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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    送られてきた彫り駒たち 

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    先月の半ば、ある方から、どうしてもいい彫り駒を見たいというメールでの依頼があり、困った私は以前からの知り合いにお願いして所有されている駒を送ってもらった。

    メールでの問い合わせはその後にも別の方からもあり、最近はどうも世の中の彫り駒への関心が高まっているようだ。これもある種の藤井効果の影響なのかも知れない。彼の修行駒は、竹風作の彫り駒だ。

    数組の駒が送られてきたのだが、写真の2組がまだ送り返さずに手元にある。1組は縦筋のはっきりとした赤荒柾の錦旗。もう1組は薩摩黄楊古木の大胆な深彫りの彫り駒である。

    今朝たまたまじっくりと見直してみたが、作り手の意欲がはっきりと刻まれて、味のある作品になっている。共に特注の駒であるからだろう。

    どうせなら、どちらか1組は可能なら私自身が入手したいくらいなのだが、果たしてどうなることやら・・・・。




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    category: 将棋駒

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    ついでとばかりに~普段使いの駒たちを 

    3日ほど前に、湿気の悪影響がなかったかと取り出してみた盛上げ駒。

    何故か、ご覧になる人たちが多く、今さらながら驚いています。ただ私は宣伝係でもブローカーでもないので、敢えて作者の名には触れていませんので、ご推察くださいませ。

    で、ついでですから、普段使いの駒写真も撮ってみました。著名な駒師の作もあれば、この私の手になる下手な駒もありますので、ご注意ください。

    こんな駒をその日の気分で使っています。
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    そう言えば、こんな駒も平箱にしまっていました。この<篁輝>書体は今では珍しいでしょう。

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    自作を含めて、これだけでもう6組。使いこなすことも手入れするにも骨が折れます。
    改めて、欲しがる所有欲に責められて、ただただ増やせばいいというものではないと思い知らされます。

    それでも欲しくなるのなら、1組手に入れたら1組を手放す意志を持つことかも知れません。
    使われてこその道具ですから。
    そう思う、今日この頃です。







    category: 将棋駒

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    ちょっとその気になって 

    DSCN2630.jpg(フラッシュ撮影画像で飛んでしまっているが、古木の味わいがある)

    先週末、マイルCSの前夜、そう言えばと気になって、久し振りに将棋の盛上げ駒を取り出してみた。

    先月の降り続いた雨で、何か異変がなかったかとチェックした次第。駒は黄楊の木でできている。木材には湿気は危険だからだ。

    結果何事もなく、安心した。イボタ蝋で磨いて仕上げた効果だろう。

    結局、飽きずに私の手元に残ったのは、伝統ある「安清」系の書体だった。好みは時間と共に収斂して明確になるものだ。そこに至るまでに、あれもいい、これもまたいいなどと、無駄に浪費を重ねて迷い惑うていたのだが、楽しさで言えばその瞬間こそが楽しかった。今は冷静なので、ほとばしる様な熱さはもう生まれてはこない。いいものに触れたときに「これなら飽きさせないでくれるな」と、そっと頷くだけで満足する境地で、何が何でも手に入れたいなどと焦る気持ちもない。
    あと2~3組ほど廉価な木地を預けてある駒師もいるし(まあ忘れていなければそのうち手が空いたら作ってくれるでしょう)、いざとなったら下手を承知で自分でも挑戦できるし・・・。

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    先週末は、こんな老成した境地で過ごしていた。
    そして・・・・。





    category: 将棋駒

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    古駒の行く末 

    1週間ほど前、オークションに出品されていた数々の古駒を眺めていた。
    おそらく蒐集愛好家の手元から、様々な事情(後継者がいない状況でご本人が亡くなってしまったのではないか?)で、古美術商に流れて、遺品となったそれらが出品されたということだろう。

    それにしても本格的な蒐集家というのは、生前に本気で手元に集めるものである。龍山、静山、木村、宮松、影水、初代竹風、そしておそらくは本物の水無瀬家書き駒まで。

    古い駒というのは、アクや味わいに満ちている。そしてそれが、逆に何と実用品を超え得た作品としてのアーティスティックな個性となっているのを再確認した。
    私自身は、現代駒というのは、TQCを求めるあまりなのか、とかく教科書的な無難な工業製品のような(まあ、スキがないとも言えるのだが)アクや味を捨てているものが多いなという個人的な感想を抱いている。

    味やアクこそが、実は作品としての価値を有らしめるものなのにである。でもそれは、その時代に生きる受け手のレヴェルで決まる側面があるから、結局は、自分自身が何を大事に感じ、何をその拠り所にしているかという美感や、大げさに言えば思想哲学の問題に行き着くので、とにかく良いものを見る経験を積み上げて、その世界の扉を開けて行くしかない。

    必ずしも自己所有しているかどうかということではないだろう。勿論所有していれば、いつだって見られ、いつだって触れる特権があるが、運良く出会った人に触れさせていただいて、それを自分の記憶にしっかりと焼き付けておくというのも効果的な経験となるはずだ。

    残念ながらここしばらくずっと手元不如意状態なので、いささかも購入しようとは思っていなかったが、それ故好奇心を逆に高めてじっと眺めていた。

    魅かれたのは、水無瀬駒(写真はオークションから)
    この特徴的な直筆書き駒の魅力。ひょっとしたら水無瀬兼成の真作なのではないかと直感した。味わいに溢れていた。

    他にも、何故か無銘だったがおそらく影水作の淇洲。 淇洲

    それに、木村作の清安。 木村 清安

    こんな個人的に魅かれる駒をただただ(指を咥えて)眺めているのも楽しい時間だった。
    (そう言えば、同時出品されていた将棋連盟の「関東名人駒」と兄弟駒とされる赤柾の奥野作宋歩好は、結局どうなったのだろう?気になるところだ)

    それにしても、趣味人の気概を込めて蒐集された駒作品の寿命もまた、それらを愛した者の寿命と一体となっているのではないかという厳粛な事実をも、改めて思い知らされた時間でもあった。数寄に走る者には、次代の行く末をも担う責任までが付き纏ってくるということなのだろう。それはそれで大変だ・・・。








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    盤~木口の宇宙的紋様 

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    3枚の将棋盤の木口の写真を撮ってみた。ちょっとフラッシュが反射して映りが悪いが・・・。

    左から、柾目(天柾か)、木裏、柾目だ。

    一本一本の年輪が、時間にして1年が刻まれていると考えるなら、こんな小さな写真の中に、数百年の時間が刻まれていることになる。受けとめる発想や視点を少しだけ変えてみると、ここにはまさに宇宙的時間が込められているのだとも言える。

    もうひとつ判るのは、榧の木の根付いた場所の生育環境である。種がどこに根付くのかというのは、人工的植林ではない限り、偶然の気まぐれで、たまたま根付いてしまった場所が、厳しい環境だったかそうでなかったかは、年輪の幅で判ってくる。

    2枚目までの画像より、3枚目の年輪の幅は広い。それだけ楽に成長できたということだ。でも逆境に耐えて育った榧が刻み込む細かな年輪の方が、やはり眺めて風合いがあるのだ。

    おそらく人間であっても、厳しい現実に耐えて齢を重ねて育ちきった人物の方が、スクスクと育った人物よりも、情緒的な風合いにより深いものがあるのと同じことだろう。ただ人間の場合は、見える表の顔の他に隠された裏の顔もあるから、少しだけ複雑にもなるのだが・・・。

    ともあれ、榧の木口の表情に宇宙的時間を感じると、興味がさらに湧き、眺めていても少しも飽きない。

    こんな楽しみもあるんだと、改めて感じ入る今日この頃・・・。




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