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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    高価な駒木地 

    DSCN1375_20151117205646b9f.jpg 木地 赤柾②

    将棋駒の駒木地にも、いろいろある。

    柾目、赤柾、根杢、虎斑、虎杢・・・。そして、それぞれが特徴によっていくつかのパターンに分かれて、いろんな名前が与えられている。

    近年は、何故か派手な木地が好まれている風潮があるが、私自身は、駒字や盛り上げの技に眼が魅かれるので、それほどのこだわりはない。一つの駒形を絵画で言うところのキャンパスと考えるなら、色や模様付きのキャンパスなど、本来中心にあるべき絵(駒なら駒字や盛り上げの芸だろう)の冒涜であるとも言えるからだ。

    しかしファンの間では、どうせ高額な代価を支払うならばと、派手な木地が選ばれていて、需要と供給のバランスからか、それ故派手木地というだけで駒の取引価格も高く設定されているようだ。

    勿論、黄楊の木地には、言い知れぬ魅力を放つ地模様があることは承知しているが、それを楽しむなら、駒にしないで、木地鑑賞用の駒形を平箱に収めて眺めている方がいいのではないだろうか?と、何となく思っていたのは事実である。

    キリッとした顔立ちの柾目の駒が、使い込まれて時間が積み重なるように刻まれていくと、いかにも男性的な豪快さを漂わせるようにもなる。聞くところによると、杢や虎斑などの部分は、本来の黄楊の木の病気の部分だという。柾目は健康そのものだが、他は歪な病的部分らしい。まあ、だからこそそれが、魔性の魅力であるとも言えるのだが・・・。

    昨日、某所から電話があった。何と、いかにも高額な(多分静山や木村の良質な盛り上げ駒作品が購入できるほどだ)価格で、虎杢の駒木地を入手したという知らせだった。

    「迷ったんだけど、貯金はたいてしまいました(苦笑い)・・・でもそんなことをしていると、自分が救われる感じがするんです・・・」
    「あんまり無理はしない方がいいよ。いずれ無理しなければいけない瞬間はおとずれるんだからさあ・・・でも、その駒木地でいつか何かを作るのかな?」
    「いえいえ、トンでもありません!ただただ、眺めているだけでうっとりと満足できますから」
    「そりゃあ、そうだろうけど・・・でも満足のための勉強代は大変だ」
    「そこまでやると普段の仕事が忙しくてもやる気になりますからね」
    「世間の普通の駒ファンは、おそらく数万円台の木地でああだこうだと言っているんだから。私自身は、駒師の製作費より高額な駒木地というのは理解できないんだけど・・・・でも、まあ多くの人が体験できないことをやってのけた勇気は買います」

    などと、からかい半分に電話を終えた。
    私自身は、まだ15万円を超える駒木地を見たことはない。その木地ですら宝物に見えたが、それ以上のものとすると、実は想像がつかないのだが、運が良ければ近々その駒木地を見せてもらえることになった。手にしたら手が震えてしまうかも(苦笑)

    もし実見できたら、きちんとご報告したいと思っていますので、乞うご期待です。

    ☆最近、将棋駒の話題が少ないとの指摘がありますが、何せ清貧の身故、次々と購入する訳にもいかず、以前に依頼してある駒の完成待ちの身分ですので止むを得ません。どうやら駒の世界には、ここしばらくの間に、善良な駒愛好家もいれば、高値転売を狙う駒収集家も、看板を掲げぬブローカーもいれば、それこそ玉石混交と知りました。
    もし仮に、将棋文化に関わり、その意義を語るなら、少なくとも商いとして看板を掲げぬ棋具売買の繰り返された事実を他者に見透かされてはいけないでしょう。趣味の世界にそんな人(たち)までもが蠢いていることを、純な私はある意味見過ごすほどの初心者だったのかも知れません。
    同時に、「安価に買い叩いて高価に売りぬく」そんな余得が生まれる可能性があるからこそ、人は勤勉にもなれるんだということも学びました。
    どちらが正しいのかということは、現時点で正解を得てはいません。私たちの国日本は、切腹の儀式に窺い知れる様に、伝統的に「恥の文化」の国でした。「恥を知る文化」と置き換えてもいいでしょう。しかし利を目的とする経済行為は、ともすれば「恥じる」ことを見失いかねません。ですから私自身は、趣味の世界であればこそ善良で恥じらいを持った愛好ファンでこれからもありたいと決めています。

    ともあれ、皆さんには、まずは、できてもできなくても、取り合えず1組の駒を自作されることをお勧めします。自らやってみれば、その出来栄えはともかくとして、何が必要で、何が不必要かということが整理されますし、そうなれば無駄な駒を欲しがらなくなりますし、良い作品をも見抜けるようになるとも思います。道具であり熟練の職人の手で生み出される駒世界は、知れば知るほど、理解すれば理解するほど、開けて行く筈です。そのとき本当に審美眼に足る作家も、作家の人間性をも見分けられるようになるでしょうから。






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    category: 将棋駒

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