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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    年の瀬の贈り物~大内九段から 

    年の瀬の昨日、思わぬ贈り物が届いた。

    大内延介九段からだった。封筒を開いてみると、『叙勲記念』の扇子だった。  DSCN2044.jpg

    大内九段は、この秋の叙勲で長年にわたる将棋界での功績を称えられ『旭日双光章』を叙勲された。その記念品が届いたのだ。感謝感激である。

    私自身は、JCの日にお祝いの口上を申し上げただけなのに、逆に、お気遣いを頂いてしまったのだ。

    嬉しくなって、扇を開いてみると『玄妙』とある。
    国語辞典を開いてみれば、その意味は、「奥深くて優れている様子」という意味で、実は以前から好きな言葉だったので、宝物になった。
                         DSCN2045.jpg

    実は有馬記念の日に、お会いする予定だったのだが、急な所要があったのかで、残念ながらお会いできなかった。
    別件での用事もあるので、正月明けに、改めてお礼がてら連絡を入れてみようかと考えている。
    名著「将棋・端攻め全集」に象徴されるように、大内九段の独自世界は魅力的である。だからこそ、もはや棋界重鎮である大内九段には、これからもいろいろと、経験と機知に富んだ教えを受けたいと願っているのだが、さて私に果たしてその資格があるや否やということが、それが問題だろう。
    でも大内九段は、野暮なのに粋を語るような人間や、偉そうに勿体つけて似非を語るような人種や、仲間内から平然と搾取を図るような輩を、持ち前の江戸っ子気質で好まないが、私がそんな人種ではないことだけは理解して下さっているので、それだけは救いである。

    年の瀬に素晴らしい贈り物を頂いて、これで心置きなく2016年を迎えられる。
    皆々様、良いお年を!





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    category: 日々流動

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    2015有馬記念~中山芝2500m その② 

    埴輪馬

    レースの前にターフヴィジョンには、午後3時現在の入場者数が発表された。その数12万1319人。おそらく世界のどこにも閉ざされた空間で(ゴールという)1点を12万人が凝視するイベントはないだろう。場内に、ある種祭りの興奮のような大歓声が沸き起こった。

    やがてファンファーレが鳴り響き、15番ゴールドシップがゆっくりと最初にゲートに導かれた。馬は落ち着いていた。大観衆の間にホッとした安堵が伝わってきた。

    係員が離れて、一瞬の息を飲み込んだような沈黙。次の瞬間にガシャーンとゲートが開いた。

    各馬一斉にターフに飛び出した。出遅れた馬はいなかった。しかし、五分のスタートを決め、せめて馬群の中団辺りにつけようとしたのか騎手内田博幸の手は動いたが、ゴールゴシップは、馬自身がそう決めていたかのように、いつもの後方のポジションに控えた。

    ここから1周目の第4コーナーまでが、この日の有馬記念の最初の勝負どころとなった。どの馬が主導権を取るかというポジション争いである。

    最初に先頭に立ったのは、吉田隼人ゴールドアクターだったが、ルメール・リアファルがほんの少し立ち遅れたのを確かめて、横山典弘キタサンブラックが先頭に立った。2番手はリアファル。ゴールドアクターはそのままじっと他馬を行かせて3番手。自在に騎手の手綱に応える競馬上手であることを示した。その直後のインにデムーロ・サウンズオブアース、外に蛯名正義マリアライトが続き、川田将雅ラブリーデイは好位5・6番手のインを確保した。

    ポジション争いが決着すると、隊列はそのまま崩れずに進んだ。前半5F62秒4のスローペースが保たれていた。

    レースが動き始めたのは、残り5F(1000m)地点辺りから、予想されたように、後方外からゴールドシップがいっきにまくり始めた瞬間だった。大歓声がまるで轟音のように場内に木霊して響き渡った。ウォー・・・!!

    馬群はスピードを上げて凝縮し、2度目の勝負処を迎えた。それは、4コーナーだった。

    いっきにまくり上げようとしたゴールドシップは、ここでまくり上げられなかった。外から迫るゴールドシップに抵抗したマリアライトをも交わせなかった。「まくり」の勝負に挑むなら、ここでまくり切って先頭に立たねばならない。先頭に立つことで馬の闘志にさらに火が灯されるのだが、今のゴールドシップには余力はなかった。何とリアファルはズルズルと馬群に飲み込まれていった。何らかのアクシデントが起こったようだった。

    残り300m。先頭を守っていたのは横山典弘キタサンブラック。明らかに追撃態勢に入ったのは、吉田隼人ゴールドアクター。川田将雅ラブリーデイには、あの右回りの京都大賞典で示したような弾むような瞬発力が見られない。もたついていた。

    残り200m。ゴールドアクターが先頭に立った。馬群の中からは、サウンズオブアースが差し迫って来ていた。

    坂を上り切った。ゴールドアクターとサウンズオブアースの差はグンと詰まった。少し遅れてキタサンブラックとマリアライトが熾烈な3着争いをしている。ラブリーデイは5番手辺りから突き抜けては来られない。

    吉田隼人ゴールドアクターが首差を死守して最初にゴールに駆け込んで、2分33秒の有馬記念のドラマは終わった。人馬、共に初G1制覇の初々しいドラマとなった・・・。

    ここ10年の間で、巨頭社台グループ以外の牧場の生産馬が有馬記念を勝ったのは、2007年岡田スタッド生産のマツリダゴッホ以来2頭目である。遡ればトサミドリに繋がる母系で、牧場の地道な努力がようやく報われた結果となった。素晴らしいことである。

    勝利騎手インタビュー。吉田隼人は言った。
    「・・・くじけないでやっていれば、良いこともあるので・・・」
    12年前にデビューしたときには、兄吉田豊より弾けていると評価も高かったが、時代の波に揉まれてそれなりの苦労を体験してきたのだ。腕を腐らせなかったことこそが、本人の努力の賜物でもあったろう。

    今朝、家を出るときにはゴールドアクターを買おうと思っていなかった私が、有馬記念が終わったときには馬連だが的中馬券を持っていた事実。何時間も、ひたすら考え抜いた閃きは、吸い込まれるように勝負の神様に導かれて、幸運な結末となった。
    良かったとホッとする反面、これなら4頭ボックスの3連単も獲れたかもと、もう俗世の欲にまみれているようでは、度し難い奴であるのだが、それももうひとつの私自身なのだろう。

    最終Rは買わないの?と隣の席の知人に言われて、そうか、これが2015年の最後のレースかと思い、それなら今年は、デムーロとルメールの年だったから、お祝いにその組み合わせを1点だけ買おうかと決めた。
    結果は?
    見事デムーロ1着、2着はルメールで、最後のハッピーエンドカップは終わった。これも競馬である。
    でも、来年もまた、脳が軟化しないように、考えに考え抜いて、閃きを掴み、勝負の神様に導かれたいと願って止まない。

    帰路は、いつものメンバーで下総中山の法華経寺境内の茶店に立ち寄り、ひとしきりワイワイと過ごして、池袋からレッドアローに乗った。体は疲れ切っていたが、心はハイの状態で、何とか帰宅した。うん、それもそうだ。何せ、去年の万馬券に続いて2年連続の有馬記念的中だったのだから。
    でも、でも・・よくよく考えると、この秋に続いた1-3着病の治療費を、少しだけ取り戻したに過ぎないのです、ハイ・・・・。まあ、それでもいいんですけどね・・・・。




    category: 競馬

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    2015有馬記念~中山芝2500m その① 

    埴輪馬

    朝8時過ぎに家を出て、レッドアローで池袋。丸の内線で大手町。東西線に乗り換え西船橋。そこから220円の専用バスで中山競馬場。いつもの関東甲信越小さな、いや大きな旅で、来賓受付からゴンドラに上り、「優駿」招待ルームにやっと着いたのは11時過ぎ。たどり着くまでに、かなりのエネルギー消耗状態になるが、今ではもう諦めている。

    部屋に着くと、見知った先客と挨拶代わりのジョークを飛ばして、そのままゴンドラに出て椅子を確保しがてらカバンを置いた。この席が今日の私の拠点となる。ホームストレッチの坂を上り切った辺りの地点で、おそらく眼の前がこの日の有馬記念最大のヤマ場を迎える場所となるはずだ。

    昼を過ぎた頃、しばらく会っていなかった知人からメールがあり、「小5の息子にせがまれて、今日は中山にいます」とのこと。電話してどのあたりにいるかと聞くと、「ゴール前のフェンスの近くに場所を確保できた」とのこと。「じゃあ、ちょっとそこまで行ってみるから」と答えたものの、今日の場内は人が多く混雑していて、一般席の通路にまで溢れ、人をかき分けそこにたどり着くまでが一苦労だった。年末27日の故か、熱気に殺気までもが入り混じっていて、まごまごしていると罵声も浴びせられかねない雰囲気である。久し振りにかつての有馬記念の風情を味わったような気がした。少しばかりの立ち話をして、互いに元気なことを確かめ、私はまたゴンドラに戻った。

    私自身は、競馬に親しんだ当初から(と言っても子供のときからだが)、レースがあるからといってどのレースにも手を出すことはしてはいない。知っている馬たちが出走する狙ったレース中心主義で、長続きしてきた。だからこの日も、有馬記念まで、様子見でほんの少しだけ買って、本番の為に競馬の気分を高めようとしたのは、2歳重賞のホープフルSだけで、後はひたすら有馬記念のことを考えようとしていた。たまに人様につき合ってワイワイと余分なものに手を出すこともあるが、そんなときにはいつも大怪我が待っていることを体験してきてもいた。

    ひとつのことを、これでもかこれでもかと考え抜いていると、とある一瞬に自分の中で何かが閃くようなときがある。勝負の神様を迎え入れて、自分自身が憑依された瞬間と言ってもいいだろう。でもいい加減な集中では、そんな神々しいときを迎え入れられないことも、もはや経験的に理解している。だからその考える忍耐の時間は、私にとっては身を浄める禊ぎの時間でもあるのだ。おそらくそのことは、古来から伝承される民俗学や芸能の心に触れている方には理解してもらえるだろう。

    第9R。何かを暗示するように豪快にディープインパクト産駒ハートレーが豪快に差し切ったホープフルSを終えて、2015有馬記念のパドックに16頭の精鋭たちが集った。

    じっと各馬の状態を見守った。
    朝日杯からのこの1週間、競馬マスコミの間では、実に様々な風説や予想が飛び交っていた。残念ながら、ホラこれなら大穴馬券的中でしょうという見せかけの大言壮語が中心で、感性や想像力に富んでなるほどと感心させられるものは少なかったが・・・。

    私は、この有馬記念のテーマをスローペース、右回り2500mと考えていた。
    内田博幸とゴールドシップのコンビが復活したニュースを知っても、おそらく今のゴールドシップの残り1000m地点からの「まくり」は4コーナーで他馬の抵抗にあうだろうと読んだ。
    右回りという条件で、M.デムーロ・サウンズオブアースへの期待は持ち続けた。
    最近のもうひとつ自分への自信が漲っていないように感じられる川田将雅の騎乗が気がかりだったが、2015年を楽しませてくれたラブリーデイには、それでも期待を失わなかった。
    負傷した北村宏に代わってキタサンブラックに騎乗することになった横山典弘には、レースの流れを見切って、何か仕出かしてくるかも知れないとの予感を持った。
    神戸新聞杯から応援したC.ルメール・リアファルには、直前のこの1週間に専門誌各紙で多くの2重丸の本命印が集中し始めたことに、何となく嫌な予感がし始めていたが(とかく勝負事は人々の思惑の裏をかく結果となるという意味においてである)、それでもじっくりと見てみようかと決めていた。
    最終追切の気配の良かったゴールドアクターは、去年の菊花賞3着馬ではあったが、この夏の函館で復帰したときにはまだ1000万条件で、これまで闘ってきた相手は明らかに格下であり、もし11月のアルゼンチン共和国杯でゴール前にやっとアタマ差メイショウカドマツを交わせなかったら、そもそもこのメンバーの中にはいなかった馬だと思っていた。しかし、それだけ強運の持ち主だったのは間違いない。
    それが、パドックを観る前までの私の所感だったのである。

    じっと出走各馬を見守る。
    ラブリーデイ。JCのときより状態のベクトルを少しばかり下げているように直感したが、それでもこの馬への期待は失わなかった。
    サウンズオブアース。眼が印象的だった。まるで戦場に赴く兵士のようなギラギラとする力に溢れていた。
    キタサンブラック。またひとつの成長を感じた。
    リアファル。少しばかり気が上ずっているような印象だった。
    そしてゴールドアクター。好気配の雰囲気を放っているように感じて、何度も確かめるように目線が行った。
    ゴールドシップ。競走馬として走りたいと馬が欲しているのではなく、もはや種馬として早く「やりたい」と願っているような微笑ましさまで感じてしまった。

    私は、本馬場入場から返し馬まで馬を見続けた。
    最初にゴールドシップが先入れで馬場に入ってきてギャロップに入ると大歓声が上がった。これがこの馬の大衆人気なのだ。
    気になる馬たちがそれぞれの思惑のままに馬場に散って行ったとき、私は決断した。

    やはり決めていた通り、ラブリーデイからサウンズオブアースの馬連を勝負馬券にして、キタサンブラックと、ほんの少々リアファルを抑えておこう。それに、あまりにも好気配に感じたゴールドアクターから、今日の眼が気に入ったサウンズオブアースと、好きなラブリーデイへの2点を抑えておこうか。これは趣味の応援馬券だ。吉田隼人には、07年秋天皇賞のアグネスアーク2着で大勝利させてもらった恩もあるし・・・。

    この閃きが、ずっと考え抜いていた私が、勝負の神様を迎え入れた瞬間だったのかも知れない。

    ☆この項、さらに続く。











    category: 競馬

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    朝日杯FS~阪神芝1600m 

    埴輪馬

    まだ朝日杯FSが阪神芝の桜花賞コースで行われることに慣れずに違和感が残っているが、それは言っても始まらない。

    阪神競馬場に集った大観衆には、この日、いくつかの見ておきたいことが、自らの想い出の引き出しに確かに刻み込んでおきたいことが、あったのだ。それを楽しみにして、期待に胸を膨らませていたのだ。

    最大の楽しみは、騎手武豊による、前人未到のJRA全G1制覇の瞬間に立ち会えるかも知れないという期待だったろう。JRAには、現在24RのG1レースがある。そのうち2つは、春の中山グランドジャンプと冬の中山大障害だから、平地レースのG1は22レース。騎手武豊は、1987年3月のデビュー以来、ここまで異なる21のG1レースを制覇してきた。残すは、この朝日杯だけとなっていた。今年は、笹田和秀厩舎の期待馬エアスピネルに騎乗して、堂々の1番人気の本命馬で参戦したのである。

    また、或いは競馬の血のドラマに期待したファンもいただろう。笹田厩舎のエアスピネルは、今から10年前の2005年、笹田和秀の師匠であり義父でもある伊藤雄二調教師の管理馬として、オークス2着、秋華賞制覇したエアメサイアの産駒だった。笹田調教師は、当時調教助手として日々のトレーニングに携わっていた。この年のオークス馬であり、遠征したカリフォルニアのオークスまで勝利したのは、シーザリオだった。言わずと知れた菊花賞・JC馬エピファネイアの母でもあり、今年はM.デムーロ騎乗のリオンディーズをこの朝日杯に角居厩舎から送り出していた。
    つまりは、共に種牡馬キングカメハメハを父とするエアメサイアとシーザリオの産駒同士の、2005年オークスを彷彿させる血の代理戦争の様相もあったのである。歴史は覆されるのか、歴史は繰り返されるのか、10年前を知る競馬ファンも一緒になって血をたぎらせることになった。

    ファンの期待をより高めたのは、エアスピネルの前走デーリー杯2歳Sの圧勝だった。ゴール前では手綱を控えて、2着の小倉2歳S馬シュウジを3馬身半突き放していた。
    どんなレースをするか、ファンの興味は高まらない訳がなかったのである。

    デーリー杯2歳Sでの3馬身半差は、ほとんど決定的な力量差だった。同じ路線から出走した馬は勝てないだろう。別路線で、阪神マイルに耐え得る馬を探すと、そこに浮かび上がるのは、1か月前の2000mの新馬戦を上り33秒4の瞬発力を示して勝ち上がったリオンディーズしか考えられない。あのムーアも16日の発表で騎乗停止となって乗れなかったことも、2頭を浮かび上がらせる要因となった。

    朝日杯のことを考えれば考えるほど、たとえ人気であっても、結論は揺るがなかった。
    そんなドラマを、集った大観衆もTV画面の前のファンも観たいと望んでいたはずである。

    レースもまたその通りの、ゴール前の一騎打ちとなった。

    ゲートが開いて、隊列が決まったとき、武豊エアスピネルは中団外のポジションを確保した。それは、他馬に邪魔されずに安全確実に勝つための必殺の騎乗法であり、馬も充分に折り合っていた。後は、直線で追い出せばいい。

    このときM.デムーロ・リオンディーズは最後方にいた。騎手が控えたというより、利発な馬自身がそれを選び取った印象だった。

    第4コーナーを廻って直線。
    スーッとエアスピネルが馬群を突き抜けた。
    リオンディーズは、最後方から大外を廻ってホームストレッチを迎えた。

    この時点で、武豊は勝利を疑わなかったろう。エアスピネルは、上り34秒の脚で馬群を突き放していたのだから。

    最大の誤算は、リオンディーズの凄まじい瞬発力だった。それが発揮されるのを事前に理解していたとしたら、武豊にも対処の方策は用意されていたろうが、その脚を知るのがこの朝日杯になってしまったことが誤算だったということである。

    M.デムーロの追い出しに応えてリオンディーズが発揮した最後方いっきの末脚は、上り33秒3。

    坂を駆け上がって、2頭は他馬を4馬身突き放して、突き抜けた。

    ゴール地点では、1・2着の着差は3/4馬身差となったが、この両馬のマッチレースは、観る者全員を魅了して止まなかった。

    勝利騎手インタビュー。M.デムーロは明るい笑顔で言った。
    「あの、ユタカ君は、まだこのレースを勝っていない・・ユタカ君、ゴメンナサイ」
    少しも嫌味に聞こえないのが、ミルコの人となりである。

    こうしてディープインパクト産駒のいない朝日杯は、キングカメハメハの素晴らしい産駒2頭の1・2着で決まったのである。







    category: 競馬

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    隆洋作・水無瀬彫り駒 

    杉並のM君こと隆洋から、久し振りに駒写真が送られてきた。

    今月に入って、少しばかり持病の頭痛が悪化して、医師の診察を受けたら、「1月末までの療養が必要」との診断書が出され、今は自宅待機で仕事に出られない状況なのだという。

    診断書の病名はそれなりに深刻だが、時間を手にして、ここぞとばかり好きな駒作りに励んでいると、頭痛もどこかに飛んでいくというから、心が満たされてさえいれば、どうやらそれ以上の病状の進行はみられないらしいので、根っ子は子供のように明るい性格だと、私は思っている。

    だからM君こと隆洋には、
    「結局さあ、見ていると、自分でハイになって、自分で落ち込んでいるんだから、何事ものめり込まずにバランス良くしなさいよ」
    と、言い続けている。

    この隆洋、仕事をしているときは、自宅近くの「将棋サロン荻窪」に以前から顔を出している。

    「将棋サロン荻窪」は、平日には、棋士や女流棋士が集って、研究会が開かれてもいる数少なくなったメッカの将棋道場だ。席主は新井敏夫男65歳。49歳のとき「将棋サロン吉祥寺」の経営を引き継ぎ、4年前に荻窪の現在地に移転した。

    道場通いをする中で、隆洋は少しづつ人の輪の中に溶け込んで、2年前に駒作りを始めてからは、数作の駒を、棋士や奨励会員が集う道場の研究会に寄贈をしている。

    「古流水瀬」の一字彫りは、行方尚史八段の研究会用のお気に入りになっているし、豊川孝弘七段とも覚えもめでたい関係が生まれた。

    勿論、ここに至るまでには、駒研での北田如水や敬愛する蜂須賀芳雪の指導も受けたし、同時に2番弟子として八幡浜の師匠出石の教えも受けてきた。健康なときには仕事に没頭しながら、それでも道場通いや駒作りの時間を作って、何とか事ここに至ったのである。

    最近ようやく取り組んでいた「水無瀬」の彫り駒が完成して、それを道場の研究会用に届けることができた。

    新井敏男席主は出来上がりを認めてくれて、代わりに道場無料スタンプを10枚プレゼントしてくれたそうである。

    それはこんな駒だった。        s-IMG_5653.jpg道場の盤に乗せている。

    木地は、北田如水の手になる「島黄楊古木斑入り糸柾」で、書体は「水無瀬」だ。古木故か、隆洋が最終仕上げに磨くと、いっきに赤味が増して変化(ヘンゲ)した。隆洋作の第7作だ。ここ2年間の成長は、確かに刻まれている。
    もうひとつ字母が生き生きとしてきたら、最高なのだが・・と、私自身は、自分のことをさておいて、正直そう感じたが、第7作目の通過点として見るならば、それはないもの強請りとも言えようか。現時点では、充分に合格点だろう。

    1番弟子清征と共に、あたかも競争するようにこの2番弟子隆洋が、これからどんな風になって行くのか?そんな姿を陰から見守るのも楽しいことである。

    ひとつこれから心して欲しいのは、便利に使われてはいけないということだ。作品作りは、結局は自分自身がどこまで行こうとするかを唯一の拠り所とする作業である。間違っても、人との癒着や利害一致の人間関係が生み出すものではないだろう。一途に黙々と作品作りに邁進することでしか、作者・作家の未来などは生まれはしないのである。誰かを稼がすための便利屋は、結局は便利屋で終わるのだ。作品を作る情熱は、熱を失ったら、それまでなのである。
    心して欲しい。自分自身の大きな可能性の為に。
                           
                             第7作 水無瀬島黄楊古木柾目










    category: 将棋駒

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