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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    夏競馬が終わった~そして一人静かに藤田伸二がターフを去った 

    syou6-cyuu1 08-09 116 (3)宝塚記念を何とか贔屓の馬たちで的中させてからは、競馬はそのまま夏競馬に突入した。
    世の中の動きとは別個の、スケジュールのままに進む競馬の時間がある。

    私にとって競馬観戦は、子供のときからの趣味なので、世の中に何が起ころうとも、日曜の午後の3時間ほどは(土曜のメインに重賞があればその時間も)、頭の体操として勝ち馬推理ゲームに戯れている。

    この夏も、何度か声を上げたり、なんだこれはと意気消沈したりを繰り返した。7月の函館記念の2着藤岡康太ハギノハイブリットや、8月のクィーンSの勝ち馬松田大作メイショウスザンナや、札幌記念の追い込んで2着を決めた気ムラな小牧太ヒットザターゲットには、つくづく嘆き悲しんだものである。

    8月初旬までの35℃を超える猛暑が、台風絡みの雨模様でひと段落し始めた頃から、いつもの自分のペースを取り戻して、アイビスサマーダッシュ(枠連の代用品だったが)、レパードS、エルムS、関屋記念、札幌2歳Sと何とか盛り返して、ついでに札幌で行われた第1回ワールドオールスタージョッキーズ(WASJ)の4戦を3勝で乗り越えた。何となく武豊と香港のモレイラ、そして紅一点の英国ヘイリー・ターナーに着目した結果だったのだが・・・。

    とりわけお小遣いが増えたという結末でもなかったが、まあ収支トントンで楽しみ切ったということである。(エヘヘ・・実は、昨日の小倉2歳Sと新潟記念ですべて吐き出しました。馬場と天候が読み切れず、推理は破綻し、私の事前予想とはまるで別のレースを見ているようでした、ハイ・・・小倉のシュウジもパッションダンスも応援したんですが、2着馬が・・・)

    この夏、特に印象的だったことは、いくつかある。

    何と言っても、重賞路線での岩田康誠とM・ デムーロの活躍だ。手に負えない活躍だった。どんな馬でも勝たせてしまうパンチ力に満ち溢れていた。

    WASJの行われた札幌の2日間では、香港の騎手モレイラの凄まじい活躍も特筆ものだった。WASJの4戦で2勝2着1回、2日間の通算は、20戦7勝2着4回3着1回。化け物のような活躍だったが、WASJでは、日本の第1人者武豊が踏ん張ったし、最終戦では、英国の女性騎手ヘイリー・ターナーが勝利したことも印象深い。

    だが、帰国したH・ターナーについては、英国のマスコミによって「過去のケガの影響もあり、今シーズン限りで騎手引退」と報道された。まだ32歳の女性G1ジョッキーのいささか早過ぎる引退決定に驚かされたが、昨日の夕刻には、もう一つ驚きの引退発表がなされたのである。

    騎手藤田伸二の、とあるマスコミを通した書置き手紙だけの引退発表だった。
    1991年デビュー。96年にフサイチコンコルドに騎乗してダービージョッキーとなり、通算1918勝。その昔の侠客のようなイメージを作って演じて、個性派として人気のある騎手だった。

    私が、初めて藤田伸二と身近に接したのは、小島太に連れられて行った伝説の酒場「ドンキホー亭」だった。(このときは渋谷南平台にあったと記憶する。この店の店主は業界では知られた存在で、その昔宮益坂を上がりきった青山にあったときは、裕次郎と勝新が常連だった。業界ご用達の有名店である)
    そこに、まだデビューして3年ほどの若い藤田伸二がいたのである。若い藤田伸二は、表情もにこやかに言葉も控えめで(先輩騎手小島太が現れたこともあるのだろうが)、肌艶も輝いていて、未来への可能性に満ちていた・・・。

    だからこそ当時騎手を描こうとしていた私は、それからも藤田伸二に関心を持ち続けてもいたのだ。あのときの出会いから10年ほど経った頃からは、何となくその表情が、絶えず眉間に縦皺を寄せているようにきつくなったように感じて、それがいつも気がかりだったが、とりわけ成績が下がるようでもなく、見守るしかない立場の部外者なので、当時連載を始めた「調教師伊藤雄二シリーズ」の中でたまに話題にして、伊藤雄二調教師の眼から語られる現場の情報を聞いていた。

    ここ数年の藤田伸二の中で、騎手としてのモチベーションが、あまりにも下がっていたのは事実だろう。騎乗依頼も、その程度の騎手としての扱いを受けていたように感じる。人は、人なりに本人の精神状況を察するものだ。悟られてしまったことは、何かを演じて騎手藤田伸二像を作ろうとしてきた藤田伸二には、脇の甘さとなっていったように感じられてならない。

    かつては、ひと睨みするだけで先行する藤田伸二に絡んでいく騎乗を控えた若手騎手も、最近は遠慮会釈もなく堂々と絡んで置いてきぼりにしていた。それは、藤田伸二に、騎手としての畏怖感のオーラが消えていったことと比例していた。プロが他者をもビビらせる畏怖感をなくしてしまったら、普通の人になってしまうのは自明のことである。

    そんな、もはや明日への希望が見られない状況下で、「やってられない!」と、騎手藤田伸二が思いつめたとしても不思議ではない。

    ただ、最後に書き残した置手紙の中での、騎手の生命線でもある騎乗依頼に関わる現行エージェント制度に対する批判や提言は、陽の当たらぬ闇の中で踏ん張ろうとするまだ売れてはいない若手騎手たちに、「オレは去るが、お前たちはいつか来るべき日に備えて今より一層精進せよ」などと励ましを持って触れて欲しかった。

    大組織は、多くの改善すべき矛盾も抱え込んでいる。しかしそれを解決するためには、とりあえずは現役でなければならないのだ。関係を切って引退してしまった他人の発言は、何の力もない。ただスカンクの最後っ屁とされてしまうだけだからだ。私は、競馬の現状に夢を持てなくなった騎手藤田伸二には、例えそうではあっても、敢えて朽ち果てるまで現役のままで馬上で闘って欲しかった。現役であり続けながら、彼自身が感じる大組織が許している現行制度への矛盾点に対して、闇の中で忍耐する若手の先頭に立って闘って欲しかったのだが・・・。そうはならなかった・・・。

    しかし、今までどの引退騎手もしなかった置手紙を書き置いてそっと身を引いた事実は、素に戻った43歳の藤田伸二のこれからにとっては、おそらく25年の騎手人生と決別する大きな経験として、彼自身の魅力を積み重ねるものとなるだろう。

    多分、これからの素に戻った藤田伸二は、私があのとき出会った生き生きとした表情の藤田伸二に戻っていくに違いない。それもまた、本当の藤田伸二なのだから・・・・。そう思えてならない・・・。









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    category: 競馬

    thread: 演劇的競馬論  -  janre: 学問・文化・芸術

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