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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    6月8日安田記念~マイル王決定戦 

    埴輪馬

    先週末にかけて、何日雨が降り続いたのか、はっきりとは判らないほど、ずっと空から雫がしたたり落ちてきていた。まるで空が泣き続けているようなそんな気がした。

    だからこそなのか、その間に、例年よりは早くに梅雨入りが発表されてもいた。

    この時期、空の雫が植物をいっきに育て上げる。涙のような一滴を受けて吸収して、グィッと伸びるのだ。植物の成長は、決して比例曲線を描いて均等に伸びるものではないようだ。大地の植物には、待ち受ける希望だが、しかし立場を変えて、週末のG1安田記念を考えると、呪わしい空からの贈り物としか思えない気になってしまう。身勝手な望みを抱いてしまう。

    ダービーの高揚感がまだ残る次の日曜日、安田記念が行われる。天皇賞から続いた6週連続の春のG1シリーズの掉尾を飾るのがマイル戦の安田記念だ。東京競馬場で行われることが最大のセールスポイントである。直線が長く、坂のあるコース。まぎれもないサラブレッドの絶対能力が厳しく試されるレースとなる。だから面白い。

    特に今年は、4歳馬の出走こそなかったものの、5歳、6歳のほぼフルメンバーが揃い、そこに3歳の強い逃げ馬ミッキーアイルが果敢に挑戦してきた。出走馬の半数近くがG1馬というハイレヴェルのメンバーが勢揃いしたのである。

    わけても最大の話題は、レコードタイムでドバイのG1を勝ち、今や世界No1のレーティングを誇るジャスタウェイの登場だった。

    それだけではなく、ドバイで勝った主戦の福永祐一が先週斜行による騎乗停止処分を受け、急遽柴田善臣に乗り替わっていたのである。善臣自身、昨秋の毎日王冠でジャスタウェイに騎乗してエイシンフラッシュの2着となった体験を持ってはいた。だが近年の、手腕に比してある意味地味な成績と年齢を考えると、ここでジャスタウェイの能力相応の騎乗を見せなかったら、ハイ一丁上がりの騎手として、ファンのみならず競馬関係者からも見定められかねない状況があり、その意味でも真価が問われる騎乗交代だったのである。

    パシャ、パシャと、辺りから止むことなく響く空からの雫が、涙の雫か、希望の水滴になるかを考えていた土曜の黄昏時、突然カメラマン石山勝敏から電話があった。
    いつもはメールでのやり取りが多かったので、どうしたんだろうと思いながら電話に出た。
    「何かあった?」
    「いえ、明日はどんなレースになるか聞いておこうと思って」
    「いや、凄いメンバーだけど、この雨で不良馬場は確実だし、どうしたものかと悩んでいたところ」
    「重馬場が得意な馬や大丈夫な馬は何頭かいますよねぇ・・・」
    「でもこの雨だよ。たぶん明日も。だったら54Kgで古馬より4Kgも負担重量が軽くて先行できるミッキーアイル有利かと思うけど、本当に馬場が合うかどうかは判らないし・・・好きなタイプの馬は何頭かいるけど、この馬場じゃあ何とも言えないのが正直な話で、だったらやはり世界のジャスタウェイかなぁ・・・そう言えば、善臣とは長い付き合いだったよね?」
    「長いと言えば長いですよね」

    石山勝敏は、柴田善臣とは、カメラマンと被写体の関係から始まって、息が合ったのかずっと友人知人の付き合いを続けてきた。私が書いて、石山勝敏が写真を撮った著作「勝者の法則」(KK.ベストセラーズ刊)の中でも、騎手の減量を描いた<騎手の肉体>の章の中で、若き柴田善臣の素晴らしく引き締まった筋肉の写真を撮りおろしてもいる。
    私は、持てる手腕に比して大舞台での印象度が低い柴田善臣の騎乗にこれまでも苛立ちを隠さなかったが、石山勝敏からは、その裏側にある事情を聞かされてもいた。

    柴田善臣は、騎乗依頼をこれまでずっと先約優先の筋道でやってきたという。ある時期、上手く立ち回って強い馬優先にしたことがあったそうだが、すぐに「こんなやり方はオレには合ってはいない」と改めて、それからはずっと今のやり方を続けてきた。営業用の笑顔を作るのは、どうも苦手だったのだ。これまでG1は8勝しているが、それだけに止まったのは馬を選ばなかった結果が大きい。

    想い起せば、4年前の2010年、柴田善臣は、ナカヤマフェスタに騎乗してあのブエナビスタを破って宝塚記念を勝った。秋にナカヤマフェスタはフランス遠征。フォワ賞(2着)、凱旋門賞(2着)と健闘したが、蛯名正義の騎乗だった。
    そもそもは宝塚記念を勝った柴田善臣に騎乗の打診もあったのだが、この頃柴田善臣は離婚に見舞われ、その手で子供たちの世話までを引き受けた。元妻は家を出て、残された子供たちを柴田善臣が世話していたのだ。最初のフランス遠征の打診は、子供たちをきちんと学校に行かせなければいけないからと辞退したのである。が、翌2011年秋には、幸運にも同じオーナーの所有馬ナカヤマナイトと共にフランス遠征を果たしている。
    それが善臣の生き方なのだ。

    「どんな馬場になろうと、ジャスタウェイへの乗り替わりは降って湧いたような善臣のチャンスじゃないのかなぁ」
    「そうですよね。ここで負けたら、本当に終わったジョッキーにされちゃいますよね」
    「だったらお友達の一人として、石山勝敏のやるべきことはただ一つ。オッズは関係なく単勝を買って応援することだよ。そうすれば、勝っても負けてもいい写真が撮れるだろうから」
    「そうですよねぇ・・・・そうします」

    そこで電話を切った。雨音はまた強くなったような気配だった。



    あれだけ降り続けた空の雫が、安田記念がスタートする頃には止まっていた。いっときの雫の小休止だったろう。

    ゲートが開いて、各馬がターフに飛び出した。浜中駿ミッキーアイルが半完歩遅れたような感じで立ち遅れたが、すぐに生き脚をつけていつもの先頭ポジションを確保しようとした。いくら4Kg貰いのハンデでも、立ち遅れて無理をしたことはゴール前で響くはずだ。油断したか、浜中駿?

    そのまま前半5F59秒1のペースでレースは流れた。
    だが、不良馬場を意識してか、後続の古馬たちは第4コーナー手間地点から逃げるミッキーアイルを突っつくように追い上げ始めた。ミッキーアイルにとっては初めての体験だったろう、自分のペースをかき乱されるなんてことは。

    結局、残り2F(400m)地点で、ミッキーーアイルは、馬が嫌気がさしたように脱落。明らかに貫禄負けだった。

    レースは、ここから勝負の時を迎えた。馬群が横に広がり、底力でねじり合うサバイバル戦となった。

    一瞬何が飛び出すか観ている者にも判らないような状況となった。

    坂を駆け上って残り200m。最初に抜け出したのは、三浦皇成グランプリボスだった。不良馬場が適していたのか、久しく途絶えていた過去の実力馬の復活だった。三浦皇成自身も、この春頃からようやく競馬に集中し始めたのか、騎手として自立した活躍を見せ始めてもいた。

    だが、それをそのまま許すほど競馬の神様は優しくはなかった。

    グランプリボスが抜け出したその瞬間をとらえて、中団の馬群の中にいた柴田善臣ジャスタウェイが、世界に認められた力をインから爆発させた。

    公式発表では着差はハナ差だったが、危なげのないハナ差だったとしか言えない。勢いに弾ける馬の魅力を発散させて、柴田善臣の代打騎乗は成ったのである。久し振りに見る善臣の迫力だった。

    前半5F59秒1。レースの決着タイムは1分36秒8。上り3F37秒7。この数字に、今日の安田記念の様相が見事に浮き上がっている。不良馬場のサバイバル戦となり、各馬ヘトヘトになりながらゴールを目指していたのである。その中で、ジャスタウェイとグランプリボスが馬場をものともせずに、他馬を3馬身突き放したのである。

    おそらく良馬場になったら、また違った結果となっていただろうが、競馬は自然と一体となった壮大なる野外劇の側面を持っている。その野外劇の中に、柴田善臣という47歳のオジサン代打ヒーローが出現したのである。劇を構成する要素にも、ジャスタウェイが、かつて自らが乗ったアイリッシュダンスの末裔とか、競馬学校同期の元騎手須貝尚介の管理馬とか、それなりの伏線は散りばめられていた。

    柴田善臣にとって、ずっと降り続いた空の雫は、空から溢れる涙などではなく、大地に捧げる豊穣の水だったのだ。そう思うと、この安田記念は記憶に残る劇だったと言えようか。

    やはり競馬は面白い。でもその為には、馬券を離れた想像力が必要なのだ。馬券は収支の現実だが、想像力は現実を飛び越えてシュールな新世界を凝視めることができるからである。まあ、理屈はいいか・・・。楽しめたなら・・・・。






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    category: 競馬

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