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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    暑中お見舞いです 

    JT

    ご無沙汰でした。
    2週間の私的バカンス。と言っても、基本的には机まわりから離れぬ生活で、今月前半の梅雨の湿気に耐え、その後は熱暑にひたすら我慢するだけ。

    途中、仕事がらみで地方に出張2度を挟んで、今までやり残していたよもやまの事柄を整理整頓。何せまるで亜熱帯のような気温では、頭を使いたくても、ボーッとしたままで、それは無理というものでした。

    で、いろいろやってましたよ。仕事場の模様替え(エアコンがもっと効率良く効くようにと)や、使うだけだったダンヒルのライターの分解調整とか、ネットで水槽用にミナミヌマエビとスジエビを購入して、ついでに水槽を洗い清めて、4年振りに水のパラダイス作りとか、メダカの卵を孵化させたり(100匹以上の稚魚が元気に生まれています)・・・。活力ある勢いに満ち満ちた夏野菜(トマト・インゲン・ピーマン・ナス・シシトウ・トウモロコシ等々)の自作料理も堪能していました・・・。もし海辺に暮らしていたら、タカベの塩焼きやシンコやアナゴの季節なんですけど、山暮らしゆえに鮎で我慢していましたが・・・・。

    いえいえ、遊んでばかりいたのではありません。安保法案の衆議院での強行採決に落胆と呆れた気持ちを抱きながら、こんな私にも、何かできることはないかと考えたり、やらされるのではなく本当にやりたい仕事に邁進しているかと自分に改めて問いかけたり(やらされて未来を閉ざした例は身近にも多くありますから)、少しばかり遅くはなってしまいましたが(いよいよとなるまで我慢してしまうのが国民性なのかも知れません)、遂に動き始めた平和を希求する学生や市民たちの輪の心情に打たれたりして、それなりに忙しさを覚えていましたから。

    そんな風に流れ動いていたある日、しばらく更新されなかったブログを見て、群馬のIさんが、心配して駒木地の写真を送ってくれました。
         赤荒柾 島黄楊島黄楊赤荒柾の木地で、幸運にも東京の某駒師さんから購入したのだそうです。これは、今はまだ若手彫り駒師清征が、やがて時を得て、初めて盛上げ駒に挑戦するときに作って欲しいと準備したと聞きました。いくらで作ってくれとか、他者に転売しようなどという邪念はなく、自らの使用駒用にかかった費用は負担しますと連絡したそうです。そこまで謙虚に言われたら、べらぼうな値段になる筈はありませんよね、人情としても。多分来年中には完成するでしょう。楽しみなことです、ハイ。

    整理整頓の日々の中で、駒のこともあれこれ考えていました。
    その結論は、やはり味のある作品でなければつまらないというものでした。たぶんその味は、巧みな技術があっても教科書の中から抜け出たような駒には感じられないものでしょう。同時に、売らんがための半端なブローカー的感性でも生まれません。かの龍山や奥野や木村や影水は、おそらく本物の目利きができる有力な支援者と出会いを得る幸運に恵まれたからこそ育ったのでしょう。そう思えてなりません。

    ともあれ、皆さんに暑中お見舞い申し上げます。




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    category: 日々流動

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    理想と現実~矢巾町HP教育「いじめ防止基本方針」から 

    JT

    4日前の7月5日。岩手県矢巾町矢巾北中学2年の少年が鉄道に飛び込んで死んだ。
    そしてその後、新聞記事等を通して、次第にその死が、いじめに起因する自殺であることが明らかになった。

    「またか・・・また起こってしまったのか・・・」というのが、少年の哀しい死に対する率直な感想である。

    その後、報道された校長の発言や、今は病欠しているという担任女性教師の少年が訴えた「生活記録ノート」への他人行儀な返答(誤字さえあるものだった)を知り、義憤すら抱かざるを得なかった。教育に関わる者としての矜持と責任が、まるで感じられなかったからである。

    そこで、矢巾町の役場の公式HPを閲覧してみた。教育のコーナーに「いじめ防止基本方針」が高らかに宣言されていた。
    ブログでは少しばかり長い文章だが。敢えて全文を引用しておこう。


    矢巾北中学校「いじめ防止基本方針」

    Ⅰいじめの防止等のための対策に関する基本的な考え方
    1いじめの問題に対する基本的な考え方
    いじめは、いじめを受けた生徒の教育を受ける権利を著しく侵害し、その心身の健全な成長及び人格の形成に重大な影響を与えるのみならず、不登校や自殺などを引き起こす背景ともなる深刻な問題である。また、最近のインターネットを介した、いわゆる「ネット上のいじめ」は、いじめを一層複雑化、潜在化させている。
    いじめの問題は、学校が一丸となって組織的に取り組むことを第一義とし、家庭、地域、及び関係機関等の協力を得ながら、社会総がかりで対峙することが必要である。また、いじめの問題の解決には、生徒にいじめを絶対に許さないという意識と態度を育てることが大切である。
    こうした中、本校は、学校教育目標に掲げる「友愛」-自他を尊重し、正義を愛する生徒-の精神を育むことにより、いじめを生まない環境を築くとともに、すべての生徒が生き生きとした学校生活を送ることができるよう教育活動を推進する。そのために、校長のリーダーシップのもと、全教職員がいじめの問題に対する感性を高め、組織的にいじめの未然防止、早期発見・早期対応に取り組む。
    2いじめの定義
    「いじめ」とは,児童等に対して,当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童と一定の人的関係のある他の児童等が行う,心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって,当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。【法第2条】
    〔具体的ないじめの態様〕
    ・冷やかしやからかい、悪口や脅し文句、嫌なことをしつこく繰り返し言われる。
    ・意図的な仲間はずれ、集団によって無視される。
    ・遊ぶふりをして叩かれたり、蹴られたりする。
    ・金品をたかられる。
    ・嫌なこと、恥ずかしいこと、危険なことをされたり、させられたりする。
    ・パソコンや携帯電話で、誹謗中傷や嫌なことをされる等。
    3いじめの基本認識
    (1)いじめは人権侵害であり、いかなる理由があっても許される行為ではない。
    (2)いじめは人間関係のトラブルを機序としているため、いじめられた側及びいじめた側の両方の生徒、並びにそれを取り巻く集団等に対し、適切な指導と支援が必要である。
    (3)いじめは教師の生徒観や指導の在り方が問われる問題である。
    (4)いじめは家庭教育の在り方に大きな関わりをもっている。
    (5)いじめは学校、家庭、地域社会などすべての関係者がそれぞれの役割を果たし、一体となって取り組むべき問題である。
    (6)いじめはその行為の態様により暴行、恐喝、強要等の刑罰法規に抵触することがある。
    Ⅱいじめの未然防止のための取組
    1教職員による指導について
    (1)学級や学年、学校が生徒の心の居場所となるよう配慮し、安心・安全な学校生活を保障するとともに、生徒が互いのことを認め合ったり、心の繋がりを感じたりする「絆づくり」に取り組む。
    (2)自己有用感や自尊感情を育むため、生徒一人ひとりが活躍し、認められる場のある教育活動を推進する。
    (3)すべての教師がわかりやすい授業を心がけ、基礎基本の定着を図るとともに、学習に対する達成感・成就感をもたせる。
    (4)生徒の豊かな情操と道徳心を培い、心の通う対人関係能力(の素地)を養うため、全ての教育活動を通じて、道徳教育及び体験活動等の充実を図る。
    (5)いじめ防止の重要性に関する理解を深めるための啓発その他必要な処置として、道徳、学級活動等の充実に努めるとともに、年2回の「いじめ防止全校集会」を実施する。
    (6)保護者、地域住民及びその他の関係者との連携を図りつつ、いじめ防止に資する生徒が自主的に行う生徒会活動に対する支援を行う。
    2児童生徒に培う力とその取組
    (1)自分も他人も共にかけがえのない命を与えられ、生きていることを理解し、他者に対して温かい態度で接することができる思いやりの心を育む。
    (2)学級活動や生徒会活動などの場を活用して、生徒自身がいじめの問題の解決に向けてどう関わったらよいかを考え、主体的に取り組もうとする力を育む。
    (3)学級の諸問題について話し合って解決する活動を通し、望ましい人間関係や社会参画の態度を育てるとともに、違いや多様性を越えて合意形成をする言語能力の育成を図る。
    (4)「心とからだの健康観察」を活用した心のサポート授業等をとおして、児童生徒一人ひとりのセルフケアやストレスマネジメントの力を高める。
    3いじめの防止等の対策のための組織
    本校は、いじめの防止等を実効的に行うため、次の機能を担う「いじめ対策委員会」を設置する。
    (1)構成員
    校長、副校長、主幹教諭、指導教諭、教務主任、生徒指導主事、養護教諭、スクールカウンセラー
    【重大事案発生時は右を加える】=学校評議員、町教委担当者、その他関係機関
    (2)取組内容
    ①いじめ防止基本方針の策定
    ②いじめにかかわる研修会の企画立案
    ③未然防止、早期発見の取組
    ④アンケート及び教育相談の実施と結果報告(各学級・学年の状況報告等)
    ⑤いじめ防止にかかわる生徒の主体的な活動の推進
    (3)開催時期
    いじめ事案の発生時は緊急開催し、事態の収束まで随時開催とする。
    4児童生徒の主体的な取組
    (1)生徒会による「いじめ撲滅宣言」や「STOPいじめ作戦」等の取組
    (2)いじめ防止標語・ポスターの作成
    (3)好ましい人間関係づくりをねらいとした生徒会行事や取組
    5家庭・地域との連携
    (1)学校いじめ防止基本方針を、ホームページや学校通信に掲載するなどして広報活動に努める。
    (2)PTAの各種会議で、いじめの実態や指導方針について説明を行う。
    (3)いじめ防止等の取組について、学級通信や学年通信を通じて保護者に協力を呼びかける。
    【例】「いじめのサインに敏感に!」:元気がない、体調不良、食欲不振、持ち物がなくなる等、いつもと違う子どもの変化に気づいてもらうための内容など
    (4)授業参観において、保護者や地域住民に道徳や特別活動等の授業を公開する。
    6教職員研修
    いじめの防止等のための対策に関する校内研修を年間計画に位置づけて実施し、いじめの防止等に関する教職員の資質向上を図る。
    (1)いじめの問題にかかわる校内研修会年2回(7月、12月)
    (2)いじめ問題への取組についてのチェックポイントによる自己診断年2回(6月、11月)
    Ⅲいじめの早期発見のための取組
    1いじめの早期発見のために
    (1)いじめや人間関係のトラブルで悩む生徒が相談しやすいよう、日頃から教職員と生徒が信頼関係を築くように心がける。
    (2)日常の観察については、いじめ行為の発見だけでなく、生徒の表情や行動の変化にも配慮する。(学級担任は、日記や生活ノート等も活用する)
    (3)いじめは大人の見えないところで行われるため、授業中はもとより、休み時間、給食時間、部活動においても生徒の様子に目を配るよう努める。
    (4)遊びやふざけあいのように見えるいじめ、部活動の練習のふりをして行われるいじめなど、把握しにくいいじめについても、教職員間で情報交換をしながら早期の発見に努める。
    (5)いじめの兆候に気づいたときは、教職員が、速やかに予防的介入を行う。
    (6)地域や関係機関と定期的な情報交換を行い、日常的な連携を深める。
    (7)相談ポストの設置。
    2いじめアンケート及び教育相談の実施
    いじめを早期に発見するため、生徒や保護者からの情報収集を定期的に行う。
    (1)生徒を対象としたアンケート調査(こころのアンケート等)年3回(5月、11月、2月)
    (2)保護者を対象としたアンケート調査年2回(6月、10月)
    (3)教育相談を通じた生徒からの聞き取り調査年2回(6月、10月)
    3相談窓口の紹介
    いじめられている生徒が、教職員や保護者に相談することは、非常に勇気がいる行為である。
    いじめを大人に打ちあけることによって、場合によっては、いじめがエスカレートする可能性があることを十分に認識し、その対応について細心の注意を払うこととする。
    いじめの兆候を発見したときは、関係する教職員で迅速に情報を共有し、適切な対応を行う。
    本校におけるいじめの相談窓口を下記のとおりとする。○日常のいじめ相談(生徒及び保護者)・・・・・・全教職員が対応
    ○スクールカウンセラーの活用・・・・・・・・・主幹教諭、生徒指導主事
    ○地域からのいじめ相談窓口・・・・・・・・・・副校長
    ○インターネットを通じて行われるいじめ相談・・学校または紫波警察署
    ※24時間いじめ相談電話(県教委)・・・・・・・019-623-7830(24時間対応)


    ここに記されている理念理想は、正しいのだろう。では何故、いじめに起因する少年の死が起こってしまったのか?
    これを機能させるだけの人間が、教育現場にいなかったということだ。これが事実だろう。
    理念理想の制度はきちんとまとめられてはいるが、それが人の手によってないがしろにされている現実が、現在の日本が抱える問題の根源なのだはないだろうか?

    永田町には、最高法規「憲法」を、閣議決定という姑息な手段で、ないがしろにしようと企む人間たちもいる。司法、立法、行政の3権分立の精神が、今は何故か行政権力優位の独裁が図られている。さすがに世論の動向はその修正に向かおうとしているが、昨年の総選挙の選択が誤りであったかも知れないとの自己批判が取り敢えず必要だから、すでに道は険しくもなっている。ほぼ御用ジャーナリズムの中での情報が、物事の本質を隠そうとする方向に働いているから、一部の気概を持ったジャーナリズムを除いた記事などは、新聞というより政権宣伝パンフレットになってしまってもいる。

    かつての日本には、小作人制度という農奴制が存在したが、今は中間搾取され身分保障もない派遣社員制の普及によって労奴制社会が現実化している。憲法が保障する自由平等の精神は、不自由不平等の固定化に変わった。でも大新聞やTVなどのマスコミの場所からは、明日は我が身なのに声も上がらない。いじめを訴えた少年に接した教育現場の図式と同じなのだ。

    そしていつの間にか、機能不全に落ちて、矢巾町の少年M君の様な哀しい死を迎えてしまう結末にもなってしまうことになる。
    あるいは、少年の死をもって行った抗議は、今の日本の、日本精神の死をも象徴しているのかも知れない・・・。

    リべラルな精神風土を墓場に葬ってはならない。それは、絶えずゾンビのように復活させ、甦らせ続けなければいけないのである。







    category: 世相を読む~極私的注目のままに

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    月曜の早朝~2つのサッカー大会 南米選手権と女子ワールドカップ決勝 

    JT

    日曜日には早くベッドに入り、月曜朝の女子サッカーワールドカップ決勝戦を見ようと思っていた。

    が、あまりにも早くに寝ついた所為か、午前2時過ぎには起きてしまい、そのまま眠られずに起きてしまったのだ。

    さしあたりやらねばならぬことや、やりたいと思っていたことを手早く済まして、退屈しのぎにTVのスウィッチをONにしてみると、12チャンネルTV東京でライブの男子サッカー南米選手権決勝戦が中継されていた。

    メッシのアルゼンチンと開催国チリの決勝戦だった。

    いやはや見始めたら、とんでもないゲームだった。まさに、これぞ南米のサッカーNo1決定戦という印象で、凄まじい選手の気力と集中力に満ち満ちていたのである。特に印象的だったのは、互いにとにかく走り抜いてゲームを作る迫力に圧倒されることだった。まるで彼らが、走り抜く侍戦士であるかのようで、いっきにゲームに惹きつけられたのである。

    サッカーが走り抜く格闘技であることを証明するかのように、ゲーム展開はスピーディで、それ故、一瞬の気の緩みさえも許されず、格闘するファイトに負けると、その瞬間に攻守の処を変えてしまうスピードに溢れ、選手の闘志は途切れることはない。

    解説に寄れば、両チームともアルゼンチン出身の監督が率いているのだという。流れるスピリットに共有感覚があるからなのか、それ故ともに引き下がることを知らず、巧みなテクニックで前に前にと攻め続けて、観る者を飽きさせることなく、ゲームの中に引き込んでいく。

    この感覚は、いまだ日本男子のサッカーには見えないものだった。もし、どちらかのチームに肩入れして見守るならば、観客にも選手と同様の熱き血が体内に巡り巡るに違いない。闘争本能をたぎらせて走り抜く選手に、圧倒的な存在感を見せつけられてしまったのである。

    延長もスコアレスで、最後はPK合戦となり、開催国チリが勝ち抜いたのである。

    その興奮は、朝7時になっても冷めなかった。そのまま私の気分は、女子ワールドカップ決勝戦へと突入した。

    南米選手権の迫力とは別の魅力、すなわち華麗流麗なパスワークで相手を翻弄するなでしこジャパン。しかし彼女たちもまた、基本的には90分を走り抜く選手であり、現段階の男子のナショナルチームとは一線を画している。少なくとも私はそう思っている。

    だが、ゲームが開始されてからの16分間で、何がどうしたとか考える暇もない時間の間に、4点をアメリカに奪い取られてしまった。体勢を立て直して再度心を引き締める間もない魔の時間が訪れてしまっていたのである。特にセットプレイからのゲーム序盤の2点の失点は、観ている者さえ何が何だか判らぬ間の出来事になった。

    サッカーの1点の重さは、他のゲームの1点とは違う。2点の先制は、もはやゲームそのものの結果が確定してしまったとも言えるものだ。その後、流れの中の所謂なでしこ流から大儀見のゴールとオウンゴールで2点返したとしても、それは善戦以上の何物でもなかった。

    ゲーム開始直後、どうしてそれが起こってしまったのかは、そのときフィールドに立ってはいなかった私には、今正解は解らないが、おそらく起こるべくして起こってしまった結果なのだろう。誰の責任というよりも、アメリカ大応援団に囲まれたまるでアウェイの様な決勝戦の雰囲気に、飲み込まれてしまったのではないだろうか。あるいは、自分たちが為さねばならなかったことを、先にやられてしまった悲劇的なショックだったのかも知れない。あるいは勝利の欲を持てるだけの力の過信があったのかも知れない。

    月曜の朝、南米選手権での男子チリチームの勝利への貪欲さに満ち満ちた無心なる闘争本能と、勝てるだけのチーム力を持っていたために落とし穴に嵌まり込んだなでしこの落胆を同時に観客として体験した私は、改めて勝負の怖さを感じざるを得なかったのだった・・・。







    category: 異化する風景

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    駒木地成形~清征の今 

    駒師清征の準備は、着々と進行中である。
    昨年、木地師杉亨治の最初の弟子となって、指導を受ける中、何が必要で、どんな準備をすればいいのかということが理解され、その間、今では得意となってきた彫り駒を数組作りながら、木地にも触れる駒師となるべく怠りなく準備をしてきた。

    清征 厚み調整治具②    清征 駒成形 グラインダー

    最初に、細やかに駒木地を成形できるグラインダーと、それに使う治具を用意した。

    そして、
    RIMG0128清征 木地成形用ベルトサンダー①     RIMG0125清征 ベルトサンダー④

    最近は、より加工できるベルトサンダーまでが整った。自ら考案して工夫したアイデアを込めてもみた。

    後は、黄楊の原木をみかん割りする電のこを用意して、板木地に仕上げる腕を磨けば、黄楊の原木から駒木地を自分の元で作れるようになる。
    最近、近隣の知り合い(と言っても90歳の高齢者だ)が、10年以上も前に切って保存していた原木をプレゼントしてくれた。ただ原木は、水分がある内に板木地にしておかねば固く引き締まってしまい作業が大変になるので、この原木は勉強用である。聞けば、固く締まった黄楊の木は、無理に切ろうとするとのこが負けてというか、木地にのこの刃が食い込んで、木の固まりが勢いをつけて飛んでくることさえあるというから慎重にならざるを得ないのだという。

    いろんな勉強をしながら、時間を作って欠かさず駒作りにも励んでいる。夜になると、とにかく駒を作りたくなって、疼くように気持ちが高まってくるから、最初の苦しい段階を卒業した今は楽しくてならない時なのだろう。どんなジャンルでも、作り手はこれを繰り返して進化して行くのである。

    駒師清征の最新作の彫り駒は、恒圓書彫り駒、中国黄楊赤杢彫り駒である。
    如何に派手好みの時代だとは言え、ちょっと木地が派手過ぎじゃないかと訊いてみたが、笑って頷いていた。予想を超えて爆発力のある赤杢だったようだ。

    参考までに前作の薩摩黄楊柾目恒圓書の写真を載せておこう。  kiyomasa kouen1(私の好みは、こちらの方だ・・)


    今週末に木地修行に上京する予定だが、ちょうどその日は私は地方に出張予定で会えないのが残念だ。
    こんな清征の様な期待できる若手は、便利に使われると小さく育ってしまうことがある。最初から大きく育てる意志を持って見守る人に恵まれる運が必要なのだが、それも清征自身が判断して進んで行くべきことなのだろう。

    言い古されたことだが、精進あるのみである。










    category: 将棋駒

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