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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    時が流れて行く 

    DSCN0506.jpg時間がはっきりと刻まれた年輪


    時が、止まることもなく刻々と流れて行く。

    何と慌ただしいことかと戸惑いすら覚えるが、ちょっとわき道に外れて生きる我が身としては、この1週間わずかに原稿用紙5枚にも満たぬ文字を埋めただけで、ただただ時の流れの傍観者として過ごすだけだ。

    秋の古馬戦線の重要な前哨戦となる東京の毎日王冠や京都の京都大賞典を見守っていても、勝ち馬ルージュバックやキタサンブラックの姿を、おおそうかと眺めるように見ただけで、気を高めて時の流れの当事者となるにも、やはりそれなりの資本を用意して、からまなければならないのかも知れない。

    そう言えば、京都大賞典のパドックで、人気薄で2着となったアドマイヤデウスの厩務員さんが、スーツ姿の盛装で馬を引いていた様子にかなりの勝負気配を感じたが、まあいいかと傍観者のままレースの瞬間を迎えてしまった。ちょっと残念・・・。

    その後に、東京都内大規模停電のニュースを知り、過度の1局集中の怖さを改めて確かめた。何事もない時の現代都市は、もし何か起こったなら即座に悲惨都市に変貌してしまうのだ。何かあったらこうなるという悲惨な事例は、今も福島原発周囲の状況で思い知らされているはずなのに、やはり当事者ではない対岸の出来事(自分は大丈夫)としてしか解釈してはいない多くの人々がいるのだろう。そう言えば、南スーダンへの自衛隊派遣も、その派遣の根拠となる法の整合性のためだけに、内戦状態を「衝突」と言い抜けるのも、虚言の卑しささえ感じてしまう態度としか言えない。いつからか、現代は、かくも脆い砂上の楼閣の姿を見せるようになっている。都市も人もである。

    と、そんな折、突如将棋界から、竜王戦挑戦者だった三浦弘之九段の挑戦権剥奪、12月31日までの棋戦出場停止が発表された。対局中のスマホ利用による将棋ソフトカンニング疑惑が背景にあるという。
    もし勝負師たるA級棋士に、崇高な棋士道や棋士魂への思いがあるなら、自己否定となる内緒のソフト利用など自らに許さないだろう。そうではなく、やった事実が何らかの方法で判明しているというなら、勝負の場での手段を選ばぬ卑劣な行為は、2か月半の出場停止や挑戦権剥奪だけでは済まない(おそらく連盟除名や引退に追い込まれる)事態なのではないか?
    何となく中途半端な決着で、ああそいうことなのかとファンが納得できるものではなく、曖昧さがつきまとっている。

    9月末になってからの、唐突な対局中のスマホ持ち込み禁止や会館からの外出禁止令の通達などに、なんで今さらと奇妙な違和感を覚えたが、それもこの発表への伏線だったようだ。
    竜王戦の挑戦権剥奪という決定からしてみると、裁く連盟常務会側の根拠は、7月からの対郷田・久保戦の決勝トーナメント、そして8月15・26日、9月8日の挑戦者決定3番勝負に(あるいはその内のいくつかに)疑惑があり、このままでは連盟のスポンサーやファンへの責任が果たせないということだろうが、査問委員会となった常務会からわずか1日にも満たない時間内に、「休場届を出せ、さもなくば・・」というのは、社会常識的にどうなのか?午後3時の締め切り時刻に届けがなかったことを理由に、午後7時過ぎに連盟の裁きを発表したが、組織が個人を裁くには、原因・起因する事由やその根拠等が正しく列挙されることが必要なのではないか?期限までに休場届けがなかったとか、このまま疑いを持たれたままでは対局できないと本人が言ったという理由では、ニュースを聞いたファンとしては何となく曖昧模糊として逆にイライラしてしまう。あるいは、もし武士の情け・温情という視線が連盟側にあるとしたら、それもまた曖昧さの原因だろう。
    すべてを明確にしておかねば、この問題は、今後長く多くの波紋を呼ぶ事態となることだろう・・・。

    そして昨夜。ノーベル文学賞発表。
    いや、選考者のセンスの良さに、思わず感嘆の声をあげてしまった。
    「今年のノーベル文学賞受賞者は、ボブ・ディラン」
    この言葉に、最初に衝撃的な驚きを覚え、ひと間置いてからは、素晴らしい選択と納得した。
    売らんかなの商業主義とは無縁に、底辺に流れる時代の声、時代の波を掬い取り、唄い続けて50有余年。
    ディラン流の本物のスター像を創り上げもした。影響されたミュージシャンは世界に広がっている。
    歌詞そのものが文学と成り得ると証明した今回の受賞である。
    こんな私でさえ、愛唱する唄は、ディランの「I shall be reliesed」

    ついでだから大塚まさじ訳の3番の歌詞の一部をを載せておこうか。
             ♪ 男らしいッて  わかるかい
                ピエロや臆病者のことさ
                オレには聞こえるんだ  かれらの
               泣き叫ぶような 声が・・・

               朝日は もう昇るよ 少しづつだけどね
               そのとき その日こそ  
               自由に  なるんだ・・・  ♪

    今日も明日も明後日も、そしてこれからもずっと、風の流れに身を任せて、何があっても、希望を捨てない力を得たようなディランのノーベル文学賞受賞だった。





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