明けましておめでとうございます。

    もうひとつ齢を重ねられたことを、お喜び申し上げます。

    愚人長寿、美人薄命、厚顔無恥・・・などと、世の中にはいろんな言葉がありますが、はっきりとして言えることは、世に粗末にしていい命はありません。昨2016年は、国の内外で、尊い命を粗末にする動きが続いていました。無念です。

    しかし、驕れる者久しからず。蟻の一穴で奮闘すべく、またこの1年を過ごしていきたいと祈念しております。
    本年もよろしくお願いします。
                        DSCN2368.jpg





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    さてさて鮨でもつまもうか 

    先週の初めに左下奥の「親知らず」を抜いたのだが、この歯がなかなか土台がしっかりした歯だったので、いまだに歯茎に大きな穴が開いていて塞がらず、少しばかり痛みもあり、何を食べても力強く噛めないのであまりおいしくもない。

    さてさて、こんなときにはどうするかと考えてみた。

    ならば、バーチャルで鮨でもつまんでみようかと考えて、画像を検索して並べてみた。(悪意なくランダムに好みのおいしそうな写真を使わせていただきます。お許しあれ)

    さあ、老舗の鮨屋「鶴鮨」の開店準備が整いました。
    「へぇ、いらっしゃい!」と、元気で景気のいい声に迎えられてカウンターに座り、とりあえず酒とつまみのお刺身で胃を和ませる。

    そして握りを注文する。
    私の場合は、こんな順番にだ。種類を楽しみたいので1貫づつ。

    季節にもよるが、貝から入る。初夏から夏がおいしい。
    akagai赤貝  aoyagi.jpg青柳  torigai.jpgトリ貝  nihamaguri.jpg煮蛤    
    次に、
    ika.jpg烏賊   madako.jpg真蛸  saba.jpg鯖  
    そして
    kohada.jpg小肌  kohada sinnko勿論初夏からはしんこ  

    madai.jpg真鯛は塩で  kurumaebi.jpg車蝦  uni ikura貪欲に雲丹・イクラ


    まだまだいける。
    aoriika gesoアオリ烏賊のゲソも乙だ  anago2.jpg穴子は我慢しない
    buri harami鰤の腹身  ootoro.jpg鮪大トロ  maguro akami鮪赤身    

    そして締めには、
    tamagoyaki.jpg卵焼き  kannpyoumaki.jpg山葵を利かせた干瓢巻
      
    いやいや、ここまで食べたら満腹だ。お腹の中も水族館!

    でもバーチャルだから「鶴鮨」へのお勘定はなし。

    ああ食べたいなと喉がゴクリと鳴るが、痛みの残る歯茎の大穴に舌先が当たると、我慢も聞く。

    早く治して、本物の鮨屋に駆けつけたい気分。
    でも、こうやって好きなものを並べてみるだけでも、それなりの満腹感が沸いて満足できるのが不思議だと発見した。

    たまにはこんな遊びもやってみるものだ・・・。
    (使わせていただいた写真に感謝であります)












       



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    時が流れて行く 

    DSCN0506.jpg時間がはっきりと刻まれた年輪


    時が、止まることもなく刻々と流れて行く。

    何と慌ただしいことかと戸惑いすら覚えるが、ちょっとわき道に外れて生きる我が身としては、この1週間わずかに原稿用紙5枚にも満たぬ文字を埋めただけで、ただただ時の流れの傍観者として過ごすだけだ。

    秋の古馬戦線の重要な前哨戦となる東京の毎日王冠や京都の京都大賞典を見守っていても、勝ち馬ルージュバックやキタサンブラックの姿を、おおそうかと眺めるように見ただけで、気を高めて時の流れの当事者となるにも、やはりそれなりの資本を用意して、からまなければならないのかも知れない。

    そう言えば、京都大賞典のパドックで、人気薄で2着となったアドマイヤデウスの厩務員さんが、スーツ姿の盛装で馬を引いていた様子にかなりの勝負気配を感じたが、まあいいかと傍観者のままレースの瞬間を迎えてしまった。ちょっと残念・・・。

    その後に、東京都内大規模停電のニュースを知り、過度の1局集中の怖さを改めて確かめた。何事もない時の現代都市は、もし何か起こったなら即座に悲惨都市に変貌してしまうのだ。何かあったらこうなるという悲惨な事例は、今も福島原発周囲の状況で思い知らされているはずなのに、やはり当事者ではない対岸の出来事(自分は大丈夫)としてしか解釈してはいない多くの人々がいるのだろう。そう言えば、南スーダンへの自衛隊派遣も、その派遣の根拠となる法の整合性のためだけに、内戦状態を「衝突」と言い抜けるのも、虚言の卑しささえ感じてしまう態度としか言えない。いつからか、現代は、かくも脆い砂上の楼閣の姿を見せるようになっている。都市も人もである。

    と、そんな折、突如将棋界から、竜王戦挑戦者だった三浦弘之九段の挑戦権剥奪、12月31日までの棋戦出場停止が発表された。対局中のスマホ利用による将棋ソフトカンニング疑惑が背景にあるという。
    もし勝負師たるA級棋士に、崇高な棋士道や棋士魂への思いがあるなら、自己否定となる内緒のソフト利用など自らに許さないだろう。そうではなく、やった事実が何らかの方法で判明しているというなら、勝負の場での手段を選ばぬ卑劣な行為は、2か月半の出場停止や挑戦権剥奪だけでは済まない(おそらく連盟除名や引退に追い込まれる)事態なのではないか?
    何となく中途半端な決着で、ああそいうことなのかとファンが納得できるものではなく、曖昧さがつきまとっている。

    9月末になってからの、唐突な対局中のスマホ持ち込み禁止や会館からの外出禁止令の通達などに、なんで今さらと奇妙な違和感を覚えたが、それもこの発表への伏線だったようだ。
    竜王戦の挑戦権剥奪という決定からしてみると、裁く連盟常務会側の根拠は、7月からの対郷田・久保戦の決勝トーナメント、そして8月15・26日、9月8日の挑戦者決定3番勝負に(あるいはその内のいくつかに)疑惑があり、このままでは連盟のスポンサーやファンへの責任が果たせないということだろうが、査問委員会となった常務会からわずか1日にも満たない時間内に、「休場届を出せ、さもなくば・・」というのは、社会常識的にどうなのか?午後3時の締め切り時刻に届けがなかったことを理由に、午後7時過ぎに連盟の裁きを発表したが、組織が個人を裁くには、原因・起因する事由やその根拠等が正しく列挙されることが必要なのではないか?期限までに休場届けがなかったとか、このまま疑いを持たれたままでは対局できないと本人が言ったという理由では、ニュースを聞いたファンとしては何となく曖昧模糊として逆にイライラしてしまう。あるいは、もし武士の情け・温情という視線が連盟側にあるとしたら、それもまた曖昧さの原因だろう。
    すべてを明確にしておかねば、この問題は、今後長く多くの波紋を呼ぶ事態となることだろう・・・。

    そして昨夜。ノーベル文学賞発表。
    いや、選考者のセンスの良さに、思わず感嘆の声をあげてしまった。
    「今年のノーベル文学賞受賞者は、ボブ・ディラン」
    この言葉に、最初に衝撃的な驚きを覚え、ひと間置いてからは、素晴らしい選択と納得した。
    売らんかなの商業主義とは無縁に、底辺に流れる時代の声、時代の波を掬い取り、唄い続けて50有余年。
    ディラン流の本物のスター像を創り上げもした。影響されたミュージシャンは世界に広がっている。
    歌詞そのものが文学と成り得ると証明した今回の受賞である。
    こんな私でさえ、愛唱する唄は、ディランの「I shall be reliesed」

    ついでだから大塚まさじ訳の3番の歌詞の一部をを載せておこうか。
             ♪ 男らしいッて  わかるかい
                ピエロや臆病者のことさ
                オレには聞こえるんだ  かれらの
               泣き叫ぶような 声が・・・

               朝日は もう昇るよ 少しづつだけどね
               そのとき その日こそ  
               自由に  なるんだ・・・  ♪

    今日も明日も明後日も、そしてこれからもずっと、風の流れに身を任せて、何があっても、希望を捨てない力を得たようなディランのノーベル文学賞受賞だった。





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