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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    それは自己破壊する宇宙なのか? 

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    ああ、我が創り得たる宇宙よ。

    今お前は、存亡の危機にあるのかも知れぬ・・・

    ミナミヌマエビの孵化によって、瞬く間に人口密度を増した我が宇宙空間に、またひとつの問題が沸き起こっている。

    たまたま外の池で増えた元気なマツモを一本、我が宇宙に入れたのだが、それが大きな誤りだった。

    創造主も誤る事があるのは認めよう。しかしそのマツモにインベーダーがついていることは、本当に予想してはいなかったのだ。

    インベーダーは、ハリウッド映画のようなとりわけ恐ろしい容貌を持っているわけではなかった。ごくさりげない風情で、そっと我が宇宙に進入を果たしたのだ。

    その正体は、まだ名も知らぬ小さな貝である。先住民たるタニシや石巻貝と比べても明らかに小さく、最初はまあしょうがないかと、進入を認めてやる大きな心持でいた。

    しかし、しかしである。やさしい善意が貝の増長を呼んでしまった。この貝は、エビどころではなく繁殖力が旺盛なのだ。まだ幼稚園児のようなほんの小さな体で、2匹が絡み合って生殖し、ゼリー状の卵を産みつける。すぐにそれが孵って、小さな体で蠢き始める。

    あんまりだと思って、創造主は淘汰してみたが、それが生物的恐怖感となったのか、生殖スピードを速めて対抗するようになってしまったのである。

    悩ましい。実に悩ましい。

    宇宙というのは、こうして調和から自己破壊への道を辿ってしまう宿命にあるのか?

    善意を逆手にとって増長する。それをコントロールできない。まるで日本という名の、どこやらの国ようだ。困ったもんである。

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    category: メダカ・ミジンコ・ミナミヌマエビ・マツモの宇宙

    thread: 宇宙創造  -  janre: 学問・文化・芸術

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    彫り駒と盛り上げ駒 

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    この駒を見つめてください。
    写真の中の左は、月山作錦旗盛り上げ駒、右は初代竹風作錦旗彫り駒です。

    ある駒師から、興味ある事実を教えてもらいました。

    それは、彫り駒と盛り上げ駒の、根本的な違いの指摘でした。

    銀将の将の字、歩兵の歩の字。

    盛り上げ駒は、丸い曲線をそれこそ滑らかに丸味を持って彫り、彫り駒は、丸い曲線を言うならば直線的に彫っているのです。

    かつて彫り駒の魅力は、曲線を直線(の組み合わせ)で表現したシンプルで張り詰めた緊張感ある美しさでした。
    引き換え盛り上げ駒の魅力は、しなやかな曲線美にあったのです。

    需要を満たすために、一定の時間内に多く作ることを余儀なくされていた彫り駒でした。そのとき彫り駒師の先人たちは、曲線を直線的に表現する方法を編み出して、自ら表現者足らんとしたのでしょう。

    その心意気や良し。

    本来、彫り駒の字母紙と、盛り上げ駒の字母紙は、似て非なるものであるはずですが、現在の彫り駒には、多くの場合その垣根がないのです。盛り上げ駒風に彫り駒を仕上げて、それで良しとしているのです。

    彫り駒が盛り上げ駒を真似してしまったら、その時点で、彫り駒師は盛り上げ駒師の優位性を認めてしまうことになるのではないでしょうか?

    私は、彫り駒の謂わばデフォルメされた表現方法に、大きな可能性を見出します。

    category: 将棋駒

    thread: 極私的将棋駒の快楽  -  janre: 学問・文化・芸術

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    駒~どうしても理解しにくかったこと 

    由進作 左馬・幸運駒②  
     
    将棋駒に興味を持ち始めて、最初にぶち当たった理解しがたい事柄に、作者名の実体があった。

    というのは、駒作者というのは、作品に責任を持つ工房のブランド名である場合が多かったからだ。

    それまでの経験から、私にとって作者というのは、あくまでも個であって、共同作業の結果で生まれた作品などというものは、意識外の何者でもなかったのである。

    最初は、そんな目線で駒を見ていた。

    であるなら、駒を彫り、それをサビ漆で埋めて、漆で盛り上げる工程を、駒師一人の責任でやり遂げることになるのだが、ものの本や解説を読むと、どうもそうじゃないらしいのだ。彫り専門の駒師の作品が、埋め駒や盛り上げ駒となって流通している。つまりは盛り上げ師というべき漆の書き職人がいるらしい。となれば、もはや別の作品ではないのか?同時に、彫りから盛り上げの最終工程まで自らの責任においてやり遂げる駒師もいる。

    どうも駒師世界そのものの成り立ちが判り難く、混乱しっぱなしだった。

    明治以降の名工たちにも、例えば龍山も下職を抱えていたとか、奥野一香の元にも松尾某という手練れの職人がいたり、静山自身も若い頃には下職の仕事をこなしていたり、木村にいたっては天童の駒師に委託生産をさせてもいるし、影水の元にも木下というやはり手練れの職人がいて、宮松名の駒の多くは木下の作品であるらしい。影水が早世した後は、静山が手伝ったとも言われている。

    最初は、実に戸惑ってならなかった。

    それでも駒に関する本や、情報に接していると、何となく判ってきたことがある。

    イメージとして、江戸期の浮世絵の世界を思えばいいのだと。絵師がいて、版木の彫り師がいて、摺り師がいて、例えば蔦屋重三郎というプロデューサーがいて、それが絵師の作品となって江戸庶民の元に供給された。それぞれが、チームとして蔦屋重三郎の目にかなった絵師の心を創り上げたのだと。

    おそらく天才と呼ばれる2代龍山やその他の名工も、ここぞという作品には、誰の手にも触れさせず自ら仕上げたのだろうが、通常流通する駒は、それぞれの工房のブランドを辱めない作品である限り、自らの工房名の作品として売っていたのであろう。

    そのことを受け入れるまで、結構時間がかかったが、勉強にもなったと思う今日この頃である。

    category: 将棋駒

    thread: 極私的将棋駒の快楽  -  janre: 学問・文化・芸術

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    秋 天皇賞~何故、私の推理は敗れ去ったのか 

    埴輪馬

    冗談がまともに決まってしまった。

    敢えてトーセンジョーダンのことを、冗談などと書き記したかと言えば、頭には少し引っかかるものがあったからだ。秋天皇賞の穴馬は、札幌からの直行組が怪しいということは、経験では判っていた。決して盲点ではなかった。なのに何故?

    私の選択は、ブエナビスタ、エイシンフラッシュ、ダークシャドウだった。

    それが見事に朽ち果てたのは、蛯名シルポートが作ったハイペースのレース展開と、ブエナビスタに騎乗した岩田康誠、ダークシャドウに騎乗したべりーの、勝負処である第4コーナーの見極めの甘さとしか言えない。

    ルメールの騎乗したエイシンフラッシュは、5F56秒5という速い流れに乗りすぎた印象があるし、それでも先行馬の中で唯一頭6着に踏ん張ってはいた。不満はあるが、納得もできる。

    しかし第4コーナーを甘く見ていた岩田康誠とベリーは、直線で他馬が邪魔になる大きな不利を受けて、不完全燃焼のレースとなった。脚を余して、馬に最高の能力を発揮させてやる騎乗とはならなかったのである。

    これだけのメンバーが揃えば、第4コーナーから外側の馬たちが次々と内に迫って、厳しい締め付けがあるのは当然のことだろう。少し競馬を知れば、誰でもそんなことは判る。

    でもこの二人の意識には、事前の対処が無かった。不利に巻き込まれてから、何とかしようとはしていたが、もうそのときは遅かったのである。馬が最後に伸びてきているだけに、当事者からすれば実に勿体無い敗戦であろうし、馬を応援していたファンの立場からすれば、「何やってんだよ」という不満になる。

    ピンナ・トーセンジョーダンは何一つ不利を受けることなく勝利を掻っ攫ったのだ。勝つときはそういうものだという見本のようなレースだった。しかし着差からすれば、べりーがあらかじめ第4コーナーからのせめぎ合いを予測して、きちんと対処していたらダークシャドウと入れ替わっていても少しも不思議はなっかたのだ。

    おそらく次のJCは、今日敗れた馬たちの復権があるだろう。

    それにしても、ブエナビスタを勝たせられない岩田康誠である。他のレースではそれなりの信頼に応える騎乗をし続けているのに、何故かブエナビスタとは相性が悪い。これだけの馬には、せめて1勝はプレゼントしなければ、情けないよ岩田君。

    category: 競馬

    thread: 演劇的競馬論  -  janre: 学問・文化・芸術

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    秋 天皇賞 

    埴輪馬

    メンバーは、現状の一線級が揃った。もしここに凱旋門賞を目指したヒルノダムールとヴィクトワールピサが出てきたら、それこそ、まさに日本の2000mの競馬のチャンピオン決定戦になるところだった。

    それでもG1馬が勢揃い。さてさて。

    この秋は、ブエナビスタの物語のおそらく最終章が書き込まれるはずだ。それがハッピーエンドなのかどうかは判らないが、私自身はそうあって欲しいと願う一人である。この間丸3年。すばらしいドラマを1頭の牝馬に見せてもらった気がする。後2ヶ月。これまで通りに弾け続けて欲しい。

    最終追い切りでは、併せた僚馬にわずかに遅れたが、おそらく心配することは無いだろう。

    相手は絞る。迷ったらきりが無いメンバーだ。昨年のダービー馬エイシンフラッシュと最近の上がり馬ダークシャドウ。ブエナビスタが奏でる音楽の光と影だ。ちょっと気取ってしまったか・・・でも光と影も押えておこう、念のために。

    おそらく人気だろうが、それは世間が決めることでやむを得ない。

    明日、もう一度、追い切りのVTRを見て、決断をする予定だが、多分私の結論は変わらない。

    ブエナビスタの旋律に、光と影が交錯して、力強いビートが弾けるのだ。そこには薔薇もジョークも夢も輝きも何もいらない。そんなドラマを見てみたい。



    category: 競馬

    thread: 演劇的競馬論  -  janre: 学問・文化・芸術

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