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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    Oh My Friend!! 

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    最近、ちょくちょく言われます。

    「どうもこのブログには、奮い立たせるような女性の影がないなあ」って。

    そう、それは判っているんですよ。

    私も、リビドーが張り裂けんばかりの官能の物語を書いてみたいと思っているんですけど、クラシックシーズンの始まった競馬と、ここしばらくの間に関心を抱いてしまった将棋駒に、どうも時間を取られているようです。

    本来は、欲望と勝負と芸術は、三身一体となって高まっていくものなんですが、どうも体力がついてこないこの頃です、ハイ。

    で、震えるような官能は少し後回しにして、ピュアなプラトニックの世界に触れておきましょうかね。

    山の生活は、花咲き誇る春から、落葉の秋までは快適ですが、やはり冬は厳しいんです。鳥の食料も少なくなります。

    軽井沢のような快適な真夏の避暑地だって、冬はその分冷え込みます。皆さん、真冬には行かないから気づかないのでしょうね。

    そんなとき、私は、この子達と出会いました。

    山に口笛が響くと、今はどこからでもすぐに飛んできますし、朝起きると、玄関のドアの先にとまって、もう待っているんです。日中でも、お腹が空けば懸命にピヨピヨと叫んで、餌をねだるようにもなりました。

    ヒヨドリという名は、ピヨピヨと大きな声で鳴くところから命名されたと思います。

    今は、カップルで来るのが1組。1羽で来る子もいて、合計ヒヨドリが3羽。来たら、何がしかの話をしています。

    ヒヨドリがまずパンを食べると、次にはグレーのシジュウカラが来て、次には緑のメジロまでがペアで飛んできます。

    でもまだシャイで、写真を撮らせてはくれません。

    最後に、人気がなくなったのを確かめて、したたかなカラスが残ったパンをたいらげていきます。

    大きいのにいたって慎重で、同情したくなるほど遠慮がちなのが不思議といえば不思議です。向こうから攻撃を仕掛けてこなければ、お友達にはなれます。その位の度量はこちらにもありますから。

    おかげで、連れ合いは、夕方過ぎに半額になった食パンを買ってくるようになりました。

    これが、現在の私のプラトニックな関係です。

    まあ、ときめくような官能の物語を書くときに備えて、今はプラトニックなスタートでいいと、納得はしているんですけど・・・

    でも、山の小鳥とお話しているのも、楽しいですよ。いつの間にか、何となくお互いに心が通い合い始めるんですから。でもこの関係は、これからも大人の関係には発展することはないでしょう。

    これからも口笛を吹き続けるために、何とか顔面神経痛にだけはならないようにしなくてはいけません。
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    category: 異化する風景

    thread: 異化する風景  -  janre: 学問・文化・芸術

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    知の勝利~中山・皐月賞 

    12 皐月賞① 120429K09KI004.jpg


    4月15日 中山競馬場。

    前日に降り続けた雨が、朝には止んでいたが、馬場状態に影響しているのは間違いが無かった。

    この馬場をいかに味方にできるか否かが、騎手には確かに問われていた。

    昼前に「優駿」の招待室に到着して、旧知の演芸評論家矢野誠一や作家山野浩一らと挨拶しながら、おしぼりで顔を拭いていると、そこに棋士大内延介も、神楽坂の飯田料理人と共に現れた。

    私の横の席に座った大内九段と、まるで昨日も会っていたように、話をし続けた。

    中でも印象的なものをご紹介しよう。

    私自身は、これまで競馬を<プロであることとはいかなることか?>という視点で描き続けてきた。競馬を素材に選んだからといって、決して馬券という回路を重視してきたわけではない。すべてが凝縮した勝負の瞬間の極限の勝負とは?と、問い続けてきたのである。プロフェッショナルであるための必要十分条件を、解き明かしてきたのである。そんな自負はある。

    ただ残念ながら世間には、競馬という言葉の響きだけで、競馬=ギャンブル=悪=一段下の世界と見下す風潮が今でも歴然とあり、競馬を素材に扱っているということだけで、その作品すらも何故か見下される差別を受けてきたとも言えた。

    だが、騎手や調教師という存在は、短いスパンで勝負に勝ち、ゴール(ドラマの終着点と言ってもいい)を目指すことを問われ続けている。つまりは、プロとは何か?プロであることとは如何なることか?を、象徴的に背負った存在と、私には思えてならなかったのだ。

    しかも大観衆の無数の視線の中で表現を成し遂げるのである。

    それを知ると、決して侮れないのだが、競馬を本当には知らない人たち、競馬に関心を持ち得ない人たちは、その価値を踏まえずにいるのが現実なのだ。そこに挑戦したのだが、如何せん私の微力では、まだ状況を変えるまでには到ってはいない。

    かつてアメリカやヨーロッパに騎手と共に訪れたことが何度もあるが、彼の地ではジョッキーということだけで、自然と敬愛の眼差しを受けることを知った。たとえ極東の国のジョッキーでもである。

    馬に係わる文化風土の違いなのだろう。こと馬に関する文化に対しては、我が日本は後進国であると言わざるを得ない。

    そんなことを思い浮かべながら、私は大内九段に言った。

    「騎手は、スポーツ者として体力勝負に生きていると思われがちなんですが、実は知性の勝負者なんです。棋士は、知の勝負者と思われていますが、長い対局時間を考えると、実は体力勝負に生きていますよね?」

    「そうなんですよ。下のほうの順位戦なんて、成績を見なくても年齢を見れば、だいたいの成績は判りますからね(苦笑い)年をとると知を支える体力がついてこなくなりますから」

    「だから今日の皐月賞は、この馬場状態を正確に判断して、如何に闘うかを意識化した人馬が、勝負に勝ちきると思います」

    「どれでしょうかねぇ・・」

    「たぶんですよ」と言いながら私は答えた。

    「どうせよそ様の馬ですから、無理して難しい馬券を買わなくてもいいんです。そう考えると、今日2着を外さない馬は、鋭い決め足を持つワールドエースでしょう。相手は前走で印象的だったゴールドシップ、力が要る馬場が残ったらコスモオオゾラ、多少でも乾いたら朝日杯の2着馬マイネルロブスト、まあ念のためM・デムーロ騎乗のグランデッツァを抑えておけばいいんじゃないですか」

    二人で皐月賞のパドックに行き、じっと出走馬を見た。選んだ馬たちは、どれもいい状態に見えた。ただグランデッツァは、まだ馬体そのものが若々しくて未完成で、これまでの優れた戦績を考えると、今日ではなくダービー最大の惑星と思えてならなかった。

    隣に加賀武見元調教師がいた。私は、彼の騎手引退のとき「優駿」の取材でお世話になったことがある。加賀武見の従兄弟の子供たちが、柴田政人であり、柴田善臣だ。大内九段を紹介すると、加賀武見は知っていた。で少しばかり昔話を話してくれた。

    ファンファーレが広い馬場に響き渡った。

    スタートして100m地点辺り。他馬に締められた福永祐一ワールドエースが、あわや落馬と思わせるようにガクンと躓いた。

    そのまま第1コーナー。内田博幸ゴールドシップは最後方を進み、躓いた影響もあってその直前の外を福永祐一ワールドエースが進む。

    逃げ馬2頭が先頭を競ったこともあって、すでに前半のハイペースが刻まれていた。

    内田博幸はハイペースを予測していた。おそらく勝負処の第3コーナーから第4コーナーの馬の捌き方をも。

    「今日の馬場なら、他馬は皆外に膨れる。そのときが勝負だ!」と。

    その通りになった。

    内田ゴールドシップは、最後方から外に膨れる馬たちを尻目に、自信を持ってインを攻め上がった。

    福永祐一ワールドエースは、ただ流れに身を任すように大外を回った。

    第4コーナーを廻り終えたとき、ゴールドシップは、もう馬群の6番手辺りにいた。ワールドエースはまだ大外後方のままである。

    コーナーをインから廻り終えた内田博幸は、さらに勢いをつけてインから馬場の真ん中へとゴールドシップを導いた。

    このとき勝負は決まった。 120429K09KI004.jpg


    皐月賞は、内田博幸が知に基づく手綱によってもぎ取った勝利としか言えない。

    スタート直後に躓いた福永ワールドエースは、知を誇るのではなく無策に終わった。それでも直線で2着まで押し上げてきたところに、この馬の資質の高さは現れていたが、鞍上が無策の状態に陥ったら、資質の高さだけでは、G1戦は勝てはしない。

    レース後、内田博幸は言った。
    「馬を信じて乗っていた。馬が強かった・・」と。

    しかし私は、心の中で祝福していた。
    「これは、騎手内田博幸の知性の勝利だ」と。

    大内九段が隣で呟いた。
    「やはり競馬は勝負事だから、ゴールまでハラハラできなかったら楽しくないですよねぇ。いや今日は騎手の気迫が伝わってきましたよ」

    つつがなく1日が終わって、船橋法典駅近くの日本蕎麦屋。作家古井由吉ら8人が揃って、今日の内田ゴールドシップの勝利を称え合った。

    勿論、私も大内九段もその輪の中にいた・・・120429K09KI005.jpg


    次は日本ダービーである。次に知の勝利を果たすのは、どの人馬となるのだろうか?

    category: 競馬

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    桜の咲かなかった桜花賞 

    埴輪馬

    4月8日、阪神競馬場、桜花賞。

    3歳クラシック戦の開幕である。

    この日は快晴に恵まれたが、例年の阪神とは異なり桜の開花は間に合わなかった。

    あるいは日々極秘に垂れ流される放射能の汚染の影響かと、思わず疑ってしまうような冷え冷えとした春4月である。これは明らかに異常気象だ。そう言えば、毎日何を着ていたらよいかと迷う日が続いている。

    華やかな桜花賞も、私にとっては明るい結末とはならなかった。いや、最近は巡り会わせか小遣いも不自由で、あまり買わないから馬券の痛手ということではなく、見たかったドラマが見られなかったという不完全燃焼状態の暗さだった。

    中団から鮮やかに突き抜けたジェンティルドンナの陣営は、レース後に「勝ちに行って勝ったG1です」とまで語ったほどだったから、よほど馬の状態に自信があったのだろう。

    2着に奮闘したヴィルシーナも、最終追い切りの動きが目立っていたし、ピンナが狙い済ましていた3着アイムユアーズにしても力は出し切っていた。

    私の不満は、2歳の女王・福永祐一ジョワドヴィーヴルが、何故あのときのようにスパッと弾けなかったのか?ということに尽きる。

    桜花賞の決着タイムは、1分34秒6。レースのあがり3F(600m)は35秒3。冷静に考えると、究極の激戦とは言えない流れだった。いや、桜花賞としてはむしろレヴェルが低い闘いといえたはずである。

    しかしジョワドヴィーヴルは弾けなかった・・・

    さらに私が戸惑ったのは、サンスポに載った騎手福永祐一のコメントである。

    「馬の状態は凄く良かった。(前哨戦を)一叩きされて弾むようなフットワークだったし、結果を出したかったんだけど・・・」

    この言葉の正確な意味が、私には判らなかった。

    パトロールフィルムを何度か見たが、見れば見るほどジョワドヴィーヴルの勝機は一度としてなかったとしか言えないのである。ただダラダラと敗退に向かっていたようだ。

    体調の良い名馬なら、敗因は明らかにここだと指摘できるものである。

    それが無かったとしたら、ミス騎乗か、馬の状態が今一だったとしか言えないのは、競馬という勝負を見守っていれば判る。

    でも騎手は、馬の状態は凄く良かったとコメントした。

    ひいきのブエナビスタの妹、2歳女王戦の切れ味溢れる勝利などをいったん忘れて、前走の追い切り、今回の追い切りをじっと見てみると、確かに動きはどことなくモッサリとして弾けてはいないのである。

    騎手が何と言おうとも、ジョワドヴィーヴルの状態は完調ではなかったのだ。それが陣営からは語られなかったのか、あるいは厳しいジャーナルな視線で陣営に問いかけた記者さんらがいなかったのだろう。そうとしか思えない。

    なんともファン泣かせの桜花賞だった。

    ディープインパクト産駒の活躍、ノーザンファーム生まれの馬の上位独占・・いつもと変わらぬ予定調和の光景で桜花賞は終わった・・・


    category: 競馬

    thread: 演劇的競馬論  -  janre: 学問・文化・芸術

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    新入学の季節~これでどうなる?教育現場? 

    syou6-cyuu1+08-09+013_convert_20111024181600.jpg  春4月。新入学の季節。
    いろいろありましたが(2転3転でした)、何とか我が息子も高校生になることができました。

    思えば、生まれたときが1260gの未熟児。宿った母の腹の中が快適ではなかったのでしょうか、7ヶ月に入ったばかりで早くも世の中に出てきてしまったのです。指が爪楊枝の先ほども無い、赤紫の物体でしたが、泣き声を上げ、
    医療の力を借りて、それから3ヶ月の間保育器を住処として、生き抜きました。

    「まだ肺、目、心臓が未発達なので、これから先も何が起こるか判りません。安心はできません」

    と、医者に言われ続けました。

    生まれて1週間が経った頃、看護士さんから勧められて、白衣に白帽子を身に着けた私は、初めてこの手に抱きかかえました。その日の体重は、1030g。これが息子の最低体重でした。

    しかし意識はしっかりとしていて、抱きかかえた瞬間、

    「;+*q#&>¥・・・」

    と、意味不明な宇宙語で、一生懸命に話しかけられたことを覚えています。故半村良なら、その言葉を指してポータラカ語といったに違いありません。

    その後、2600gまで保育器の中で育ち、退院できましたが、肉体の弱さは残りました。

    過敏に反応するアレルギー体質(風邪をひいたり、汗を多くかいたりすると、すぐに蕁麻疹が広がります)。特に不思議だったのは、低気圧が近づいてくると、その瞬間から別人のようにグタッとダウンしてしまうのです。そして眠りたがるのです。どんなに晴れていても、この症状が出ると、24時間以内に天気は崩れ、雨が降り始めるんです。ただ事情を知らない人たちは、突然に怠け始めたとしか思えなかったに違いありません。小学校も中学校も、健康な教師にはなかなか理解してもらえませんでした。ただ看護教師には何とかわかってもらえたのは幸いでしたが・・・

    ですから、我が家では、

    「君は生まれて来る時代を誤ったな。古代に生まれてきたら、雨乞いのシャーマンとして、超能力者の扱いを受けたかも知れなかったのに」

    というのが、定番の笑い話だったのです。

    そんな息子が、今日から高校生になります。

    高校に入るためには、当然入学試験がありますよね。ずっと関心を持たなかったので、これまで余り気にとめてはいなかったんです。

    私自身のことを想い出せば、試験当日、力を発揮すれば合格する。力が無ければ落ちる。内申書でそれほど縛られないという記憶があったのですが、どうやらそうではない現状があったんです。

    これまでの、結果的には格差を生み出す「ゆとり教育」の弊害と、どんどん進む少子化の影響で、すでに大きな歪みが生まれていることを知りました。

    最も判らなかったのは、多くの私学の選考方法でした。生徒を集める必死さ故の歪みです。

    「塾推薦」というのは、いったい何なのでしょう。塾に通うことが、強制されているんでしょうか?いつから「塾」が教育現場の中間権力を発揮するようになったのでしょうか?

    入試前の「確約」とか「内定」というのは何なんでしょう?これじゃまるで、ゆがんだコネ社会の就職試験のようではないですか?

    私学のパンフレットを見ると、まるでかつての予備校のような案内が並びます。「一流大学を目指すなら我が校へ!国公立コース、一流私大コースと、目的別に各種取り揃えています」などと。

    こんなんで、高校生活が充実するのでしょうか?

    勉学というのは、結局は、自らが向上しようとする意識と覚悟を持たなければ伸びるものではありません。要領を教えられて対策するのは、自分だけが近道しようとする小ズルイ処世術であって、学ぶ能力は処世術からは生まれないのです。

    でもすでにこんな基本が崩れているんです。確かにその昔から、受験は技術だと言われてはいました。いわゆるトップの進学校に入りたいと思えば、中学受験なら、中2の1学期分ぐらいまでを、高校受験なら、高2の1学期分ぐらいまでを、先取りしておけば昔から合格できたでしょう。今は、塾業界が自らの利益のために、それを加速させています。

    でも塾に通って、小賢しく先取りした解法を覚えていることにどれだけの価値があるのでしょうか?歪んだ頭でっかちの、弱者を労わるゆとりも無い自己中心のとぼけた似非エリート(どこやらの党の何とか塾出身の似非エリートの顔が浮かびます)を生み出すだけなのです。

    すでに荒れ果ててしまった教育の現状を改めて知って、またひとつこの国が壊れている事実を思い知らされました。うーん・・・

    地方分権などという言葉があります。地方に行政の権力を委ねるべきだと、識者(と自分では思っている人たち)が発言します。

    しかし私は、地方の現状を知れば、新たな権力者層を生み出すだけだと思うのです。

    地方に、特に都市ではない田舎という名の地方に、権力を無条件に委ねる怖さを知るべきでしょう。田舎は、田舎特有の大胆な田舎流の方法で、恣意的に権力を発揮するようになるでしょうから。

    受験でもこんな噂が生徒たちの間から流れました。県の業者テストの偏差値50台半ばの子が(体育の教師の息子と聞きました)、一般入試では偏差値70以上が必要とされるある有名大の付属校に、α推薦という推薦枠入試で合格したというのです。不思議なことに、何とその子は成績の良い子を出し抜いて、どういう理由か9教科の内申が44もあったそうです。でもこれまで続けていた相撲と柔道の部はその高校にはありません。

    とすれば、推薦入試という制度も実は正体不明です。生徒集めの手段に過ぎないのでしょうか?

    しかしよくよく考えてみると、この子がこれから先背負ったものを思うと、辛くなります。

    親に言われるままに、いい子を演じて(他の生徒たちからはその性格を見極められていたようですが)ようやくたどり着いた高校には、せめても自己表現できる相撲や柔道のクラブも無く、現状の学力は他の一般入試を経て入学した生徒たちより明らかに落ちるとすれば、彼はこの先どうして行くのかと心配します。人には、自己表現する場所だけは必要だからです。

    いまだ自分の無い幼さが、これからの新生活で大きく改善されることを期待してやみません。やがて後輩になるかも知れないんですから。

    止まれ、我が雨乞いのアレルギーシャーマン息子は、共に考えて私学を捨て、2転3転を経て、何とか県立高の入学式を今日迎えます。早熟だった私とは違い、晩生のタイプですので、自分でゆっくり考え、ゆっくり進んでいくのでしょう。
    化けるかどうかは、判りませんが・・・一応親ですから、たぶん化けないとは言いたくても言えません・・・

    category: 異化する風景

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