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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    3年後の姿~送られて来た写真から 

    朝焼け。海を魔性の力によって支配する月が沈み、緑の大地を喜ばす太陽がゆっくりと顔をのぞかせる、そんな刻限。

    ひんがしに炎立ち始め、赤と黒と青が入り混じってグラデーションを奏でる一瞬の空。それは、妖気ではなく、ただただ人を大宇宙の霊気の前にひれ伏させてしまう神々しいまでの力を見せつける。

    日が昇り来る、最果てのひんがし(東)の地のことを、古代日本原人たちは、日向(ひむか)の地として崇めた。日向を逆さに読むと、カムイであり、神につながる。そこにも何かの意味が隠されているのだろう。

    古代日本原人たちは、自然を、大自然の力を畏れ、崇めた。いわゆる自然崇拝である。

    対して、後の世に移入された外来の宗教は、絶対者からの教えを受けて、諭される形式のものであった。諭す故に、実はどの時代にあっても政治的にならざるを得なかった。

    つまり、日本、日本人を考えるとき、最も注視しなければならぬのは、この「感じる力」を重要と考えた事実なのだ。「感じる力」は、人の5感を研ぎ澄まさなければ働かない。それこそが、日の本の民の特権的能力だった筈だ。
    外来の信仰、或いは宗教は、どう考えても「教え諭す」ものであり、受容者に「感じる力」を失わせただろう。ここに限界があると、私は感じる・・・。

    森には精霊がいきづき、山は山の神によって守られ、火には火の神、水には水の神。そして私たちの中には、それらの存在を畏れ、感じる力がある。

    「感じる力」は畏れがあるから謙虚である。何かに到達したと、おそらくは錯覚する「教え諭す」文明は、すぐに増長傲慢する。しかし文明の予定調和は虚しい。

    「教え諭す」文明は、東北大震災の前に、如何に無力であったことか・・・。


    こんなことを、かつて「妖説このはなさくや姫譚」に書いたな、来年はこれをぜひ本にしなくてはと、ひとり机の前で考えていたとき、一枚の写真がメールで送られて来た。そこで私は、また現実に戻った。




    巻の庄、菱湖村に住むマツ・キ・タ・ミコさんからだった。

    このマツ・キ・タ・ミコさんが、実在の人か、どなたかの筆名であるのか、少し謎があるのだが、推測するに深い絆で結ばれた集合体的人格ではないかと思えてならなかった。

    オヤジでもあり、その信頼できる伴侶でもあり、また子供(元気な凛凛しい男の子か、または愛らしい女の子か)
    でもあり、その集合体は、否応なくたぶんオヤジがリードした趣味を微笑ましく共有している、そんな気がしてならなかった。でももしそうなら、今の時代には、最高の幸せを共有していることにもなる。

    何故、そう思えたのか?

    それは、この写真から判明するに違いない。駒写真だった。

    でも、そのまま載せるのでは味気ない。今から3年後を予測して、マツ・キ・タ・ミコさん(たち?)が使って磨いたら、こんな風になる筈だ、と勝手に色合いに手を加えてみた。そう、5感を機能させて。

    201212 巻菱湖東野炎杢 3年後画像
     うーん、杢が美しい。現実にはもっとおしゃれに現れるのだろう。この杢模様は、今でも「東野炎」と命名されているのだから。

    ならばと、私は、手元にある駒の3年後を予測してみた。

    2012 7月 巻菱湖

    調子に乗って、二つの駒を並べてみよう。旬を迎えるはずの近未来3年後のデモンストレーションだ。

    201212 巻菱湖東野炎杢 3年後画像  巻菱湖 3年後画像

    あれっ?よくよく見ると、これは、木地は違えど、同じ由進作巻菱湖ではないのか?どうもそうらしい。

    どうも、私には、マツ・キ・タ・ミコさんという巻友ができてしまったらしい。

    まあ、いいか。いや、良くない。私は今朝、思索に耽っていたのに、ああ、このマツ・キ・タ・ミコさんの闖入で、駒世界に連れて行かれてしまったのだ。私の5感もだらしないものである。好きなことには、すぐに乗ってしまう程度なのだ。恥じ入ります。

    でもね、予期せぬこんなことがあるから、生きていても楽しいんでしょうね・・・。
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    category: 将棋駒

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    常滑焼朱泥~若き初代雪堂写真集vol.6 

    煎茶を入れて飲む。

    赤くなってゆっくりと燃える炭。手を触れると周りが熱くなった火鉢。その上には、シューッと音を立てて小さな機関車のように白い蒸気を上げる鉄瓶。

    鉄瓶の湯を、湯冷ましに溜めて、しばし待つ。忙しい日常の時間とは違う悠久の宇宙的時間に身を任す。じれったくなる気持ちをグッと抑えて。まるで修行をしているように。

    湯冷ましの湯が適温になった頃を見定めて、急須に入れる。またしばし待つ。

    段々と茶葉が急須の中で広がって、やがて飲み頃を迎える。

    そこで湯飲みに注ぎ、おもむろに味わう。

    口の中に、煎茶の渋みと共に甘味が広がり、鼻には煎茶の香りが抜けてくる・・・。

    いい作品の急須は、注ぎ口から一滴の茶をも垂らすことはない。湯飲みに注いだ後は、スパッと切れ味を見せる。朱泥の鉄分が茶に溶け出すのか、鉄瓶の鉄分なのか、正確には判らないが、こんな急須で茶を入れると、安価な茶でも尖りが消え失せて、煎茶の甘味が増すのである。

    子供の頃から、三河の西尾茶を味わってきた。亡父は、その茎茶を愛していた。宇治や静岡、狭山など知られた茶処はあるが、実は西尾茶こそ知る人ぞ知る茶の名産地である。西尾から碧南、そして衣浦大橋を渡ると半田を経て常滑に着く。常滑は、茶処を抱えてもいたのである。

    今朝は、下段の茶注を久しぶりに使ってみた。今でも通用するデザインの初代雪堂の作である。やはり茶を注いだ後の切れ味はすばらしく、一滴の茶をも垂らすことはなかった。

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    小振りな湯飲みが出てきた。そして平たいフォルムの茶注も。こんな急須には、玉露のような高級煎茶が似つかわしいのだろう。

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    もうまもなくお正月。ならばこんなおめでたい湯飲みも準備しておこうか。

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    オヤッ!朱泥の抹茶碗も出てきた。これも雪堂の作だ。確か3代常山のものもあったような気がするが、どこにしまったのか思い出せない。改めて並べてみたら、同時代に生きた二人の個性の違いは、やはりそうかと納得できたのに。作品というのは、創り手の生き方、生き様の映し鏡なのだ。それは、見せ掛けのプライドも、若さ故の増長や傲慢や不安をも、また老いて尚苦悩する心までも、はっきりと映し出す。だから怖い・・・。

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    ※この稿、まだ続きます。

    category: 常滑焼 朱泥

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    クリスマス前の有馬記念~12月23日中山2500m 

    埴輪馬

    体調はまだ芳しくなかったが、招待もあり、3時間をかけて中山に出向いた。

    前日の土曜日には、中山大障害で、すでにオークスや有馬記念(ダイユウサクが懐かしい)を制している騎手熊沢重文が勝ち、平地と障害競走のG1ジョッキーとなったこと、ラジオNIKKEI杯で、日米のオークス馬シーザリオの産駒エピファネイアが勝ち上がった事を、怪我の治療を終えた後に知って、競馬ファンとして喜びながら過ごしたので、何とか元気な風は装えていた。

    毎年のことだが、有馬記念は、クリスマスの頃に行われようと、年の瀬迫る頃に行われようと、好きな馬の馬券を買って応援することにしている。だから、かつてのオグリキャップやトウカイテイオーの復活馬券は持っていた。
    勝って、負けて、また復活して勝ったオグリは、マイルCSからJCの激走の果てに負けたときには、そんな使われ方に抵抗するかのように柴田政人イナリワンと武豊スーパークリークが本線だったから、あの頃は有馬3連勝だった。1年振りの出走で復活したトウカイテイオーのときは私も一緒に勝利したが、その前年にJC制覇から挑んで、山田泰正メジロパーマーに負けたときは、私も一緒になって暗い正月を過ごしたものだった。ついちょっと前の出来事のように思えるが、よくよく考えると、遠い昔の想い出と言われてしまうのだろう。でも断言するが、私自身の心は、少しも成長しておらず、やはりあの頃のままである。そう思う。

    で、今年の有馬記念は、3頭に絞っていた。

    ゴールドシップ、ルーラーシップ、エイシンフラッシュの3頭だ。人気は世間の欲がつけるものだから、それはもうしょうがない。

    競馬場に着き、「優駿」の部屋に着いたとき、まず知らされたのは、エイシンフラッシュのミルコ・デムーロから
    三浦皇成への乗り替わりだった。尿管結石が理由だった。病気なら仕方ないが、「ありゃ、どうしよう・・」と、私は暗い気持ちになった。エイシンフラッシュという馬は、正攻法で外から横綱相撲をしたらダメなタイプの馬である。馬群の中から、一瞬の脚で突き抜けるとき、最高の能力を発揮する。しかも勝利の壷は一瞬なのだ。一瞬を捕まえて、馬に「気」を与え、狂惜しさを導き出さねばならない。そんな騎乗が三浦皇成にできるのか?もし為しえたなら、明確にG1騎手の王道を歩む騎手になるのだが・・・。

    オーシャンブルーは、隣に座る作家山野浩一の推奨馬だった。かつて父ステイゴールドを一口所有していた山野浩一は、この日、同じ父を持つゴールドシップとの組み合わせが第一本線だった。彼の口から、何度かオーシャンブルーの名を聞かされたが、パドックでよくよく見ると、気難しそうな3白眼で、かつてステイゴールドもこんな目をしていた時もあったと思い出したが、どうにも馬券を買う気にはならなかった。

    やはり、菊花賞と同様にいっきに捲り上げてゴールに向かうであろうゴールドシップと、母エアグルーブのように差して来るはずのルーラーシップの姿に眼が惹きつけられた。パドックでは、両馬とも落ち着いていたし、少なくとも稽古を重ねたルーラーシップの今日の出遅れはないだろうと信じた。

    それが甘かった。C.ウィリアムズの騎乗するルーラーシップは、ゲートで立ち上がって、いつもより大きく出遅れた。時間にして2秒ほど。着差にしたら10馬身ほどのロスだったろう。

    しかし内田博幸ゴールドシップは、狙い通りに残り5F(1000m)辺りからいっきに捲くって行った。

    第4コーナー先頭。その後も脚勢は乱れなかった。

    三浦皇成エイシンフラッシュは、インから馬群を抜け出してこようとしたが、それまでの4着。

    C.ウィリアムズルーラーシップは、最後に外から突き抜けては来たが、スタートでの致命的なロスを埋められず3着。

    2着は、山野浩一推奨のオーシャンブルーが確保した。

    その夕刻。まだ冬至を過ぎて2日目では、もう辺りは暗かった。そのとき「優駿」の部屋にいたいつもの7人(矢野誠一・桂文生・李麗仙・湯川章・私・文春と新潮社の編集者)は、法華時の境内の茶店で、パーフェクトの勝利にご機嫌であった山野浩一からのご祝儀兼ちょっと早いお年玉を軍資金にして、温かいお酒を飲み干していた。

    所用のため早くに帰らざるを得なかった山野浩一の姿がなかったのが淋しかったが、失意の7人は、ありがたく山野浩一の勝利のおすそ分けを頂いたのである。

    この日、風邪で中山に来られなかった古井由吉がいたら、あの茶目っ気のある眼差しで、おそらくこう言っただろう。

    「こんな日もある」と。

    category: 競馬

    thread: 演劇的競馬論  -  janre: 学問・文化・芸術

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    朱泥常滑焼~若き初代雪堂写真集vol.5 

    朱泥常滑焼の未来を担おうとする24歳の若き陶芸家伊藤雅風。3代常山の孫弟子である。

    その彼から、私のブログにコメントを貰った。

    伊藤雅風は、今までもそしてこれからも、朱泥本来の道を目指すべく、水簸という手法(田土と鉄分の多く含んだ山土をカメの中に入れて水を足し、攪拌と沈殿を繰り返して朱泥焼原料を作る伝統的な手法のこと)を取り入れて作品を創ることを目指している本格派の陶工だ。こと土作りに楽する同業他者の現代的な方法と一線を画して、手間隙を惜しまぬ意識は高い。

    VOL.4で、私は、常滑焼朱泥は枯渇したと大胆に書いたのだが、今も努力して土作りに励む彼からすると、その言葉は、承服しがたいものだったろう。

    言葉が足らなかったなと思った私は、vol.4のコメントのやり取り通り、かつてのような良質の土がなくなってしまった現在と、書き加えた。

    しかし、本物の朱泥土作りにこだわりを持つ陶工が確かにいると知れただけでも、収穫は大きかった。

    彼に刺激を受けたので、今朝、久々に朱泥常滑焼の写真を撮った。

    若き雪堂作品vol.5である・・・。


    かねてのお約束通り、まずは朱泥火鉢。灰を入れると30Kg近い重さがあり、割れるといけないのでずっとしまってあった。それこそ、これだけの良質な土をこれだけの量、用意できた時代に生きたことは、雪堂にとっては、幸福だった筈である。   DSCN0761.jpg   DSCN0762.jpg  
    ずっとしまってあったので、白っぽく見えるが、ちゃんと拭取ればきちんとした朱泥色である。十二支が彫って描かれているから、縁起物でもある。大きさも最も膨らんだ部分で直径60cmほどあり、彫りも素朴ではあるが味わい深い絵となっている。おそらくこの良質の土を使った火鉢は、今ではもうできないと思うが、ひょっとしたら、近い将来、土を知る雅風が挑戦してくれるかも知れない。

    いくつか取り出していたら、3代常山の菓子器が混じっていた。

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    これを雪堂が創ると、こうなる。

    DSCN0773.jpg  DSCN0772.jpg

    やはり3代常山はまろやかさに味があり、雪堂はどこかシャープさを放っている。

    と、こんなものも出てきた。

    DSCN0774.jpg

    雪堂の灰皿。さて、これからこれを使って、ゆっくりとお茶を飲みながら一服するとしようか・・・。

    *この稿、まだまだ続きます。


    category: 常滑焼 朱泥

    thread: 異化する風景  -  janre: 学問・文化・芸術

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    ラッキーデイ? 

    昨日、病院で怪我の治療を受けた帰り道、ふと思いついて近くのブックオフに寄ってみました。

    とりわけ何かが欲しいというのではなく、ついででしたから。

    とりあえず趣味の本のコーナーへ。

    競馬本の棚には、何と私のものもありました。105円で売られていると、ちょっと哀しい気持ちになります。まあ、お買い得で喜んでくださる人がいるんだと、沈んだ心を奮い立たせます。

    すぐ隣に囲碁将棋本が数冊並んでいます。覗いて見ると、平成6年発行の「羽生の頭脳8」(ひねり飛車と相掛かりの巻です)がぽつんと置かれてありました。やはり105円です。 DSCN0757.jpg


    汚れひとつない状態でしたから、よしと思って中身も見ないでカウンターへ。

    車に戻ってゆっくりと開いてみると、新品同様のこの本は、何と、 


    DSCN0758.jpg  

    そうです。署名入りのものだったのです。柄にもなく、嬉しくなってしまいました。偶然にも、掘り出し物を手にして、得をしたような、そんな感じで。これは無欲の勝利でしたね。

    このとき思いました。果たして価値とは何なのだろうか?って。関心がなければ、105円で叩き売っても損失感は生まれず、関心のある側には、大きなお得感が生まれます。資本主義の大きな盲点に突き当たったような気がしてなりませんでした。

    さらに言うなら、熱い欲望の熱気で、関心と関心がぶつかり合うと、資本主義では高額な価値が生じるんです。誰も欲しがらなかったら、全ては二束三文なんですから。オークションなど、その際たるものです。

    人間というのは、日々自らの関心の中でしか生きていないのかも知れません。

    いずれにせよ、こんなささいで小さな幸運を引き寄せていると、それがある日突然大きな幸運に変化することを、勝負師たちは、体験で知っているんです。運の流れというのは、そういうものだと。

    ひょっとしたら、最近病や怪我で不運に見舞われていた私にも、ほんのわずかな流れの変化が訪れ始めたのかも。そう思うと楽しくなるので、そうだと信じておきましょうかねぇ・・・。

    category: 将棋駒

    thread: 極私的将棋駒の快楽  -  janre: 学問・文化・芸術

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