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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    盛上げの作法~駒師清征の挑戦スタート! 

    駒作り。

    彫をさしあたり体得した駒師は、このまま彫を極める鍛錬をして彫駒師として生きるか、あるいは盛り上げに挑戦するかの分かれ道に至る。

    駒字を彫ることで覚えた駒の文法に、さらに漆の文法を噛み合わせなければ、盛上げ駒はできない。だが、盛上げ駒が好きなら、前に進むしかない。彫駒が好きなら、他社の追随を許さぬ彫を身につけねばならない。どちらにしても、作品を創って生き抜く道は、そう簡単ではないことは間違いないのだ。

    淇洲を話題にした文章を読んで、駒師清征から淇洲の飛車を盛上げた写真が届いた。最近になって、清征は少しづつ盛上げの実作業を始めたのである。

    だから送られてきた写真は、清征の最初の盛り上げだと言って良いだろう。

    それはこんな写真だった。
                  1401 清征 淇洲 飛車盛上げ初作

    まだたどたどしいと言えばたどたどしい。初々しいと言えば初々しい。入りの筆にも鋭さが欲しい印象だ。

    しかし、この盛上げ駒をゆっくりと眺めると、基本の文法は押さえられていることは判る。

    筆の選び方、筆の持ち方、筆を置いていく順番、印刀を運ぶようなイメージで真っ直ぐに筆を引きながら曲がりをつける呼吸、曲がりのときの廻し方の筆使いなど、最初の段階で知るべきことは多い。

    清征にとって幸運だったことは、師匠が由進だったことである。これらの考え方や具体的な方法を、由進は、まずは解りやすく教えてくれた。後のことは、慣れてからのことだと。

    やり始めの練習段階なら、滲みも漆のごみもさしあたり気にしなくても良い。とにかく習うより慣れよ。100枚も盛上げれば、誰でも書けるようになります。そしていずれもっと必要な大事なことが解ってきますと、実に大らかな教えだった。

    それは、それぞれの字母の心を理解して、慣れ親しんでみれば、やがてそれなりのものは作れるようになる。そのとき初めて、さて自分はそれをどう表現していくのか自分自身に問えばいい、という合理的な考え方である。

    例えば将棋を覚え始めた子供に、将棋を教えるようなアプローチだと言えようか。詰将棋でも、3手詰めで感覚を掴めば、5手詰めも解けるようになる。そうなれば7手詰め、11手詰めも推して知るべしだ。

    だから清征は、最初の段階からこんな盛上げができた。後は慣れ親しんで行けばいいだろう。そのとき忘れてはならないのは、駒作りが好きだということだけだ。「好きこそものの上手なり」と言うではないか・・・。





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    category: 将棋駒

    thread: 極私的将棋駒の快楽  -  janre: 学問・文化・芸術

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    競馬本のご案内~過去の著作の本注文受付コーナー 

    数日前、2年前の秋に作った「優駿4代目編集長福田喜久男追悼本」のお問い合わせがあり、そう言えば書棚のどこかにまだ数冊残っていたかもと、書棚をひっくり返して整理したのです。

    何とか1冊探し出しましたが、その折、過去に書いた競馬本が、きれいなままでしまってあることに気がつきました。資料用に必要な部数は、すぐに手に取れるところに置いてありましたので、出版社から著者購入で手に入れて、そのまま書棚の奥にしまっていたようです。書籍はどれも5部、文庫は各10部保存していたようです。

    さてどうしたものかと考えて、やはりこのまま死蔵状態にしておくのは忍びなく、それならと思い、この場を借りて本の注文受付をすることに決めました。

    そこで、

    本地注文受付コーナー


    ☆すべての本は、著者購入でしたので、定価の80%でお分けできます。送料は、1部あたり一律200円です。
    ☆過去本ではありますが、競馬の現在を知る上では大いに参考になると思います。何よりも登場人物が生き生きとして、 手に取って下さった方々の貴重な青春の想い出ともなるでしょう。
    ☆新品未使用の保存本です。
    ☆以下の本につき、手元に在庫があります。
    ☆興味を持たれた方がおられましたら、コメント欄から、メールアドレスを入れて、Secretにチェックを入れて秘密メールでお知らせくださいませ。



    勝者の法則>(KKベストセラーズ刊)
    DSCN1138.jpg DSCN113<br />9.jpg 変形大型サイズ豪華グラビア本254頁 残り5部                                                                                                           
              定価税込2800円の8掛け=2240円 写真:石山勝敏 


    調教師伊藤雄二シリーズvol.1 
    DSCN1140.jpgA5版288頁 残り5部
                定価2625円の8掛け=2100円 写真:石山勝敏    


    調教師伊藤雄二シリーズvol.2 「ウソのない競馬を教えよう」
    DSCN1141.jpgA5版310頁 残り5部
                定価2625円の8掛け=2100円 写真:石山勝敏                     

    調教師伊藤雄二シリーズvol.3 伊藤雄二の確かな眼
    DSCN1142.jpgA5版288頁 残り5部
                定価税込2625円の8掛け=2100円 



    調教師伊藤雄二シリーズvol.4 FINAL
    DSCN1143.jpgA5版288頁 残り5部
                定価税込2625円の8掛け=2100円



    KKベストセラーズ刊:文庫 「警鐘」 「真相」
    DSCN1144.jpg240頁  残り:各10部
                定価税込700円の8掛け=560円




    手元にあった競馬本は以上です。サラブレッドの美しさに魅かれ、競馬を愛する方、またこれから競馬の読み物に挑戦しようかという方のお役にたてれば幸いです。

    ついでと言っては何ですが、この機会をお借りしてこの本も改めてご紹介しておきます。おかげ様で好評につき、2刷の残り3部だけご用意できます。



    「駒師吉岡由進~将棋駒を創る喜び」
    DSCN1145.jpg変形B6版
                 定価1500円 残り3部

    長々と宣伝ばかりのようで、心苦しいですが、ご友人、ご親戚、昔の恋人、今は別れたい元恋女房、皆々様打ち揃ってのご連絡をお待ちしております。
    よろしくおん願い申し上げまーす・・・。



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    thread: 異化する風景  -  janre: 学問・文化・芸術

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    祝1000勝!!松山康久調教師!! 祝3600勝!!武豊騎手!! 

    140126N11KI013.jpg(中山AJC杯:ヴェルデグリーン騎乗の田辺裕信は好騎乗だったが、通算400勝達成のTVインタビューはさほどでもなかった)写真:K.Ishiyama


    いろいろと記録尽くめの1日だった。

    中京では、騎手武豊が人跡未踏の3600勝を達成。1987(昭和62)年のデビューから28年。いつのときも日本競馬を支えるトップジョッキーとして、最先頭を馬と共に走り続けてきた。
    単純に3600勝を28年で割っても、=約130。つまり毎年コンスタントにそれだけの勝利を遂げてきたことになる。長年競馬を追いかけてきたファンなら、これが、どれほどとてつもない数字であることかは判る。3年、5年、10年の君臨なら、過去にもそんな騎手はいた。凄いと言われた岡部幸雄でさえ、最盛期はおよそ15年だった。
    それを思えば、騎手武豊という存在が、日本の競馬にとって真の宝物であるのは間違いないし、もはや歴史的存在と言っても良いだろう。3月15日には45歳になるが、肉体が許す限り騎乗を続けて欲しい騎手である。



    中山では、遂に松山康久調教師が、管理馬での通算勝利1000勝を達成した。昨年11月中旬に福島で998勝目の勝利を果たしてから、およそ2か月もの間、どういう訳か勝利に見放され、今週土曜日に999勝をようやく遂げて、そして今日、記念すべき1000勝を飾った。史上14人目、現役2人目であるとともに、故父吉三郎との親子達成の快挙である。

          _R1R3493.jpg(松山康久調教師。後ろは999勝と1000勝を決めた騎手後藤浩輝)
                         写真:K.Ishiyama

    1986(昭和51)年3月の厩舎開業から29年。調教師人生の前半は、名門松山厩舎を創り上げた故父吉三郎調教師を師でありライバルとして自らの厩舎を伸ばし、ミスターシービー(84年)、ウィナーズサークル(89年)と2頭のダービー馬を育てた。サンデーサイレンスの初年度産駒で95年の皐月賞を制したジェニュインも印象的な管理馬だった。

    縁あって私が、初めてトレセンの現場に足を運ぶようになったのは、古馬となったミスターシービーが秋天皇賞を勝利する直前の夏の函館からだった。
    と言っても、右も左もわからぬ初めての競馬の現場である。まして騎手や調教師に何を聞いて良いのかも判らない。訳知り顔で厩舎用語を真似して使うのは変だし、失礼だと考えた。
    だから、じっと朝の調教や、当時はまだ主流だった午後の乗り運動を、邪魔にならない場所でじっと見せていただいていた。
    その内、松山康久調教師が手招きして私を呼んでくれた。厩舎にまで来ても、いつも何も言わずにじっと馬や厩舎作業を見ているだけの私に、不思議な奴だと逆に関心を持ってくれたのだった。このとき私は、厳しい姿勢でマスコミにも接していた松山調教師が、本当は優しい人だと知った・・・。

    それが、私なりの競馬の読み物を創り上げようとした私のスタートだった。松山調教師は、最初の競馬の師匠と言えるかも知れない。

    そう言えば今想い出したが、あの頃、松山厩舎の期待を込めた管理馬は、南Dコースでの最終追い切りで、上り3F39秒で、最後の1F12秒そこそこで追い切られたら、ほぼ勝ち負けの勝負をしていた。尾形一門で育った父吉三郎から伝わった松山イズムは、ある意味スパルタ方式で鍛え上げるシステムで、その方法の成功が、名門松山厩舎を創り上げていたのである。

    後年、時代の移り変わりもあり、岡部幸雄の「馬優先主義」的方策が採用されてからは、次第にかつての実績が薄れて行った印象があるが、それは日本の競馬界の変質と比例している。サンデーサイレンスの時代到来は、日本馬の価格上昇と一体となり、厩舎でのスパルタ方式で競走馬を資質通りに淘汰する方策が次第に敬遠されるようになっていったからだ。

    ともあれ、松山康久調教師の1000勝達成は、私に、そんなことをいろいろと想い出させてくれた。

    2月の東京開催が終わると、70歳定年制により松山康久調教師も勇退する。
    いっとき名門松山厩舎の血が途絶えるが、しかし松山イズムは、スピリットとして必ずどこかで後継され、いずれ再び復活すると信じたい。

    残り1か月の調教師生活。私は陰ながら、松山康久調教師の完全燃焼を祈っている。



    ☆参考ながら、かの松山バレー団創設者松山樹子(清水哲太郎の母、森下洋子の義母)は、松山康久の叔母、父吉三郎の妹である。




    category: 競馬

    thread: 演劇的競馬論  -  janre: 学問・文化・芸術

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    「淇洲」考 

    285由進 淇洲(由進作淇洲) 影水 根杢 淇洲➂(影水作根杢淇洲:大内九段所蔵)


    山形酒田在の大地主、資産家であり、書にも通じ、、はたまた当時将棋八段に推挙もされた文化人が、竹内淇洲その人だった。自ら筆を持って「将棋漫話」を書き残してもいる。そこには、自ら創った「淇洲」書とその駒の由来までが書き綴られ、その内容はもはや伝説となっているらしい。竹内淇洲は、戦後1947年まで生きた。

    1899(明治32)年、祖父伊右衛門が、「将来名人となる人材にこの駒を送るべし」と遺言を残して亡くなった。そのとき託された駒こそ、所謂「淇洲」駒だった。「淇洲」駒は、伊右衛門が、書の才を認めた孫淇洲に創らせた竹内家秘蔵の肉筆書き駒である。

    そのとき果たして何組の駒が創らていたのか、駒の歴史研究家ではない私には定かではないが、秘蔵の肉筆駒であれば、自ずとその数は絞られるというものだろう。僅か数組の駒だったと推測する。同時に、江戸末期に流行ったとされる「金龍」や、「真龍」「昇龍」書体と「淇洲」書体の関係も今一つはっきりとしないが、書に長けた竹内淇洲が、それらを念頭にして凛々しく進化させたのが「淇洲」であると考えると、案外正解に近いのかも知れない。あるいはその逆もまた真なりということかも知れない。いずれにせよ真実は、駒研究者の手に委ねたい。

    5年後の1904(明治37)年、36歳の棋士関根金次郎が酒田を来訪。このとき対局した竹内淇洲が、その才を将来の名人の器と認め、祖父伊右衛門の遺言を守って肉筆の「淇洲」駒の一組を進呈したという。

    翌1905(明治37)年、関根金次郎は、八段、準名人に昇進。その後1921(大正10)年、弟子土居市太郎の功もあり、関西の坂田三吉に手渡すことなく、晴れて十三世名人に就任した。竹内淇洲が才を見込んで「淇洲」駒を贈ってから17年後のことだった。関根金次郎は、1924(大正13)年現在の日本将棋連盟の前身である東京将棋連盟を結成し、また1937(昭和12)年には、自ら70歳での引退声明を出して実力名人制の端緒を開き、言わば現在への将棋道を切り開いたのである。1946(昭和21)年、関根金次郎は、もう一人の弟子木村義雄が実力制初代名人となるのを見届けて他界した。77歳だった。竹内淇洲とほぼ同時代を生きたことになる。

    「淇洲」駒を手にしてからの関根金次郎の活躍を見て、世の中は、「あの駒は向かうところ敵なしの錦旗の駒だ!」とか「出世駒!」と讃えたらしい。

    故にそもそもは、「淇洲」駒こそが「錦旗」の駒だった。豊島、奥野に先行する「錦旗」だったという。「淇洲」の存在が、豊島(龍山)の「錦旗」や奥野錦旗を育てる後押しをしたと考えると、それは実に興味深い事実である。

    ちなみに関根金次郎に贈られた「淇洲」駒は、その後甥となる渡辺東一名誉九段の元に引き継がれ、最後に狂気と礼節のコレクターと呼ばれ、1977年に経営破綻した安宅産業会長安宅英一の元で安宅コレクションの一員となっていたが、その後は消息不明となっていると言われている。残念なことだ。


    さてそこで本題に戻ろう。

    「淇洲」は、将来の名人に託された駒である。

    ならば私は、キリッとした立ち姿を「淇洲」書体に求めたい。クッと力強く締まった王将玉将の寸の縦線こそが、「淇洲」の本来の姿ではないのかと思えてならないのだ。

    修羅の勝負の場所に赴き、眼前の敵を次々と打ち破り、幾多の生存競争を勝ち抜いて、たった一人最頂点の扉を開けたものだけが、名人位を手中に収められるのだ。それは、残酷なまでに孤高孤独な闘いの暗闇を経て辿り着く特別な場所だ。

    名人の抱え持つオーラ、それはあくまでも力強く、それでいて自律自制の心を湛え、しかし眼光鋭く、他を寄せ付けぬ重々しさをも漂わせなければならない。と、私はイメージする。

    ときに凛々しくもない、豊島が関根金次郎の許可を得て、関根「淇洲」駒を写したとされる豊島「金龍」を、またそのまま模したような逆説的に線の優しい「淇洲」が世に存在するが、それは名人を託された者が手にする駒ではありえない。たった一人で最頂点に立つことの深い意味を理解できぬ作り手の駒でしかないだろう。

    その意味で、私は、故影水作の「淇洲」は好きだ。出石作の「淇洲」も好きだ。共に凛々しさが溢れて孤高の世界を醸し出している。だが今を現在進行形で生きている出石作なら、より毅然としたものをもっと強く込めても良いではないかとさえ思っている。

    そう言えば、由進作大内九段書の「怒濤流」にも、共通した凛々しさが漂っている。大内九段の系譜を辿ると、伊藤宗印・関根金次郎・土居市太郎(その最後の弟子大内延介)と流れる言わば名人の系譜である。そこに流れる気概の気風こそが、怒涛流に集約されているのだろう。

                 201206月  由進 怒涛流(由進作大内書怒涛流:大内9段所蔵)
                           
    影水 赤柾 淇洲④(影水作赤柾淇洲:大内九段所蔵)2013 6月 由進・淇洲4(由進作淇洲:H氏所蔵)


    昼下がり、こんな風に「淇洲」書を考えて、愉しんでいた。こんな日もある・・・。






    category: 将棋駒

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    感激屋柴田大知!!また涙か!!~石山勝敏の写真届く。 

    140119N11KI025.jpg

    今朝、カメラマン石山勝敏から、中山京成杯のライブ写真が送られてきていた。

    さっそく文章の中に挿入した。やはり入るものが入ると臨場感が違う。

    ライブの瞬間を現場でファインダーを通して証言するカメラマンの作業は、その瞬間だけでは終わらず、その後作業場に戻って、写真を選択整理して、自ら何をどう撮ってきたかを慎重に確かめて、ようやく束の間ホッとして終了する。

    ネームが入った数枚の写真が石山勝敏から届くのは、それからである。

    文章と写真には、多少のタイムラグが生ずるが、写真が届けば適宜挿入していくので、競馬ファンの方たちには、ときおり過去のレースであっても、ぜひ見て読んで、大いに楽しんで頂きたい。

    と、私も石山勝敏も願っております。
    これからも一貫したスタンスで進んで行きますので、よろしくお願いします。



    category: 競馬

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