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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    祝・落札 

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    写真の駒は、以前にIさんが送ってくださった一乕作安清と錦旗。盛上げ駒です。

    その折、Iさんが、一乕作の安清の彫駒を、自分自身の普段使いに欲しがっておられることを知りました。

    私の彫駒を、半ばうらやましそうに褒めて下さってもいたのです。一乕作 安清書 彫駒①



    あれから半年、先週のオークションに遂に一乕作 安清彫駒が 24-5-27-1020036.jpg

    オークションに出品されたのです。途中で、実はレア品である一乕作昇竜書彫駒が出品されたこともありましたが、Iさんはあくまでも安清書体に拘り、いつか出会いのあるのを首を長くして待っていたのです。

    そして先週、偶然にオークションで出会えました。

    Iさんは、何とか落札しようと決意したのです。

    その事実を知って、私は陰ながら応援していました。応援といっても、ただ経過を見守るように眺めていただけでしたが・・・

    初日、2日目と、じわじわと価格が上がって、どうなるのかなと、私は好奇心いっぱいでしたが、最終日には、不思議にいっきに価格が上がることなく、無事にというか、何とかと言えばいいのか、Iさんは、晴れて最終落札者になったのです。

    恋焦がれたあの娘と、巡り巡ってようやく結ばれたIさんでした。

    おめでとうございます。

    今頃は、あの娘と二人で、将棋盤の上で、手を取り合っておられることでしょう。

    でもよくよく考えると、Iさんは、盛り上げ駒と併せて、完璧な駒師一乕コレクターになったわけで、うん、こりゃ羨ましいことと、今度は私が、少しばかりやっかんでしまいましたよ・・・(苦笑い)

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    category: 将棋駒

    thread: 極私的将棋駒の快楽  -  janre: 学問・文化・芸術

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    敢えて駒の比較を~由進作巻菱湖 

    ここしばらくの間、ずっと考えていました。

    将棋連盟に行ったあの日、何故、由進の巻菱湖は、ショーケースの中から、私の視線を惹きつけて止まぬ魅力を発散してくれなかったのかと。

    まだ答えはありません。技術的に劣っている筈はないし、仕上げだって少しも手を抜いてはいなかったのに・・・

    25日、「怒濤流」の駒を届けるために上京する由進と、駒を届ける前に一緒に連盟にいけることになりましたので、私の感想の詳しいことは、そのときぶつけてみるつもりですが、その前に私なりに考えをまとめておかねばなりません。

    で、こんなことをしてみました。

    (名工の写真はネットで紹介されているものを使わせていただきました。駒ファンのためにご了承下さい)


    龍山龍山 菱湖   影水影水 菱湖   由進2012由進・菱湖

    木地の差はともかくとして、この3つの駒の違いがどこにあるか、もし正確にお判りになる方がいらしゃれば、後学のために、ぜひ教えてください。

    龍山や影水が紐解き、解き明かそうとした駒世界とは何だったのか?そのことによって、駒における美的世界はどこまで進化したのか?未来に向かって、これからを生きる駒作家に、今改めて問われているものは何か?

    そんなことを考えるだけで、駒ファンの底辺は広がりを見せるのではないでしょうか?

    「いや、今度の○○の新作はいいぜ。駒字が光ってる」
    「なに言ってんだよ。やはり△△さ。彫の魅力は、神々しいんだよ」

    そんな会話が、例えば昨夜の野球やサッカーの好プレー珍プレーを語るように日常化したら、素敵だと考えるのです。オークション中心の現状では、価格が価値を代弁しているように錯覚しがちですが、価格は時代に蔓延して流れる流行りであり、価値とはいつの時代にも通用する感性や美意識だと思えてならないのです。

    ついでですから、源兵衛清安も並べてみます。

    龍山龍山・清安   静山・龍山静山龍山・・源兵衛清安・②   由進由進・源兵衛清安

    皆さんはどう思われますか?
    もしよろしければ、まだ尻の青い書生の私に勉強させてくだされば幸いです。

     



    category: 将棋駒

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    人間の心理学的本能~勝負に生きるということ 

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    2週間ほど前だったか、日刊現代のある記事に注目した。

    それは、追い詰められた逃亡犯の心理的状況、心象風景を、心理学の立場から説くものだった。

    心理学によると、
    「追い詰められた非常事態では、それに耐えるために物凄いパワーが必要で、脳内には大量のアドレナリンが出る。同時に種族保存本能から異常なほどの性欲が高まるという。常に心を安定させていないと、判断ミスをして命を取られる結果が待っている緊張生活~それは、生きる本能として性欲を高めさせるし、具体的な性行為はストレスを沈静化させる効果を持つ。肉体の密着は、一人ではないという共犯的な一体感が安心感にも繋がる。だから追い詰められた極限状況では、人は激しく求め合うという・・・」

    大量のアドレナリンが脳内に出る、絶えず孤独に追い詰められた極限状況ということに、私は関心を持った。

    それは、アートを志す者、或いは勝負に生きる者の、心の世界や日常の光景と、全く同じなのではないかと気づいたのである。

    考えれば考えるほど、そう思えてきた。

    何とか他者から抜きん出なければ、自らの存在価値が得られない競争に、身を置くアーティスト、棋士、騎手、アスリートたち・・

    逃亡犯ではない彼らが、満場を埋め尽くす大観衆やTV画面の向こう側で心をときめかしている人々に向かって、自らの存在理由を賭けて行う究極のパフォーマンス。

    その場を解放された彼らが、心を安らかにするために、明日の戦いに挑む心を準備するために、ふと肉の温もりを求めたとしても、それは十分に理解できることだ。

    そこまで追い詰められて発揮される修羅の勝負や魂のアートだからこそ、人々に感動を呼び起こすのだろう。逆に言えば、そうでないアーティストや勝負師などは、存在価値もないということになる。よそ向きの笑顔の背後には、厳しい現実にさらされる顔があるはずなのだ。それを理解してやることが、良質なファン、良質な観客になることだと思えてならない。

    さて、皆さん。何事もない日常で、場当たりに肉の温もりを求めていませんか?それとも肉の温もりを求めることを、どこかに放棄して忘れていたり、どうせオレなんかと諦めたりしていませんか?

    私は、最近、残念ながら忘れた振りをしています。必要なことはわかっているのですが、どうにもこうにも自分の体がついてこなくて、忘れた振りをするしかないのです・・ああ、悲しい、哀しい・・

    category: 異化する風景

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    最終戦争~ニッポンの主権者は誰だ? 

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    想像力とは、妄想力で戯れることです。それが私の生きるテーマなのです。

    全うに戯れると、見えてくる風景があります。

    ここしばらくの社会の動きを見つめていると、はっきりと見えてくるのです。

    かつてのバブル崩壊、末期的症状にあったアメリカ型後期資本主義を導入した小泉改悪を経て、せめてもの政権交代を実現したものの、その後の帝王学を身に着けていない菅、野田による背信、仙石の陰湿なる跳梁、その手先たる枝野の直ちに何とかという詭弁の情報隠し・・・

    それらは、すでに否定された官主導の、政財を相互の利益によって結びつけたトライアングルを、残念ながら再び復活させました。

    その結果、官は総力を挙げて治安維持法的策動を発し(気に食わない者は、マスコミをも使って情報管理によって罪深さを世に植え付けます。さらに対抗しようとすれば、司法権力を歪めても弾圧するのです)、支配を強化させ、そして誰も責任を取らない官が築き上げた、自らを含めた利益誘導型村社会を維持して、そのことによる官の支配が国の隅々にまで及ぶことを可能にしたのです。予算という名の戦費をふんだんに使って、その穴埋めは13兆の消費税アップなのでしょう。

    そんな状況を踏まえると、ひとつの事実が浮かび上がってきます。

    今、官によるシナリオは、最終段階に入っていると言えます。

    それは、民主主義を標榜する戦後ニッポンの、本当の主権者は誰なのかという問いかけなのです。

    主権在民なのか、主権在官のお上を許してしまうのか、今私たちは試されているのです。

    また同時にそのことは、官と国民との間で、主権者たる者を決める最終戦争として、軍備ではない権力という武器を使った内戦という形で、すでに始まっているのだという事実を認めると、より明確になるのです。支配する権力と、それに対抗する1票の権力。それが互いに対立して、内戦状況となっているのではないでしょうか。

    しかし本来の主権者たる国民は、官の巧妙な仕掛けに気づかず、依然として大多数がサイレントマジョリティのままに誘導され、この内戦の結末は、このままでは官の勝利が確定する処まで来ているのです。

    東北大震災の悲惨さ、放射能汚染で故郷に帰れぬままの状況がいつまで続くか判らない原発事故、先の見えぬ経済状況を、目的のために最大限利用した形で、この内戦は仕掛けられました。

    多くのマスコミは、官に加担する形で情報操作に参戦までしています。

    永田町界隈では、官出身の議員たちが党派を超えて、突如として何故か元気良く跳梁跋扈しています。その目的は明らかでしょう。その前では、IQに劣る信念もビジョンもない半端な権力志向の政治家たちが気分良く利用され尽くしています。

    何故、こんなニッポンを、主権者たる私たちは許してしまっているのでしょうか?・・・

    机の前で、戯れる私の妄想は、ふと今の日本の内戦、主権を賭けた最終戦争に行き着きました。単に妄想であることを願うばかりです。

    私は、ニッポンを、ニッポンの主権者の可能性を信じたいと願っています。もう一度、主権者の1票によって、マスコミを含めたトライアングルの悪しき策動に、大儀の鉄槌を下さねばならぬときが訪れているのです。主権在民の民主主義を守るためには、やはり長い闘いを続けなければなりません・・・

    そう信じています・・・

    category: 異化する風景

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    たまたま発見~由進の駒・古流水無瀬と巻菱湖 

    由進作 勝運駒

    今日、「優駿」4代目編集長が今週入院した御茶ノ水の順天堂病院にお見舞いに行ったのです。

    いや、その病名が現代では少数派となった「栄養失調」なので、ベッド上で休養生活を始めたのだと軽い気持ちでした。この前触れたように、3年前に膵臓癌で大きな手術を受け、膵臓のみならず、胃や肝臓の一部、脾臓まで摘出して、それ以後無事に術後3年生存を果たし、今や、日々生き抜くことが医学へのデータ貢献となっている福田喜久男です。

    最近出版された単行本「遠くて近きは人馬の仲」の話もあって出向きました。先週会ったときには、ちょっと体調を崩して、体重が減っているのは知っていましたが、しかし気持ちは元気で大笑いをして帰ってきましたので、まさか「栄養失調」状態で入院となることは予想外でした。

    でも、病院での3食昼寝付きの生活で救われたのか、今日は血色も良く、少し体重も戻していました。まだまだくたばる事はない様で、1時間半ばかり笑って喋って、心をほぐして帰って来たんです。


    その帰り道、御茶ノ水の駅でちょっと考えたのです。まだ少し時間があるから、もう一度千駄ヶ谷に行って見ようかと。そうです。将棋連盟にです。

    雨が降って、歩いているとだんだん蒸してきて汗をかくような、私の体調にも悪い天気でしたが、思いついたら行くしかありませんよね。

    今日は、2階にも上がってみましたが、道場では、子供も大人も一緒になって、楽しそうにしかし各自真剣な表情で将棋を指していました。階段よりの部屋では、女流プロの将棋指導も行われてました。ずらりと並んでそれぞれが対局指導を受けていますので、シーンとしていて、冷やかしに覗くなんてことは憚られる雰囲気でした。

    1階に下りて、前回のように売店を覗いたとき、私はアッと小さく声を漏らしてしまったのです。

    何と、駒師由進の駒が、秀峰、掬水、淘水、月山、冨月、弘山(この駒師の作は初めて見ました)の駒に並んで展示されていたのです。

    秀峰の王義之や、掬水の錦旗、淘水の太字の清安はなかなかの色気を放っていましたが、提示された価格は清貧に生きる私には、色気が冷めるものでした。そもそも価格は、どこでどう決まるんでしょうか?判りませんね、誰が決めているのかなんて。

    特別にひとつのショーケースを占有して並ぶ竹風の駒は、何度見てもホッとするような安定感と安心感があります。

    由進の駒は、古流水無瀬と、巻菱湖が並んでいました。20万円を少し越えるという価格でした。

    古流水無瀬は、島黄楊柾目の駒でしたが、そのオーラは、上記の駒たちには決して負けてはいません。ただ今回一緒に並べられていた巻菱湖は、視線を集めて離さぬ飛びぬけた色香が、他と並ぶといまひとつ不足している印象でした。

    群衆の中であっても、いや群衆の中だからこそ、他者に抜きん出て引き立つ魅力というものが、作品にはあるのです。逆に考えれば、群集がひとつの際立つ個性を引き立たせるとも言えます。

    他と居並ぶと、そのとき明確に光彩を放つ作品こそが、どのジャンルにあっても、評価されるものとなるのです。
    ときにあまりにも個性が強すぎて、時代の感性が追いつかず、評価が遅れる場合がありますが、それとても時間差(時代が追いつくのに100年かかることもありますが)の問題でしょう。

    まだ進化の途中段階で作られた駒だったのかも知れません。製作時期までは書かれていませんから、由進のようにいっきに力をつけると、以前のものが物足りなくなってしまう場合があるんです。でもそのことを由進が意識したら、おそらくその瞬間から古流水無瀬のような色香が漂い始めるに違いありません。それを楽しみにしておきます。

    ふと玄関のボードを見ると、今日は対局室を使って、大内教室が開かれていました。将棋指導の教室です。一瞬どうしようかなと思いましたが、まさか突然押しかけるわけにもいかず、今度お会いしたときにどういう教室か教えていただく事にしました。

    代々木駅までの帰り道、今月に手に入る私の由進作菱湖は、もっと良いに決まってると雨空に向かって叫んでました・・・

    PS:私が陰からお手伝いした福田喜久男「遠くて近きは人馬の仲」は、読んだ人たちの反応も良く、着実に手に取って下さる方も増えているようです。福田喜久男もこれからもっと元気が出てくることでしょう。良かった、良かった・・・

    category: 将棋駒

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