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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    5月31日東京優駿「日本ダービー」芝2400m 

                             150531T10KI123.jpg(ドゥラメンテ写真:石山勝敏)


    土曜の夜は、明日に備えて早くに眠りについた。ウィスキーの力を借りたので、8時頃の大きく揺れた地震にも全く気づかず、翌日会った人たちから、
    「大きく揺れましたねぇ」などと聞かれても、答えに窮して、
    「眠っていて、何も知らないんですよ」などと答えると、余程の大物か、はたまた余程の鈍感人間かという顔をされてしまった。

    日曜の朝、5時に起きると、何とか右膝は小康状態を保っていた。これなら、痛み止めのボルタレンを飲み、ついでにもう1錠持参して行けば、何とかなると考えて、とにかく優駿招待ルームに行くと決めた。

    それから最後の新聞読みや、シャワーを浴び、朝食代わりの紅茶を飲んで、朝9時半のレッドアローに乗って、府中に向かった。「後は野となれ山となれ」の心境だったのは言うまでもない。よくよく考えてみれば、膝が痛み始めて以来のここ3週間、医者に行く以外の外出は、正直言えば今日で2度目で、ホトホト痛みに悩まされていて、心にも余裕はなく苛ついていた。そもそも胸椎を大手術してからも、右足は麻痺などが残り、それでなくても悩みの種であったのが、やがてその右足は痛風に見舞われ、そして今回が膝の激痛だったのである。哀しくてやりきれない状況とは、こういうことだと、そう思えてならなかった。

    11時に右足を引きずりながら府中本町に到着。さすが12万人が集ったダービーである。群集の流れにさおさす様な私の動きは、ぶつかったりぶつけられない為には、もはや一瞬の油断もならなかった。
    それでも何とか、ダービールームに到着。緊張が解放されたからか、いっきに汗が噴き出してきた。気温が高かったこともあるのだが。

    見知ったお顔に、何とか笑顔で挨拶をして、自分の席を確保して、私の競馬場での1日が始まった。

    嬉しかったのは、元東宝のプロデューサーで、現在は京都造形大の教授であるTさんから、以前に贈呈した「粋狂なる試み~棋道を巡る職人魂」を京都新聞の担当者に渡しておきますからねと言われたことだった。こうしてジワジワと輪が広がって行くのは、本当に嬉しいことである。一過性のブームで広まるよりも、あくまでもジワジワと浸透し続けることが、その本の力となる筈だと信じているからだ。

    そうして周りの人たちと、話の輪をも賑やかにしながら、ダービーのパドックを迎えた。
    8階の部屋からパドックに向かうには右膝が心配で、だから私はじっくりと場内に放映されるTV画面を見つめた。

    眼の前の画面からは、各馬の状態が正確に伝わってきた。
    何よりもドゥラメンテが好気配だった。私にはそう見えた。弾むような軽い手先を躍動させて、スッスッっとあくまでも軽やかに歩いている。少しでも体調に不安があれば、ここまでの歩様にはならない。おそらく勝つのはこの馬だろうと確信した。

    次いでよく見えたのは、サトノクラウン。その眼は澄んで力感に溢れ、ただ前を見据えていた。後肢が送り出す歩様もしっかりとしていた。

    今日のリアルスティールには、少しばかり失望した。どこかぎこちない雰囲気だったのである。最終追い切りの姿はかなり良かったから、ひょっとしたらピークを先に迎えてしまったのかも知れないとさえ思えた。

    私が好きで応援しようとしたポルトドートウィユは、ここに入ると少しばかり威圧感に欠け、歩様そのものもこじんまりとした印象だった。ドゥラメンテと同じエアグルーブ一族の、その覇権を賭けた骨肉の争いのドラマを見たいなどと、この馬を趣味で選んでしまったからだろう。京都新聞杯で勝ち抜いたサトノラーゼンは、この時点で私の意識の盲点になってしまった。

    そして最終最後の決断。ドゥラメンテとサトノクラウンのほぼ馬連1点。ほんの少しだけ、趣味でドゥラメンテと武豊ポルトドートウィユの馬連を押さえた。リアルスティールは切り捨てることにした。私の意識では、納得のほぼ1点勝負だったのである。
    唯一不安があるとすれば、2頭が所属する堀厩舎のダービーという晴れ舞台での上位独占が、こんなに簡単に実現していいのかというものだった。その不安は終わってみれば大正解だったと言えないこともない。が、その時点では、馬の状態を信じる限り、私には無視できるほどの不安としか思えなかった。

    ファンファーレと共にお祭り騒ぎのような大歓声が沸き起こって、そのときが来た。

    ゲートが開いて、各馬揃ってターフに飛び出した。横山典弘ミュゼスルタンが逃げを主張した。北村宏キタサンブラックは大外から、これしかないという意欲を見せて2番手のポジションを確保した。
    結果、前半5F58秒8のハイペースが生まれた。

    第1コーナーで、福永祐一リアルスティールは、M.デムーロ・ドゥラメンテとの中団のポジション取りに負けた。おそらくM.デムーロの確保した場所こそが福永祐一の選択したいポジションだったのではないだろうか。その意味では、デムーロは実にしたたかだった。

    ダービーの最高の見せ場は、やはりホームストレッチだろう。
    第4コーナーを廻って、ドゥラメンテの脚力は炸裂した。その姿は、今から11年前の2004年、同じくダービーで炸裂した父キングカメハメハをまるで髣髴させるような凄まじい破壊力だった。

                               150531T10KI072.jpg     150531T10KI077.jpg



    ドゥラメンテの圧巻の差し脚。
    インから伸びようとした岩田康誠サトノラーゼンを競り落とし、直後に続いたルメール・サトノクラウンを突き放し、M.デムーロ・ドゥラメンテは、華やかに同時に圧倒的に、2分23秒2というダービーレコードを刻んで2冠のゴールをいっきに駆抜けたのである。
    思えば、これまでのダービーレコードは、2004年の父キングカメハメハと2006年ディープインパクトが記録した2分23秒3。これを上回ったことに、ドゥラメンテの凄まじさが証明されている。どうやら私たちは、またもう1頭の世界的名馬の誕生の瞬間を、この82回東京優駿「日本ダービー」で目の当たりにしたのだ。誇るべき想い出として。素晴らしい想い出として・・・。

    ドゥラメンテのゴールインに目を奪われていた私は、次の瞬間、2・3着馬が同じ勝負服であったこともあり、またレースの流れから、勝手に2着はサトノクラウンと錯覚してしまっていた。しかしドゥラメンテに交わされてからのサトノラーゼンは、もう一度粘り腰を見せていたのだ。写真判定となり、サトノクラウンはハナ差サトノラーゼンに及ばなかったのである。アー・・・。

    しかし私の結果など、神々しいまでのドゥラメンテの前では、些細なことでしかない。馬券などいつでも次があるが、世界の名馬の可能性あるサラブレッドに出会えるのは、そうそうあることではないからだ。

    昨夜、私は、ある種の感動を胸に抱えて、何とか右膝のさらなる悪化もなく帰宅できた。今朝も今のところは激痛は起きてはいない・・・。

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    category: 競馬

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