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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    祝1000勝!!松山康久調教師!! 祝3600勝!!武豊騎手!! 

    140126N11KI013.jpg(中山AJC杯:ヴェルデグリーン騎乗の田辺裕信は好騎乗だったが、通算400勝達成のTVインタビューはさほどでもなかった)写真:K.Ishiyama


    いろいろと記録尽くめの1日だった。

    中京では、騎手武豊が人跡未踏の3600勝を達成。1987(昭和62)年のデビューから28年。いつのときも日本競馬を支えるトップジョッキーとして、最先頭を馬と共に走り続けてきた。
    単純に3600勝を28年で割っても、=約130。つまり毎年コンスタントにそれだけの勝利を遂げてきたことになる。長年競馬を追いかけてきたファンなら、これが、どれほどとてつもない数字であることかは判る。3年、5年、10年の君臨なら、過去にもそんな騎手はいた。凄いと言われた岡部幸雄でさえ、最盛期はおよそ15年だった。
    それを思えば、騎手武豊という存在が、日本の競馬にとって真の宝物であるのは間違いないし、もはや歴史的存在と言っても良いだろう。3月15日には45歳になるが、肉体が許す限り騎乗を続けて欲しい騎手である。



    中山では、遂に松山康久調教師が、管理馬での通算勝利1000勝を達成した。昨年11月中旬に福島で998勝目の勝利を果たしてから、およそ2か月もの間、どういう訳か勝利に見放され、今週土曜日に999勝をようやく遂げて、そして今日、記念すべき1000勝を飾った。史上14人目、現役2人目であるとともに、故父吉三郎との親子達成の快挙である。

          _R1R3493.jpg(松山康久調教師。後ろは999勝と1000勝を決めた騎手後藤浩輝)
                         写真:K.Ishiyama

    1986(昭和51)年3月の厩舎開業から29年。調教師人生の前半は、名門松山厩舎を創り上げた故父吉三郎調教師を師でありライバルとして自らの厩舎を伸ばし、ミスターシービー(84年)、ウィナーズサークル(89年)と2頭のダービー馬を育てた。サンデーサイレンスの初年度産駒で95年の皐月賞を制したジェニュインも印象的な管理馬だった。

    縁あって私が、初めてトレセンの現場に足を運ぶようになったのは、古馬となったミスターシービーが秋天皇賞を勝利する直前の夏の函館からだった。
    と言っても、右も左もわからぬ初めての競馬の現場である。まして騎手や調教師に何を聞いて良いのかも判らない。訳知り顔で厩舎用語を真似して使うのは変だし、失礼だと考えた。
    だから、じっと朝の調教や、当時はまだ主流だった午後の乗り運動を、邪魔にならない場所でじっと見せていただいていた。
    その内、松山康久調教師が手招きして私を呼んでくれた。厩舎にまで来ても、いつも何も言わずにじっと馬や厩舎作業を見ているだけの私に、不思議な奴だと逆に関心を持ってくれたのだった。このとき私は、厳しい姿勢でマスコミにも接していた松山調教師が、本当は優しい人だと知った・・・。

    それが、私なりの競馬の読み物を創り上げようとした私のスタートだった。松山調教師は、最初の競馬の師匠と言えるかも知れない。

    そう言えば今想い出したが、あの頃、松山厩舎の期待を込めた管理馬は、南Dコースでの最終追い切りで、上り3F39秒で、最後の1F12秒そこそこで追い切られたら、ほぼ勝ち負けの勝負をしていた。尾形一門で育った父吉三郎から伝わった松山イズムは、ある意味スパルタ方式で鍛え上げるシステムで、その方法の成功が、名門松山厩舎を創り上げていたのである。

    後年、時代の移り変わりもあり、岡部幸雄の「馬優先主義」的方策が採用されてからは、次第にかつての実績が薄れて行った印象があるが、それは日本の競馬界の変質と比例している。サンデーサイレンスの時代到来は、日本馬の価格上昇と一体となり、厩舎でのスパルタ方式で競走馬を資質通りに淘汰する方策が次第に敬遠されるようになっていったからだ。

    ともあれ、松山康久調教師の1000勝達成は、私に、そんなことをいろいろと想い出させてくれた。

    2月の東京開催が終わると、70歳定年制により松山康久調教師も勇退する。
    いっとき名門松山厩舎の血が途絶えるが、しかし松山イズムは、スピリットとして必ずどこかで後継され、いずれ再び復活すると信じたい。

    残り1か月の調教師生活。私は陰ながら、松山康久調教師の完全燃焼を祈っている。



    ☆参考ながら、かの松山バレー団創設者松山樹子(清水哲太郎の母、森下洋子の義母)は、松山康久の叔母、父吉三郎の妹である。




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    category: 競馬

    thread: 演劇的競馬論  -  janre: 学問・文化・芸術

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