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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    よくよく考察したら~由進作「源兵衛清安」 

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    この2日間、じっと由進作「源兵衛清安」を見つめました。
    仕事柄、ねちっこい性格なので、粗捜しと思われても致し方ありませんね。

    勿論、粗捜ししても何も出てこないことは判っていましたが、新しい発見がありました。

    一人の作家の作品は、やはり時間軸の縦の変化で見守らなければいけないということです。

    今、私たちは、ともすれば駒のオークションなどで、単品の駒を見て、そのときの印象や感想で駒師を規定してしまいがちです。この場合、よほどのコレクターか、研究家でなければ、なかなかその変化に気づくことは無いでしょう。

    でも、時間軸の縦の変化で、一人の駒師の作品を見てみると、これまで見過ごしてきたことが見えてくるんです。

    今回、私もはっきりと理解しました。何故、由進の駒が、この夏から大きく変わったのかということを。

    写真をご覧下さい。並んで左が、2010年6月作の薩摩黄楊「古流水無瀬」。右が、2011年12月作の島黄楊「源兵衛清安」です。別書体を見比べてもと考えられるお方がいるかもしれませんが、まあ聞いてくださいな。

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    駒の底面のサイズは、ほぼ一緒です。

    じっと眺めていると、左の駒は、ごく僅かにずんぐりな駒形に対して、少しだけ駒字が張り詰めるような美しいバランスを保っていないという印象を持ちませんか?別の言葉で言えば、完成した駒字に対して、駒形が、太め小太りなんです。桂馬と香車に強く感じます。

    それに比べて、右側の駒は、駒字がいかにもシャープに空間の造形美をキープしています。

    底面がほぼ同じサイズなのに、これは一体どうしたことでしょう?

    それは、駒の底面部の立ち上がり角度と天角の角度にあったのです。

    ほんの少し(0.5度にも満たない)差が、駒の印象を大きく変えてしまうのです。

    駒字を絵と考えるとき、駒形はその絵を決定付けるキャンパスとなります。キャンパスによって彫って、盛り上げた絵は、すばらしい印象を効果的に発散しうるのです。

    由進が、自らの切り開いた駒字を最高に活かすには、そろそろ本格的にキャンパスを意識しないといけないなと感じ始めたとき、それは昨2010年9月でした。

    偶然にも時期を同じくして、由進のブログにRと名乗る人物からメールで指摘が届きました。
    「駒師であるあなたは、駒形のサイズのことをどう考えているのか?」と。
    そう、このR氏は、駒収集家として知られる岐阜のR氏でした。彼はそのとき、自ら所有する龍山、奥野、影水らの駒サイズをノギスで測って、その数値を知らせてくれたんです。(このことは由進のブログのコメント欄に載っています)

    自分自身が漠然と考えていたことを、他者から指摘されたことで、その瞬間から、由進はより真剣に駒形のサイズのことを考えるようになりました。

    しかし日本の駒木地師たちの現状は、それぞれがバラバラに自分流の駒形で駒師に納品しているんです。竹風、掬水、児玉らが、黄楊の木を買い集めて、駒木地創りを自らに課しているのには、それ相応の理由があるのでしょう。いい木地をより安価に入手することだけではなく、自らの駒字にあった木地を用意する意識がそうさせているのだと考えられます。

    それからの由進は、駒木地の入手経路を広げただけでなく、自らに合う駒形を、最終的には手作業で仕上げる労力を惜しみませんでした。

    余り歩を入れて42枚の駒木地をペーパーで磨いて7つの面を手作業で仕上げていくのは、好きでなければできないことです。まるで時給計算するように作業効率を考える駒師なら、おそらく妥協して省いてしまうに違いありません。

    途中試行錯誤しながらも、この夏から、およそ立ち上がり角80.5°、天角146°、王のサイズ縦31mm幅28mm、歩のサイズ縦27mm幅22mmとなったとき、由進の駒字は絵となって収束し、美しさを発揮しながら剛毅な印象を発する駒へと、もう1段昇り詰めたといえるでしょう。

    世の中には、進化のない作家もいますが、少なくとも進化を続ける作家の裏側は、このように意欲と惜しみない労力に支えられているのです。

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    昨年9月末、思い立ってこのブログを初めて、ようやく3ヶ月になりました。まあ、3日坊主で終わらなかったことでは、自分を褒めてやろうと思ってます。
    それもこれも、どこかで読んでくださっている皆さんがいるということが、唯一の支えとなっています。来年もより刺激的に戯れようと覚悟しています。よろしくお願いします。
    皆々様、よいお年を・・・                                  鶴木 遵




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    category: 将棋駒

    thread: 極私的将棋駒の快楽  -  janre: 学問・文化・芸術

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    我が宇宙~日の本 



    我が宇宙は、5つの惑星、玄関先の鉢にある1つの衛星(これは生殖力の強すぎるあの小さな貝の王国だ)にまで、進化した。

    ここのところ早朝の室内気温3℃、晴れて風が無ければ午後には13~15℃にまで上昇する。生きるには、各惑星内の温度変化が激しいが、ミナミヌマエビも石巻貝もタニシもミジンコもメダカも、環境に適応して、生きることを楽しんでいるようだ。創造主である私は、水の補給、様子を見ながらの少量の食料の補給以外、甘えさせること無く接している。

    想えば、夏8月のビッグバーンで誕生した我が宇宙は、インベーダーである小さな貝の襲撃を受けたが、我が手による助けもあり、自給自足の体制をキープしているのである。

    一部特権階級の傲慢増長の兆しはあるが、まだそれは各惑星内でひずみを生むほどには至っていない。

    もしその時が来たら、創造主である私は、どう振舞うのか?

    ただ見守って惑星集合体である宇宙『日の本』の崩壊を待つのか?それとも革命勢力の台頭を手助けしようとするのか?

    うーん、悩ましい進化論だ・・・

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    category: メダカ・ミジンコ・ミナミヌマエビ・マツモの宇宙

    thread: 宇宙創造  -  janre: 学問・文化・芸術

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    最強メンバーが織り成した最強の凡戦~2011有馬記念② 

    埴輪馬

    クリスマス25日、午後3時。
    中山競馬場に10万9246人のファンが集い、JRAの駐車場には3056台の車が止められていた。
    有馬記念に参加したファンからの売り上げは、およそ380億円に達していた。

    集う誰もが、最強のメンバーが創り出すだろう、最高の劇を期待し、その心をドキドキとときめかすことを願っていた。それが、選ばれたサラブレッドからの何よりのクリスマスプレゼントになるはずであった。

    しかし・・・

    レースは、史上最低の凡戦となってしまったのである。

    最強メンバーがそれなりの体調を整えて出走したことで、レースは、力対力で決する本来の形から、鞍上にある騎手の心理戦と化した。誰もが勝つことを過剰に意識して、無理なくゴールを迎えようと考えると、必ずスローペースとなる。勝負の決着が、絶対の力を競うものから、他馬とのつまらぬ駆け引きに終始する相対のものへと変わってしまうのだ。

    有無を言わせぬ力の勝負が、G1戦の美意識である。だからこそG1を勝ち抜いた人馬には、栄誉が与えられるのだ。そのことを理解しない騎手は、騎手である価値はないと、私は信じている。

    スタートしてから、先頭に立った佐藤哲三アーネストリーが創ったペースは、前半5F(1000m)を63秒8。ごく普通の条件戦よりも明らかに4秒ほど遅い。競走馬の1秒は、およそ6馬身差の距離となる。つまり、この有馬記念に普通のランクの逃げ馬が出ていたら、24馬身も前を走っていたことになるのだ。

    おそらく佐藤哲三は、他の人馬が先に行くなら行けと、先頭に立ったものの、そのポジションを譲る気でいたはずだ。アーネストリーの勝利パターンは、スローペースで逃げるものではない。それなりの速いペースで先行し、それでもゴール前に伸びて勝つというものだ。

    でも、どの人馬も何か魔物に引き寄せられるように、もうこの時点で押え込んでしまった。

    果敢に攻め込む美意識を、忘れ去ってしまったのだ。その結果、馬群は膠着状態に陥り、何のドラマも見せることなく、ひたすら淡々と、悪く言えば単純なるワンパターンで流れていった。まるで新人見習い騎手戦のようにだ。

    ブエナビスタ岩田康誠は、先行したものの馬群のインで包まれたまま、いいときは外からいっきに差し込んでくるブエナビスタの良さを引き出せると思っていたのだろうか?そう考えるIQもやはりなかったのか?

    トーセンジョーダンのウィリアムズは、逃げ馬の不在するこの有馬記念こそ、逆にそれを利用して、より積極的に自ら逃げるような攻撃を何故仕掛けなかったのか?秘策があるとレース前に言ったのは、そういう攻撃を意識してのことではなかったのか?

    ヴィクトワールピサのデムーロは、あのスローペースに何の対処法を持ち得なかったのか?

    結局、ゴール手前3F(600m)地点からの、ヨーイドンでの競馬となった。これなら、まるで幼稚園児の運動会だ。

    インで力を貯めようと姑息に考えた人馬は、第4コーナーで案の定締め付けられて、為す術なく散った。

    今一度断言しよう。2011年有馬記念は、ヨーイドンの幼稚園の運動会だったと。

    こんな競馬で、ファンを惹きつけられると思っているのだろうか、関係者は?

    どれだけ多くのファンが、最強メンバーが揃ったレース前の高揚感を、レース後に不満と失望に変えてしまったのか、判っているのだろうか?

    心あるファンは、心のそこで呟いただろう。「所詮、競馬さ・・」

    この失望感と落胆は、やがて凋落し始めている日本の競馬の大きなボディブローになるはずである。競馬もまた、誰も責任を取ることなく既成事実だけが進んでいく、ここしばらくの世相を映し出してしまった。

    唯一の希望は、3冠馬池添謙一オルフェーヴルが、ヨーイドンの幼稚園児の運動会のような流れをも克服し、勝ち切ったことである。今やこの馬は、不良馬場になろうと、ハイペースになろうと、スローペースになろうと、どんな事態をも克服して、そのオールマイティな強さを見せつけてくれる存在となった。

    母オリエンタルアートは、オルフェーブルを受胎した年、何度かディープインパクトと配合されたが不受胎で、最後に窮余の策でステイゴールドと配合され、オルフェーブルを宿したという。

    その仔が、もはや血統的にも、かの名馬、20世紀ヨーロッパの至宝ノーザンダンサーの再来と呼べるだけの存在に伸し上がった。私は、隆盛を極めたサンデーサイレンスの時代から、再びノーザンダンサーの復活の時代への息吹を、この馬に見るのである。

    勝者オルフェーブルが引き上げてきたとき、急に空から雪が舞い散ってきた。

    それは、オルフェーブルを称える空からのプレゼントであったのかも知れない・・・。


    エッ?私の馬券?プライベートは聞かないのが大人ってものでしょうが・・・。

    でも、告白してしまいましょうかね。

    私が選んだのは、馬連で、1着(・・・)2着はルメールに手綱が戻ったエイシンフラッシュ、ヴィクトワールピサ、果敢に逃げてレースを支配することを期待したトーセンジョーダンの3頭でした。
    1着(・・・)に入れるのは、未来への希望オルフェーブルか、ラストランを終えて新しい旅立ちをするブエナビスタへのはなむけか、どちらにするかは最後まで迷いました。両方購入すれば6点でしたが、意地でも3点に絞りたかったんですね。迷って、迷って・・・

    で、どちらにしたかは、エヘへ、永遠の謎です。


    category: 競馬

    thread: 演劇的競馬論  -  janre: 学問・文化・芸術

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    2011有馬記念 その① 

    埴輪馬

    さて、JRA今年最後のG1有馬記念が週末に近づいている。

    クリスマス競馬となった。

    天皇賞、JCと古馬の激戦があり、3歳馬は3冠馬が誕生して、その雌雄を決する闘いとなることは判っている。

    積み上げた経験を思い起こせば、有馬記念は、ここに至るまでの闘いにまだ余力を残して消耗していない馬が主役となり、意外な結果を呼び招くときは、極端なハイペースかスローペースとなるレース展開が大きく影響するのである。

    第4コーナー。1周目の外回りから2周目に内回りとなる2500mのレースだが、ポイントは、個人的には、スタート、2周目の第2コーナー、そして最後の勝負地点となる第3~第4コーナーだ。

    そのとき各人馬は、どう動くのか?

    調教気配を確かめて、当日は、中山へ行く予定にしている。

    まだ想像を逞しくして検討する時間はある。これから頭の中を充分に駆使してみようか。暗すぎた2011年に、明るく決別するためにも。

    category: 競馬

    thread: 演劇的競馬論  -  janre: 学問・文化・芸術

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    大失敗 

    由進作 勝運駒

    今、家族から顰蹙をかっています。

    将棋駒に戯れていて、漆を少しばかり甘く見ていたのです。

    私自身は、どうやら漆に耐性があるらしく何とも無かったのですが、先日漆に触れて、その手を洗わずにいたとき、たまたま連れ合いに背中を掻いてと頼まれ、その手で言われた箇所を掻いてやったんです。

    すると翌日、連れ合いは背中が痒くてならないから、どうなっているか見てくれと言います。

    で、確かめてみると、皮膚が赤く腫れ上がって広がり、まるで蕁麻疹が出たようになっていました。

    まだ、漆が原因だとは少しも思わず、1日様子を見て、それでもダメなら医者に行ったらと、提案しました。

    同じ日、息子が金の袋が痒いと、恥ずかしそうに言うんです。そう言えば、まだ完全には乾ききってはいない漆の書き駒を、大事にしろよと言いながらプレゼントしました。それを触って感触を確かめていた息子は、そのままトイレに行って、金の袋を触ったようです。

    子供の頃、漆に触るとかぶれるよと、大人たちから言われたことがあります。でも今回は、駒作りの真似事をしたときも、私自身は漆が手についても何とも無かったので、最近の漆は大丈夫なんだと勝手に思い込んでいたんです。

    でも、そうじゃなかったんです・・・

    漆に慣れていない敏感な肌は、やはりかぶれるんですね。私の肌は鈍感だったのでしょう。

    その日以来、今日に至るまで、私は、厄介者として家族から顰蹙をかっています。

    まさに原因者であるだけに、無抵抗です。罵詈雑言の文句に耐えるしかありません・・・

    皆さん、漆の取り扱いには気をつけてください。でないと、私のように疎外された存在になってしまいます。

    漆を触ったら、手を洗いましょう。乾ききるまで待ちましょう。

    間違っても、その手で金の袋は、お触りにならないように。でないと、しばらくの間、人にも言えない痒みに襲われて、苦しみますよ。でも、ご自身がマゾであることを自覚しているようなら、まあ、やってみる価値はあるかも知れません・・・気が張り裂けんばかりのムズ痒さって言うのは、マゾ人には、とっておきの快楽で、乙なものかも知れません・・・でもねェ、止めておいたほうが良いかとは思いますけど・・・

    category: 将棋駒

    thread: 極私的将棋駒の快楽  -  janre: 学問・文化・芸術

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