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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    うねるような駒字 

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    ずっと原稿は、太字のシャープペンシルか、万年筆か、一太郎やワードのパソコンで書いてきたので、実は書に対しての造詣はあまり深くはないのだが、そんな私でも、将棋駒を通して学び覚えたことがある。

    それは、例えば字母紙があるからという理由で、安直に作られた駒には、魅力がないということだ。

    駒字の書体には、それが作られた時点で、覚悟とか、そうあらねばならぬ必然性というようなものが、自ずと込められていると気づいたのである。

    とある駒師が、ある瞬間にこの書体の駒を作ろうと決意したときには、書体自体に込められた心の在処や精神を感じ取らなければ、その書体を作れるということには、おそらくならない。

    創作者は、例え事前に形が決められてあったとしても、その心を自らに取り入れて、呼吸で体得するまでにならなければ、その作品に「気」は込められないと思うのだ。呼吸で感じられたものこそが、「気」のみずみずしい感覚・感性を作品に注ぎ込む。それは、能や狂言や歌舞伎役者の表現、あるいはあらゆるジャンルのアーティストに共通する。

    そう考えると、一人の彫駒師なら、自らの呼吸をあるときはゆっくりと吐きながら印刀滑らかに運び、またあるときはグッと呼吸を溜めて息を詰めながら力強く印刀を躍動させるだろう。そしてその積み重ねの結果が、彫駒を駒形の中の絵に昇華させるのではないか。

    同じことは、一人の盛上げ駒師にも言える。蒔絵筆に乗せた黒蠟色漆を、あるときはゆっくりと息を吐きながらしなやかに駒形に書き込み、あるいはあるときには息を止めたまま力感を込めて筆を回し、また止める。その呼吸が漆使いの表現となり、盛上げられた駒字に魅力溢れる陰影を与えていく。盛上げられた駒は、半円筒型の器の中で反対向きにされて漆が乾かされるが、ただ彫埋め状態の字の枠の中に平坦に置かれた漆は、反対向きにされたと言っても微妙な陰影を発散することはないだろう。この駒字を、オレはこう解釈して、だからこそこの呼吸でこう描いたというセンスある意志が、素晴らしい陰影の立体感を表出する。

    今ならはっきりとそう言える。

    おそらく名工の手になる名駒を見て、ある種の戦慄すら覚えるのは、名工の「気」が込められた彼らの生々しい呼吸が、こちらに確かに伝わってくるからなのだろう。

    そんな風に考えると、駒を見る楽しさが増してくるようだ。   DSCN0537.jpg



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    category: 将棋駒

    thread: 極私的将棋駒の快楽  -  janre: 学問・文化・芸術

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