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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    藤圭子を演じた歌手の終焉 

    JT


    藤圭子が逝った。

    まだ少年だった頃、きりっとした透明感ある眼で、何かを睨みつけるように真正面を見据えて唄う歌手に、大きな衝撃を覚えた記憶がある。しかもその声は、世に媚びることないハスキーボイスだった・・・。

    ♪ 15、16、17と、私の人生暗かった・・
    ♪ ・・バカにゃ未練はないけれど・・
    ♪ 忘れられない奴ばかり・・
    ♪ どうすりゃいいのさこの私・・
                         夢は夜開く・・♪

    ♪ 女ですもの・・・

    ♪ バカだなバカだな・・騙されるなんて・・・

    藤圭子を演じた歌手は、明らかに世を憂いていた。そのエネルギーの根源が何処にあるのか?少年の私には不明だった。

    高校時代のバス旅行で、何故かマイクを渡された私は、♪ 女ですもの・・と唄ってしまい車内を少しばかり白けさせてしまったこともある。孤独に唄う演歌よりも「友よ」「おいで皆さん聞いとくれ・・受験生ブルース」「インターナショナル」とかを、皆で唄うことがその時代の先端的な雰囲気だったからだ。

    その後、私の記憶は、藤圭子を演じた歌手のことを忘れた。いや正確に記せば、あの真正面を見据えるきりっとした眼と、いつも額を隠すようなヘヤースタイルだけは妙に心に残っていたのだが。

    おでこを隠す髪型は、多くの場合自己防衛の本能的自意識が現れていることが多いことは、判っていた。だから、あれだけの歌手がそんな髪型を守り続けていることが奇妙に感じられたのである。

    それが鮮烈に甦ったのは、娘宇多田ヒカルがいっきにメジャーシンガーに昇りつめたときだった。このときも、エッ、そうだったのかと衝撃を受けた。しかし藤圭子を演じた歌手は、もう大衆の前にしゃしゃり出てくることはなかった。そう思う。

    が、今朝、彼女は、誰もが予期せぬ形でメディアに現れたのだ。新宿の街のアスファルトに自らを叩きつけて・・。

    あの時代、騒然とした新宿の街に最も相応しかった歌手が、同じ新宿で命を絶った。裏側に何があったかは知らない。死を持って藤圭子を演じた歌手が何を伝えたかったかも判らない。

    ただ、今現在の何かが崩れたのだという、漠とした感慨だけがモヤモヤとした気分で残っている。

    おそらく藤圭子を演じた歌手は、「心を唄う」ことを求めていたはずだ。でも、時代は、もう一人の歌手が「心を唄う」ことなど必要としなかったのだ。テクノ技術で作られた唄が、受け手を莫迦にするように跋扈している。

    こんな時代だからこそ、今、私たちは小声で呟いてみてもいいだろう。

    ♪どうすりゃいいのさこの私 夢は夜開く・・と。

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    category: 異化する風景

    thread: 異化する風景  -  janre: 学問・文化・芸術

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