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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    盤~木口の宇宙的紋様 

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    3枚の将棋盤の木口の写真を撮ってみた。ちょっとフラッシュが反射して映りが悪いが・・・。

    左から、柾目(天柾か)、木裏、柾目だ。

    一本一本の年輪が、時間にして1年が刻まれていると考えるなら、こんな小さな写真の中に、数百年の時間が刻まれていることになる。受けとめる発想や視点を少しだけ変えてみると、ここにはまさに宇宙的時間が込められているのだとも言える。

    もうひとつ判るのは、榧の木の根付いた場所の生育環境である。種がどこに根付くのかというのは、人工的植林ではない限り、偶然の気まぐれで、たまたま根付いてしまった場所が、厳しい環境だったかそうでなかったかは、年輪の幅で判ってくる。

    2枚目までの画像より、3枚目の年輪の幅は広い。それだけ楽に成長できたということだ。でも逆境に耐えて育った榧が刻み込む細かな年輪の方が、やはり眺めて風合いがあるのだ。

    おそらく人間であっても、厳しい現実に耐えて齢を重ねて育ちきった人物の方が、スクスクと育った人物よりも、情緒的な風合いにより深いものがあるのと同じことだろう。ただ人間の場合は、見える表の顔の他に隠された裏の顔もあるから、少しだけ複雑にもなるのだが・・・。

    ともあれ、榧の木口の表情に宇宙的時間を感じると、興味がさらに湧き、眺めていても少しも飽きない。

    こんな楽しみもあるんだと、改めて感じ入る今日この頃・・・。




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    category: 将棋駒

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    榧盤の香り 

    DSCN2186.jpg

    しばらく前に榧の将棋盤が届いた。桐の蓋を開けると、プーンと榧特有の香木の香りが部屋の中を駆け巡るように漂ってくるから、一般論として日本産の榧盤であるのは間違いないだろう。そこから先のよもやまについては、残念ながら専門家ではないから判然とはしないのだが・・・。

    5寸にほんの少し足らない柾目で、脚にはオオイレが施されている。 DSCN2190.jpg

    まあ、私の手元にあるなら、十分以上の盤だろう。

    ほんの少しの不満を、敢えてあげつらうなら、縦横のサイズに少しばかりの余裕が足らないことだ。DSCN2188.jpg
    が、それとても今後使い込んで直しをすることもないだろうから、私にはあまり重大な瑕疵とはならない。

    じっくりと見回しても、盤にはほぼ傷もないから、あまり使われずに飾られていただけのような気がする。こんな出会いは、偶然の賜物である。

    以前から決意しているように、いつかは「前沢」の盤(囲碁でも将棋でもどちらでも構わない)と出会いたいから、それまでのつなぎの気持ちなのだが、それにしては満足度の高いものだったから、何となく幸福感を覚えている。ルンルン・・・。

    でもなあ・・・。これで、普段使用の中国産3寸卓上盤に、うねるような木地模様からおそらく九州産だろう天柾の5寸盤と木裏盤、それに5寸の木裏の囲碁盤と、そして今回の将棋盤。いつの間にかどんどんと部屋が狭くなってきているのは、どういう訳だろう?

    将棋盤が増えたのは、ここ5年ほどの間のことだが・・・。たぶん度し難い性格の反映なのだろうと、少しばかり反省もしているが、中国産以外の盤の桐蓋を開くと、今は4重奏で榧特有の香りが漂ってくるから、止まらない、止められないのだ・・・。

    ハイ、私はアホなのでしょうねぇ・・・本当に。だって、背中を病んでからは、脚付盤の前で長くは座っていられる身体じゃないんですから・・・。ああ、それなのに、それなのに・・・。アホそのものと言えますね、ハイ・・・。






    category: 日々流動

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    巻菱湖 

    DSCN0935.jpg

    この3日間出かけていて、昨夜帰って来ると、待ち構えるように知人から連絡があった。
    曰く、「某所で賑やかに話題にされているよ」と。
    だが、その場所は、総合案内スレッド自体に「では、嘘を嘘と見抜ける貴方、お楽しみ下さい」とあり(いやそのスレッドの表記もあるいは嘘なのかも知れないが・・苦笑)、言わば世間の井戸端会議のようなものだと認識しているので、特に感想はなかった。

    まあ、話題になった理由は、出かける前に、私がある意志を持って、由進作「巻菱湖」の駒を、オークションに出品したことにあるのだろう。せめて私自身を直接に知る方たちだけには、本意を伝えておかねばならないのではないか?そう思った。

    これまで私は、「駒蒐集家」とか「駒愛好家」、あるいは「駒の研究家」などと、自分を規定したことはない。

    ただただ、とある一瞬に、駒に魅せられてしまった単なる駒好きでしかなく、その立場で、自分自身の関心のままにアプローチしてきただけなのだ。それを文章にしてきたのも、所有すること以上に文章にすることが、私にできる方法だったからである。それ以上の意味はない。

    6年前、ひとりの駒師と幸運にも出会い、その作品を見守る中で、私自身も学んできた。良きにつけ悪しきにつけ、新しい人との出会いもあって、その作業は加速度をもつけて形になってきたのである。それなりに楽しい作業だったと言える。

    最近、駒師由進(出石)についてブログで触れないなどと言われるが、その最大の理由は、去年彼の駒が棋界最高峰の名人戦対局駒となったからである。そうなったら、何を選択し、何を友として、あるいは何を目標として、どう生きていくかというような作品世界は、もはや彼自身の選択にしかなく、部外者の入る余地はないと考えているからである。ここまでなのか、あるいはこの先まで可能性を秘めているのか、そんなことは、もはや作り手自身の人生観でしかないのはいうまでもないだろう。これ以上は、余計なお節介でしかないし、ある一人の駒師がどう育っていくのかという書き手としての私自身の裏テーマは、もはや完結しているのかも知れない。

    ここ6年の間、私は駒師由進の作品を通して、あるいは根底の土台として、見極めの軸としてきた。
    じっと背後から見つめてきた感想からすると、由進流「巻菱湖」は、すでに彼の作風としての書体は完成しているのである。(人の好き嫌いは別物だが)

    ここで私の書き手としての刺激を求める天邪鬼な心が動くのだ。私は、例えば相撲なら、幕内上位から小結関脇に出世しようとする力士の瞬間に、大きな関心を抱くのだ。大関横綱となってしまうより、この若く荒々しい同時に粗々しくもある瞬間に輝く才能に魅かれる。その意味では、駒蒐集家やブローカーなら大関横綱となってからがビジネスチャンスなのかも知れないが、私にはそれは関心外のことである。そんな輩が一人ぐらいいてもいいだろう。誰しもがあなたの心の欲と同一の生き方をしている訳じゃない。

    私自身の得た結論は、由進の想いとは別なものだったのかも知れない。「安清」「長禄」「宗歩好」などに、これからどう完成していくのかという可能性を見い出すが、すでにそれなりの完成期を迎えている「巻菱湖」には、これ以上の表現の醍醐味を感じないのだ。勿論、手元に置いておけばそれなりに楽しめる駒であるのは間違いない。

    もうひとつ思ったことがある。「巻菱湖」は、一見難しそうに見えるが、字母さえしっかりしていれば、極端に言えば駒作りの初心者さえ、ある程度は形がついてしまう不思議な書体であることに気づいていたからだ。(勿論彫り駒は彫りの技が必要となるが)だからこそ、それなりにいい「巻菱湖」をより多くの人たちの眼にとめて貰うべきだろうと。

    で、さらに考えた。考え抜いた。最近、駒のオークションも何となく低迷している印象があるし、駒の価格もわずか数年前とは比べものもないほど低迷している。ひとえにそれは、きちんとした駒が、きちんとした形で流通していないからなのではないかと。良いものが、たまには流通しなければ、購入意欲も下がり、結局はじり貧になってしまうことになる。

    しかし、そのためには、密かに代行業者を使って出品したら、意味はない。掘り出し物の良さをアピールしなければならないだろうからだ。価格は、それが今の駒に対する購買意欲の現実だから、その評価を知るだけでもこれからの参考にはなるだろう。

    かつては、製作の情報を世に伝えることが大事だと語っていた由進が、どこかの誰かのアドバイスを受けた結果なのか、ブログ更新を止めて秘密主義化しているその方策の効果も、果たして末端まで浸透しているのか否かという形で試されて明らかにもなるはずだ。

    今あるがままの現実を敢えて知るために、私は実行した。駒は道具だ。もはや平箱でしまったままの現状より、使われる喜びを駒に与えるべきでもある。いいものは、流通してこそいい噂をも呼び込むに違いない。

    結果は、総閲覧数が1500を超え、ウォッチリストにはその1割ほどが登録されていた。関心を呼ぶさざ波が沸き起こっていたようだ。それだけでも敢えてやってみた成果はあったのだと解釈している。落札価格も、中古品と考えるならそれなりの評価だったと感じる。いや、私は駒が小さな投機・投資の材料と考えてはいないからなのだが・・・。勿論、きちんと看板を掲げて納税をも果たす著名なエージェントやマネージャーがつけば、この限りではないだろう。でも、そもそも作品というものは、作者の死後に2度と手に入らないという状況下で価格は高騰するものではないだろうかとも思っている・・・。


    余波?私は世間様の井戸端会議で、由進の作に飽きて手放したならず者と断定されているようです。でもそれも、今回実行してみたチャレンジが引き起こしたさざ波なのでしょう。どんなことであれ、多少は賑やかでないと面白くないですから。

    でもね、私の手元にはまだ3作の由進作の盛上げ駒があって、大事にしているんですから。ご安心くださいませ、ハイ。

                         DSCN0796.jpg(今のお気に入りの「宗歩好」)



    category: 将棋駒

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    コメント返信に替えて 

    どういう理由か、コメントの返信ができません。
    (☆yahoo経由ではfc2のホームが今日は不具合でした。2度目は、MSのエッジからやってみるとOKでしたのですが、何故かは判りません)

    で、いったんこの場で返信をしておきます。

    「1ファン様
    初めまして。コメント、ありがとうございます。
    ちょい悪オヤジ風なのか、本グレオヤジ風なのか、はたまた浅草喜劇や吉本新喜劇的道化オヤジ風なのか、まだ自分自身でも正しい評価はできないでいます・・・苦笑です。
    しかし、こんなふうに読み込んでくださる方が確かにいるという実感は、しがない文章書きの励みとなります。ほんのりとした温か味を感じました。
    確かに、気の遠くなるような宇宙時間の中で、たまたまただ1個の卵子を目がけて数億の精子が殺到する最初の生存競争に打ち勝って誕生した自分をイメージすると、そうかなるほどなと、自分自身が凄く尊い存在でもあるんだと感じない訳にはいきませんね。
    この私のページの根底のテーマも、ささやかなことでも好奇心を抱き、それに一所懸命に戯れることであるのも、実はそういうことからきているのだと思っています。
    これを機会に、これからもよろしくお願いします。
                                      鶴木 遵」

    category: 未分類

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    髭の現在 

    DSCN2167.jpg

    伸ばし始めて現在40日目。アゴにシェイバーを最後にあてたのは、日本ダービーの日の朝だから、確かである。

    でも、どうして私がやると、単なる無精髭のレヴェルを超えないのか?それが哀しい・・・。道化者の悲哀をヒシヒシと実感している。

    そもそもは、こんな髭に憧れて始めた「精悍さの追求」だったはずなのに・・・。

    例えば、マカロニウェスタンのころのC.イーストウッド。           f1976c2b7614f4dcc8b61701687f1338_4186.jpg
    あるいは、今、朝9時からBSでオンエアされている新座頭市の勝新。      zatouichi1-630x420.jpg

    いや、こうじゃなきゃいけないのに、現実は厳しい・・・。

    まあ、やはり素材が悪いと、いい作品にはならないということの実証例なんだろうが・・・。

    それにしてもである。

    お化粧で誤魔化すわけにはいかないし、そんなことはそもそも邪道だろうし、あるいはこのままもっと時が刻まれれば、時代の流れに自ずと刻まれた味が生まれてくるかとも考えたが、まさか将棋駒ではあるまいしと、考え直した。

    結局は、生きながらえているということは、現実を背負って歩むしかないということなのだから、耐えて耐え抜いて今をしのいで行くしかないのだろう。どうせ私などは、人為的な淘汰の作業の果てに選ばれて生まれて来た訳ではないのだから、選別される以前の素材の悪さは、最初から合点承知の助なのだよ、諸君。

    そうか、どうせ変えられない自分がいるのなら、せめて周りの世界を変えてみたらいいのではないか?環境を変えるということは、少しは取り巻く現実を変えるということにもなるのでは?

    そうだ、そうなんだと改めて気づき直して、日曜日には1票を投じてみようか。しないより、せめてした方がいいに決まってる。

    でもねぇ、髭を見比べて見る度に、それにしてもと心が揺らいでしまうのだが・・・。

    いやいや、こんな私だって、それなりに雰囲気のある衣装を着て、少しはそれなりの表情を作り、その上で一流カメラマンに撮影してもらったなら、何とかなるかもと、気を取り直して、もう一度アゴ髭を触って、頷いてみた。

    何はともあれ、こんな剽軽とも言える都合のいい明るい思考と、その裏にある道化者の哀しさの同居が、私そのものなのだろう。

    そう居直って、日曜日には1票の我儘を貫いてこようかと、そう思うのであります。
    何なら、あなたも一緒にどうですか?



     

    category: 日々流動

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