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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    新年早々、数学に触れた 

    /JT

    たまたま偶然の成り行きで、新年早々、数学に触れることになった。

    私の最年長の従兄に、慶応理工学部数理科学科で長年教鞭をとってきた数学者がいる。(若い頃には私の囲碁の師匠だった)
    確か10年ほど前に伯母の家でその著書「測定理論の数学的基礎」なる著作を見せて貰ったときは、中身はほとんどが記号言語で、頭がクラクラしてしまったが、数学的な記号言語を眺めているうちに、ひょっとしたら数学を昇り詰めたら、たぶんそれは哲学そのものなんだろうなと思えてならなかったことを覚えている。

    確か2・3年前に大学を離れたが、偶然今日、「科学哲学序説」という著書を知ったのである。
    大学時代の講義をまとめたもので、量子力学的解釈で、いわゆる哲学を解釈してみようという意欲的な内容だった。

    こんな数学なら、この私にも理解できる。

    例えば、 1+1≠2  という世界がある。それも私たちの日常にだ。冬に右左両手に1個づつミカンを持って、それを合わせたら2個である。これは 1+1=2 である。しかし両手に水の入ったコップを持って、その水を合わせたら、水の量は増えても2にはならない。文学的には「コップ2杯分の水」であっても、科学的には1つの水なのだ。うーん・・・。

    「飛んでいる矢は飛ばない」なんてこともある。ごくごく微小時間の矢は、あるいはある瞬間の矢は止まっているのである。抉り出した瞬間には飛んではいない矢が、飛んでいるとは不思議ではないか?

    などと、目を瞠らされる世界を通して、最終的には、『科学の形而上学に関する研究仮説』によって、『あらゆる現象を量子言語(量子力学のことわざ)によって解明記述しようとする』試論こそが、「科学哲学」であると論証されていくのだ。

    こう書き記すと、なんだか小難しそうだと思われるかもしれないが、例えばそれをよく噛み砕いた「量哲研」有志の備忘録ブログ 
         
               科学哲学序説:読書日記    http://chanelkant.blog.fc2.com/

    を覗いてみると、理解しやすいだろう。

    あるいは、著書の案内なら 
    科学哲学序説     
             http://www.shiho-shuppan.com/index.php?科学哲学序説%E3%80%80石川史郎


    ひょっとしたら、スポーツ、芸術、学問、実業と、どんな道を登り詰めたとしても、おそらく幸運にも頂上に至ったら、人間である以上、そこで出会う風景は同じものであるのかも知れない。妙にそう思えてならなかった。

    私自身は、まだまだ5合目辺りで、悪戦苦闘の最中で峠には至っていることもないのだが・・・・。








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    category: 異化する風景

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