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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    ゴールドシップ様ブービー~宝塚記念・阪神内回り芝2200m 

               150628H11KI032.jpg(宝塚記念当日ゴールドシップ 写真:石山勝敏)

    最終追い切りから、当日の装鞍所、パドック、本馬場入場、ゲートインまでは、何事もなく、まるで平穏無事なゴールドシップのための宝塚記念だった。
    そう、あの瞬間までは・・・。

    金曜の深夜、最終追い切りを録画しておいたGC画面で確かめて、レース当日のパドックを迎えるまで、私は、ゴールドシップは買わずに、3頭の好きな馬たちを買おうと決めていた。そう、春天皇賞のときにもここに書いていたデニムアンドルビーとラブリーデイ、それに別路線から参戦のヌーヴォレコルトである。

    2015年の古馬の前半戦は、結果はともかく、この3頭をずっと応援し続けて来ていた。

    阪神大賞典はデニムアンドルビーが2着だったが、春天皇賞は距離に泣いたラブリーデイも、阪神大賞典2着に踏ん張った影響からかデニムアンドルビーも惨敗し、おまけにヴィクトリアマイルのヌーヴォレコルトもいつもの伸び脚がなく敗れ、その結果、5月はオークスまでずっと、おとなしく過ごすはめになっていた。おまけに原因不明の右膝の痛みにも襲われてもいた。

    だからこそ2200mの宝塚記念になったら、成長著しい上り馬ラブリーデイの脚も、デニムアンドルビーの追い込みも、ヌーヴォレコルトの切れ味も復活すると、夢を見続けていたのである。

    最終追い切りの時点では、その着眼を良しとして疑わなかった。3頭の調教気配は、私には走る気が満ちていると思えたからだった。ゴールドシップについては、実はこの馬も人に従わない我儘な気まぐれさが好きで、ずっと応援していた馬だったのだが、去年の有馬記念から軸馬として信じることは諦めるようになっていた。もはやどうにもこの馬の精神状態を想像することができなくなってしまったからである。だから有馬記念も、AJC杯も、春天皇賞も買わなかった。阪神大賞典のときだけは押さえた記憶がある。

    でも最終追い切りから、パドックまで、ゴールドシップの様子には、少しも乱れはなかった。パドックで歩く姿も、踏込は鋭く、集中して歩いていた。
    ラブリーデイも輝く好馬体で集中していて抜群の気配だった。デニムアンドルビーもヌーヴォレコルトも、私には走れる状態に映った。

    この辺りから、私の3頭馬連ボックスの決断が、少しずつ揺らぎ始めた。これまで阪神6勝2着1回のゴールドシップに、何の不安を抱かせるものがなかったからである。

    馬場入場から、ウォーミングアップ。ラブリーデイもデニムアンドルビーもヌーヴォレコルトも走る気を発散していた。しかしそれ以上に、ゴールドシップは余分なことを何もせず、いやいやの気分も見せず、いやこれは走る気になっているゴールドシップだなと、少しも私に疑いを抱かせなかったのだ。

    締め切り時間がドンドン迫ってくる。かねて決断した通りに3頭の馬連ボックスにするか、はたまたゴールドシップから3頭に流すか?恥ずかしながら、迷いがいっきに生じてしまった。

    さてどうする?時間は、そうしている内に過ぎて行く。かねての決断に従って絞るか、今日の不安のかけらもないゴールドシップを信じてみるか、あるいは私の方法にはない4頭馬連ボックスにして散らすか?軍資金に余裕があれば、たいした問題ではないが、少ない原資の中で闘うには、絞って絞り抜くことが、実は効率の良い決断となる。先週の勝ち分で勝負するような強気なときなら、負けて元々よと、捨ててかかるのだが、今はゼロにしたくはないと、弱気な心が囁きを始める。

    うーん・・・。私は弱い人間だった。結局、最終追い切りまでは強気だった私は、ゴールドシップの落ち着きある姿にほだされて、ついに負けた。負けて、4頭の馬連ボックスの安全策に走ってしまった。そもそも3点のつもりが、倍の6点の均等買い。1点当たりの購入額は悔しいことに半減した。

    場内にファンファーレが鳴り響いて、大歓声が沸き起こっても、ゴールドシップはまだまだ冷静だった。

    黒いメンコをかぶされて、最初にゲートインしてもまだ落ち着いていた。まさかそれからわずか1分後に、あんな事態を迎えようとは・・・。

    最後に大外枠16番ゲートにラブリーデイが誘導された瞬間に、隣のゴールドシップの気配が明らかに変わった。

    嫌々をするように、ゲート内で立ち上がり始めた。1度、2度・・・。もさもさと動いてすぐにスターターはゲートを開けられない。2度目に立ち上がって地面に足をついた瞬間をとらえてゲートが開いた。が、そのときには、ゴールドシップは3度目の立ち上がりを見せていた。

    結果、他馬に遅れること数秒のタイミングでゲートを出ることになってしまった。完璧な気配でそのときを迎えようとしたその瞬間に、ゴールドシップは、またもや「ただ1頭我が道を行く気分屋」に戻ってしまったのである。誰の責任でもない。ただただゴールドシップに潜む狂惜しさなのだ。でもこの狂惜しさが不在したら、おそらく強いゴールドシップもいないのだ。

    松若風馬レッドディヴィスの逃げで始まったレースは、前半5F62秒5のスローペース。第1コーナーまでに自ら主張して2番手を確保したのが川田将雅ラブリーデイ。余程状態に自信があったのだろう。

    中団に岩田康誠ヌーヴォレコルト。出遅れたゴールドシップの前に浜中駿デニムアンドルビー。このポジションはデニムアンドルビーの指定席だ。

    淡々とした流れでレースは進んだ。

    残り1000m地点を過ぎた辺りから横山典弘ゴールドシップが捲り上げようとしたが、一度気分を害した故か、強いときの気迫はもはや微塵も感じられなかった。4コーナーでインから外に出ようとしたデニムアンドルビーの動きをも抑え切れずに、逆に外へと振られてしまう程だった。

    直線。
    川田将雅ラブリーデイが最初に馬群から抜け出した。そこに大外からレース最速の上りタイムで浜中駿デニムアンドルビーが追いこんできた。
    ゴール地点。
    この2頭が他馬に2馬身程の差をつけて首差の攻防を演じた。3着から9着まで、僅差で馬群はほぼ一団となってゴールを迎えてもいた。秋華賞馬・池添謙一ショウナンパンドラが3着。菊花賞馬・酒井学トーホウジャッカルが4着。岩田康誠ヌーヴォレコルトは5着だった。
                         150628H11KI062.jpg(ゴール)

    ショウナンパンドラ騎乗の池添謙一のイン攻撃の騎乗と、菊花賞以来の出走となったトーホウジャッカルの復活の狼煙は、明るい話題となったと思う。

    私?ええ、直線中程では、思わずTV画面に向かって声を上げましたよ、久し振りに・・・。でもレースが決着した瞬間から、弱気になってしまった自分自身を恥じました。勝負に安全策など無い筈なのに・・・。捨て身で掛からなければ、豊穣な収穫などありませんし・・・。
    でも、まあ、ひいきの馬たちの組み合わせで、馬連でも約130倍なら、散らして予定の半分の配当になったとしても良しとしなけりゃ、世間様に申し訳ありませんよね・・・。たぶん来週には、熨斗をつけてなくなるでしょうけど・・・。
    それにしてもゴールドシップ様。つくづくお騒がせな馬です、ハイ・・・・・。

                          150628H11KI080.jpg(勝馬:ラブリーデイ)







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    category: 競馬

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    杉並のM君から届いた駒写真 

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    今朝、杉並のM君から駒写真が届いた。

    かつて駒師出石の2番弟子に志願して字母紙などの教えを受けながら、同時に北田如水の主催する駒研の集まりにも通い、彫りの大家蜂須賀芳雪の傍に意欲的にくっついて、彫りの何たるかを自分なりに学んできた。丸2年が経過して、今年になって自らの駒師名を「隆洋」と命名し始めてもいる。

    このM君、もともとは東北秋田の出身で、実は誰もが知る大手証券会社に入社して上京したが、どうにも職種が合わずに、巡り巡って今は、設備の仕事を覚えて図面を読みながら働き、時間を見つけては将棋駒を作り、杉並の著名な将棋道場にも通って、駒研にも顔を出して学び、実に忙しい暮らしを送っている。去年などは、道場の知人から「後継ぎがいなくて店を止める予定の盤駒店で店番をやったらどうかい?」などと誘いを受けたが、さすがにそれは断りを入れて、替りにその店から、静山作の「錦旗」盛上げ駒を購入してしまった男である。

    変な奴だが、過去には将棋道場に救われた経験もある。20代の頃、もう何もかもが嫌になって、どうでもよくなってしまったとき、たまたま手に取った「将棋世界」の広告で、アパートの近くに将棋道場があることを知り、パソコンゲームの将棋よりはと思って期待もせずに行ってみた。そして、道場の雰囲気に馴染んでしまったのである。おそらく「この場所があれば、オレはまだまだこの世にいたい」と、初めて自分の場所を発見できたのであろう。

    そうして気づいたときは、駒作りまでもを始めていたのである。人生の出会いとは不思議なものだ。もし、この道場と出会うことがなかったら、M君は秋田に帰っていたか、あるいはもうあの世におさらばしていたかも知れないのだ。

    今は、体調を崩さない限り昼は働き、夜や休日は駒作りに励んでいる。

    その彼が、去年の夏から師匠由進の「古流水無瀬」字母紙を自分なりに工夫して、「古流水無瀬」の一字彫りに挑戦していた。NHK杯や、銀河戦の一字彫りの駒が、TV画面で見る度に気に入らなかったから、それなら何とか自分で作ってやるぞと決意したからだ。

    駒写真は、その2作目である。

    まだまだ本人は納得していない。王と玉将の線を全体にバランス良く粋にしてみたいと考えている。0.1mmの線の太さで、書体の印象は大きく変わるものである。「もっとトライしたら、確かな造形美に満ちた書体の世界と出会えるはずだ。そこまでやり切ったときが、字母の出来上がるときだ!」と、信じている。

    そのときこそが隆洋の手になる一字彫り「古流水無瀬」がさしあたり仕上がるときであり、それは誰も本気でやらなかった一字彫りの世界を大きく切り開くときだと信じているのである。

    2作目を作って、そんな思いがさらに強くなった。
    「これはオレにとって、オレ自身がこの世に生きていることの価値あるチャレンジだ。こんなオレが、粋とか、美的洗練度なんてことに挑戦するなんて・・・駒の神様も罪作りなんじゃないか・・・でも、もうやるっきゃないし・・・」

    杉並のM君こと「隆洋」は、今から本気になろうとしている。
    おそらく秋風が吹く頃には、さらに洗練度を増した「古流水無瀬」一字彫りが3作目として出来上がるだろう。それを楽しみにしようか・・・。
                     IMG_5223.jpg    IMG_5205.jpg

    ☆隆洋は、この駒を♯2000番のペーパーで磨いたうえで、また瀬戸仕上げをして、♯4000番、♯6000番まで磨き上げた。一度として油を使うことなく、木地自体の油分を引き出し、駒は艶々と輝いている。将棋駒を作るのは、要領を駆使することではなく、とにかく手間暇かけることだと、この作を通して理解できる体験をしたのである。(この駒木地が、北田如水製作の低価格の練習用木地だとは、誰も思いもよらないだろう)















    category: 将棋駒

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    ユルリ島の野生馬たち 

                        ユルリ島野生馬① ユルリ島野生馬⑤(写真:石山勝敏)

    北海道根室。その昆布港の東約3Kmの沖合に今は無人島となったユルリ島がある。

    凪の日なら小舟でわずか15分ほどの距離ではあるが、オホーツクと北太平洋の波がぶつかり合うユルリ海峡を間にはさみ、冬は流氷も押し寄せるから、海が怒ったら近くても遥かに遠いことになる。

    昆布漁が盛んであった頃に、6軒の番屋が建てられ、定住漁師がいて、皇居1周ほどの島の頂上部は昆布の干し場として利用されていた。

    昭和26~7年ごろに、初めて品種改良された使役馬が島の動力として導入され、長年活躍をしたが、昭和46(1971)年に、ユルリ島定住の最後の漁師が内地に引き上げた。その頃には20頭ほどの馬たちがいたが、仮に内地に連れ戻しても、そのまま市場に出されてしまうことが判り切っていたために、人は、何とか生きながらえる道を与えてやろうと馬たちを島に残すことを決めた。

    ユルリ島は、頂上部が割と平坦で、湿地帯もあり、馬が餌とする草々は豊かに生い茂っていて、馬たちに最低限必要な食料は自給自足で足りていた状況もあり、それが命を長らえることには幸いしたのも事実である。

    それからおよそ45年。確か2008年までは、人は2歳の牡馬だけは種馬を除いて島から間引いて、馬の集団が過剰になることを避ける手助けをしてきたために、ずっと20頭ほどの野生化した集団が維持されてきたのだが、その頃に種馬までも島からいなくなってしまったのである。

    カメラマン石山勝敏は、ユルリ島に’91年から入り、ずっと野生馬たちの写真を撮り続けてきた。きっかけは馬文化財団馬博物館からの仕事依頼だったが、撮るべき対象を得て、その後もユルリ島に通い続けてきたのである。

    しかし、ここ数年は、根室市教育委員会が原則入島不許可の方針で、島には入れずにいた。聞けば、教育委員会に対して、野生馬に対して動物愛護精神が欠如しているとか、島に柵をを作って馬たちを保護せよとか、まるで野生馬であることの価値を忘れて、ユルリ島動物園の馬たちと勘違いするようなクレームが寄せられるようになったことが不許可の原因となったらしい。

                        ユルリ島野生馬② ユルリ島野生馬⑥
       

    人に置き去りにされて生まれたユルリ島の野生馬たちではあるが、写真で見る限り、彼らは北の自然の厳しさに耐えきって、逞しくしかも神々しく生き抜いてきた。それだけでも今のこの時代に貴いものを教えてくれている。

    だが・・・、種馬を失った馬たちは、ここ数年、種の保存ができなかった。時間の経過が、牝馬たちだけとなった馬たちに、自然淘汰の現実として覆いかぶさってきてもいる。

    今日現在、かつては20頭を超える数がいた馬たちも、今は5~6頭の小さな集団となって辛うじて生き抜いているという・・・。

                         ユルリ島野生馬③ ユルリ島野生馬⑦






    category: 異化する風景

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    石山勝敏写真館~2015春 G1 IN FOCUS その② 

    ≪5月:NHKマイルC:東京芝1600m≫ 横山典弘 クラリティスカイ
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    ≪5月:ヴィクトリアマイル:東京芝1600m≫ 岩田康誠 ストレートガール
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    ≪5月:オークス:東京芝2400m≫ 浜中駿 ミッキークィーン
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    ≪5月:ダービー:東京芝2400m≫ M.デムーロ ドゥラメンテ 2冠達成
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    ≪6月:安田記念:東京芝1600m≫ 川田将雅 モーリス 
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    さてさて、サラブレッドの写真を通して、あなた自身のあの日あのときが甦ってきただろうか?
    そうなのだ。記憶に残るレースとは、あなたの人生の一瞬の絵日記となって心に刻まれていくのである。







    category: サラブレッド美の世界~by石山写真館

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    石山勝敏写真館~2015春 G1 IN FOCUS その① 

    2015年。
    もうすでに、あっという間に1年の半分が過ぎようとしている。
    ここら辺りで、競馬ライブハウス石山勝敏写真館の2015春G1メモリー写真集をまとめておくことも必要だろうと考えた。
    2015年春の、あの日あのときを振り返ってみるのも一興である。

    ≪2月:フェブラリーS:東京ダート1600m≫ 武豊 コパノリッキー
                   15フェブ.S コパノリッキー    15フェブ.S ゴール前

    ≪4月:桜花賞:阪神芝1600m≫ 岩田康誠 レッツゴードンキ
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    ≪4月:皐月賞:中山芝2000m≫ M.デムーロ ドゥラメンテ
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    ≪5月:春天皇賞:京都芝3200m≫ 横山典弘 ゴールドシップ
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    ☆明日は、後半の第2部をお届けします。




    category: サラブレッド美の世界~by石山写真館

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