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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    温故知新~表現者の宿命 

    JT

    温故知新という言葉があります。

    古きを訪ねて新しきを知るという意味です。

    でもしかし世の中には、古きを訪ねて、そのまま真似事のような作品を提示して済ましている場合があります。

    それは、想像力の欠如としか言えません。表現に携わる者なら、何としても自らの何かをそこに込めようとするからです。

    そう言えばこんな話があります。その昔、とある見世物小屋の蛇使いが、別の見世物小屋の蛇使いに怒って言ったそうです。
    「やいやい、オレの蛇使いを真似するな」
    「いえいえ真似などトンでもありません。そもそもあたしの蛇使いは、あなたの蛇使い術の上をいってますし、蛇もですよ、あたしのは西方浄土からやって来たキングコブラ様ですから。蛇使いと言っても明らかに別物ですよ」
    「ええい、うるさい。こっちの蛇はお上から頂いた蛇だ。なんならお上に訴えるぞ。お前の蛇は使えないようにしてやるぞ」
    まあ、よくは判らない話なんですけど・・・。

    例えば、将棋駒なら龍山を訪ねて影水が独自作品を生み出したでしょうし、競馬なら野平祐二や岡部や河内、田原のいい処どりで武豊が生まれ、郷原柴田の気を受け入れて横山典が生まれたのでしょうし、勝新の芸に徹する役者バカ振りはあるいは松田優作らに伝わった気がします。先人の見事な生き様が、新しい才能の開花を手助けしたに違いないのです。

    伝承され、さらに進化させなければ、表現はあり得ません。見事伝承した彼らは、彼らのものとして表現を高めたのです。例えば古き良き事の形だけの紹介など、その他大勢の仕事で、実は作家にとっては何の意味もないのではないでしょうか?問われるのは、さてあなたはそこに何を為し得たのか?なのです。

    21世紀に入ってからの日本は、格差社会の拝金主義が増長して、どうも本物とまがい物の区別が疎かになっているような気がしてなりません。秘伝などという排他的な言葉もあります。でもそれは、例えば能を極めた世阿弥が、一子相伝の秘中の秘と言うなら、命懸けで伝承する覚悟も伝わってきますが、今は多くの場合、戦術的な方策で、秘するべき価値もないものが秘伝として商売の種にされているような気もしないではありません。

    どうやら私たちは今こそ、見せかけではなく、本物とまがい物の明確な区分をすべき時代に生きているのではないでしょうか?

    えっ?本物とまがい物の境界線は?って。私見ですが、本物は100年後の自分に自信を持っています。まがい物は、今の利益確保に汲々として狼狽えています。

    そんな視点で、いろいろなことがもう一度検証される時代が始まるのではないでしょうか?私たちは、醜い大人たちの姿に大きな落胆を見過ぎてしまっているようですから。そんな気がしてなりません・・。

    などと、思いを巡らしている内に、日曜日の夕刻が過ぎて行った。

    今日の夕食は、手作りの自家製揚げ立てコロッケとメンチ。庭で育てたサニーレタス。ぶりっ子(卵)の甘辛煮付けに、冷奴。それにウィスキーを多めの適量(?)。ジャガイモは甘く、自家製サニーレタスは本来の苦みを含んだシャキシャキ感で一杯でした。豆腐の独特な匂いも乙なものです。そう、これもまた温故知新。美味さには創造性の深みがあるのです。心地良く少し酔ってみたときに、何故かパソコンを打ち始めていた訳ですが、何か心に満たされないものがあるんでしょうかねぇ?こんな私にも・・・。


     
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    category: 異化する風景

    thread: 異化する風景  -  janre: 学問・文化・芸術

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