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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    映画「Mulholland Drive」~喉の棘からの解放 

    ここしばらくの間、サラブレッドや将棋駒など具体的なものから、自分自身の想像力を鍛えようとしてきた。

    映画や演劇、あるいは文章などの作品は、例えば、何もない空間に一人の役者が現れれば舞台となり、何の変哲もない大きな白い布切れに光の陰影が映し出されれば映画となり、何もない紙の空白に文字が埋め尽くされていけば文章の醸し出す虚実の世界が刻まれる。
    何もない場所から、想像力の交響詩が鳴り響き始めるのだ。

    そう言えばと思った。そう言えば、「何もない空間」や「何もない銀幕」や「何もない原稿用紙」の大きな可能性を、ちょっと忘れがちだったなと、大いに反省したのである。

    具体物を手掛かりにして頼りにすると、スノッブにならざるを得ないだろうし、出会う人間の言葉や視点観点も、相手の能力が溢れていない限りスノッブなものとなっていく。気がつかないうちに、作品の質よりも価格の値打ちの話に落ちて行くのだ。いくらで買って、今はいくらだという話は、何がいいのかを考えて刺激を受けたい私の様な者には、それだけではどこか心の不満ともなっていくから悩ましい。

    そんな私の日常を少しでも改善しようかと、ずっと以前に録画したDVDを取り出した。

    映画のタイトルは、「Mulhollando  Drive」。2001年、デヴィッド・リンチ監督の作品である。

         413yOkxjFqL.jpg    about_key.jpg    3-2.jpg(写真は、Mulholland Drive を扱ったHPから参考にさせていただきました)

    この映画、これまでに7,8度見ていたのだが、見るたびに様々な迷路に誘い込まれ、同時に様々な妄想を呼び起こされて、結局はデヴィッド・リンチの世界に翻弄され続けていた。どうにも喉元に棘が刺さったようなもどかしさが拭い去れずに、言わばデヴィッド・リンチの掌で踊らされていたのである。

    「な、何なんだ、こりゃ!?」と、たまには叫んでみたい方がおられたら、ぜひ一度ご覧になって下さいと、ニヤニヤしながらお勧めしたい映画である。

    デヴィッド・リンチは、’80年「エレファントマン」、’86年「ブルーベルベット」、90年「ワイルドアットハート」、’92年ツインピークスなどの映画作品を残してきたが、日本では90年代にブームとなったTV版「ツインピークス」で知られている。

    しかし「Mluholland Drive 」こそが、私を最高に刺激して、同時に最高に哀しくさせてくれる作品である。

    もし、現実(そしてあるいは死)から冥界(現実と夢の領域を繋ぐ世界)そして夢(耐えられない現実がこうなって欲しいと垣間見た夢)という並びなら、おそらく戸惑うことなく「こんなもんだ」と受け入れられた構成だったろう。

    それが、デヴィッド・リンチの最初の仕掛けで、敢えて夢~冥界~そして立ち戻る現実と大胆に構成されてくるから、何度見ても、私は術中に嵌まってしまっていたのだろう。

    今回見直して、そのことだけは理解した。

    あらすじを最初から記してしまうのは野暮だ。特に映画そのものがミステリー仕掛けになっている要素も強いから、それは控えなければいけないが、可能な限り最小限だけ記して見なければ、何も書けなくなってしまう。

    イントロは、地方の場末都市で高校生のダイアンがジルバ大会に晴れがましく優勝するシーンが再現されるところから始まる。白い靄のような白煙に包まれて、後に遺産を残してくれた叔父叔母とダイアンがホワッと浮かび上がり、次の瞬間、カメラは血の様なえんじ色のシーツにくるまってベッドで眠る人の姿をズームアップ。

    そして、ベティとリタの物語が進んで行く。(これはダイアン自身であるベティと、やがて一流女優へと成り上がって行くカミーラであるリタの、ダイアンがこうあって欲しかったという夢物語である)キーポイントは、文字通り鍵にある。ブルーの鍵だ。

    やがて二人は、深夜、クラブ「シレンシオ」(言うならば、クラブSilence=沈黙の世界=冥界)にたどり着く。
    そこは、全てが記録録音された、楽団もいない、まやかしの世界。ロスの泣き女の唄に、ダイアンは、自ら作り上げたベティのまやかしの世界ではなく、赤裸々な現実を思い知らされ、震え慄く。肩を抱いて、震えるダイアンを受け入れて涙するカミーラであるリタ・・・。

    そしてベティは消え、ダイアンの現実がさらされていく。
    それは、一発の銃声で結着するのである。同時にそれは、かつては期待に胸を膨らませていたダイアンの夢が、現実に飲み込まれた瞬間でもあった・・・。

    映画の最終最後シーン。本編中のキーワード「青い鍵」のイメージを再現するように、青い髪の泣き女がクラブ「シレンシオ」の壇上の椅子からそっと呟く。
    「シレンシオ・・・」
    それはまるで、ダイアンとカミーラの二つの死を、そっとして弔いましょうと、冥界から現実に生きる私たちに呼びかけているようだった・・・。

    今回、ここまで理解できた私は、映画を見終えた瞬間、大きな哀しみに襲われていた。ダイアンの悲痛な叫びが想像できたからである。

    ちなみに、デヴィッド・リンチがタイトルに名づけた「Mulholland Drive」(=マルホランド通り)は、1950年名匠ビリー・ワイルダー監督作品「サンセット大通り」(この映画も、現実を受け入れることなく過去のサイレント映画時代にスター女優であったノーマが、妄想妄執に生きていることで起こった哀しいドラマだった)へのオマージュ(大きな敬意を表して影響を受けながら捧げた作品)ともなっている。
    ナオミ・ワッツのデビュー作でもあり、デヴィッド・リンチは、第54回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した。
    この映画を、ハリウッド資本が受け入れず、最終的に米仏合作映画になったのも、見終えてみると、何となく理解できるだろう。

    うーん、なかなかに刺激的だ。これに懲りず、たまには今まで見てきた映画や演劇を、採り上げたくなってきた。それだけ良いものを見守って来たなという実感はあるから、自分自身を錆びつかせないためにも、これからやってみることにしようか。
    皆さん、たまには気分を変えて、競馬の推理や、将棋や囲碁の次の一手を考える乗りで、お付き合い下さったら幸せです。








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    category: 映画・演劇

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