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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    唐十郎作「少女仮面」~新宿梁山泊公演 於:下北沢 スズナリ劇場 

    2015少女仮面
    かねての約束通り、劇評家の西堂行人と待ち合わせて、10月5日、下北沢に行った。

    いつの間にか(私に何の相談もなく?)小田急線が、かつての東北沢の開かずの踏切手前辺りから地下に潜って、駅前は再開発の途中だったが、私自身は地下に潜った小田急に乗って下北に来たのは初めてだった。再開発で、新宿寄りの踏切の角にあった煎餅屋の「満月」が買えなくなると嫌だなと心配していたが、その店は眼の前の踏切が無くなった為に、逆に駅前の一等地の角地に店が残るようになっていた。これも運なのだろう。

    7時開演。以前に「少女仮面」を見たのは、李麗仙が本番直前の舞台稽古中に転倒して頸椎を痛めてあわや公演中止の事態となったた94年の同じ下北沢にある本多劇場公演以来だから、いやはやもう20年にもなる。(このときのことは、拙著「李麗仙という名の女優」に詳しい)

    「少女仮面」という作品は、おそらく作家唐十郎が、原風景としてのイメージを50年代のフィルムノワールの名作映画「サンセット大通り」から構想したと理解している。監督は巨匠ビリー・ワイルダーだった。サイレント映画時代のスター女優ノーマは、ロス郊外の大邸宅で執事を抱えながら、今は老いてもスターであったかつての幻影の中で生きている。そのイメージを、唐十郎は時空を超えて存在すら疑わしい某地下喫茶店に徘徊するかつての宝塚少女歌劇のスター春日野八千代に託したのである。

    細かく劇をなぞるのは止めておくが、演出金守珍がその地下の喫茶店の壁に飾られた額縁の中に、猛吹雪が吹き荒れる満州の荒野を組み込んだ演出は特筆ものだった。一瞬にして、小さなスズナリの劇場空間が、冷え冷えとした満州の荒野に変じたのだ。

    マスク(仮面)や腹話術という一個の人間の同存表現も、いま改めて新鮮に感じた。

    そう言えば、演出の金守珍にも、彼が監督をしてあの山本太郎が主演した映画「夜を賭けて」の撮影のとき、韓国で出会っている。あのとき私は、「一度韓国に行きたいなあ・・」と呟いたら、出演していた李麗仙が、「それなら私の付き人ということにして行こうよ」と声を掛けてくれたのだ。拙著「李麗仙という名の女優」を出版してくれたアートンの郭充良が映画のスポンサーでありプロデューサーであったことも幸いした。確か1か月半の間に2度渡韓した記憶がある。今回の公演は、しばらく忘れていたこんなことも想い出させてくれた。

    終演後、西堂と共に李麗仙の楽屋に顔を出して挨拶して帰ろうとしたが、同じ場所に大鶴義丹の娘であるビアンちゃんと母マルシアがいた。一瞬懐かしく、私はもう18歳になったビアンちゃんに声を掛けた。以前にまだ幼かった彼女と那須に一緒に行ったこともあったのだ。あのときは、李麗仙が孫のビアンちゃんを連れ、私も息子を連れて行った。現地では、現役を引退した騎手安田富男も合流した。楽しく印象的な旅だった。
    「あれ、ビアンちゃんじゃない」
    一瞬キョトンとしたビアンちゃんに、
    「ホラ、あの時一緒に那須に行ったでしょ。覚えてる?」
    「ハイ」
    「大きくなって・・。目元がお父さんとそっくりになってきたね」
    「皆さんからそう言われるんです」
    そんな会話を、隣でマルシアが笑みを浮かべながら聞いていた。

    すぐに楽屋を訪ねる順番が来て、私たちはそのまま挨拶に向かった。
    この日、芝居を終えた李麗仙からも、西堂行人からも、「このあとちょっとビールでも」と誘われたのだが、時計を見ると、何とか最終のレッドアローに乗れたので、後ろ髪を引かれる思いで、一人劇場を後にした。

    これもまた、流れ行く日々の、一瞬の光景なのである。そしてその景色は、自ら動くことでいろいろに様変わりする。ふと気づいたときには、予想だにしなかった地平にまで辿り着いていることさえある。「山にこもらず、自ら動かねばならないな、やっぱり」と、改めて気づかされた夜となった。

    でも、李麗仙とも西堂行人とも、11月1日の天皇賞でまた会えるのだ。その手配だけはしておいたから、今回は良しとしようか・・・。





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    category: 映画・演劇

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    劇場へ行こう! 喜劇昭和の世界〖阿部定の犬〗(佐藤信・作) 

    JT

    8月20日午後1時半。私は、杉並区立杉並芸術会館<座・高円寺2>に到着した。

    喜劇昭和の世界〖阿部定の犬〗を見るためにである。今風のしゃれた劇場だった。

    これまで18年間、近畿大で演劇を教える西堂行人から誘いを受けたのだ。彼の最初の教え子である演出家笠井友仁が、HMP・シアターカンパニーの東京公演を行うのだという。

    そもそも劇評家として出発した西堂行人とは、ここでは詳細をつまびらかにはしないが、実は大学時代からの友人で、ときに共同者同志であったこともある。私が脊髄を大手術して秩父の山の中に引っ込んだ頃に、縁あって西堂は近畿大に招かれた。その後は、東京と大阪を往復する彼とは、ゆっくりと会って互いにバカを言い合うことはなくなっていたが、年賀状や著書は送り合って、腐れ縁の関係はずっと続いていた。

    私は、佐藤信作〖阿部定の犬〗や昭和喜劇3部作となる〖キネマと怪人〗〖ブランキ殺し上海の春〗は、それこそ何度も黒テント公演に駆け付けた体験を持っている。脊髄の病の発症からその数年後の大きな手術故に、他者と集団となって協同する演劇的な活動を諦めなければならなくなった私にとっては、喜劇昭和の世界3部作の、林光やクルトワイルらの奏でた劇中歌は、一人になったそれからの私の、時間を埋める愛唱歌にもなっていたのである。今でも、大方の劇中歌は歌いこなせるのだ。正確な意味で、私自身の演劇的感性の原点は、さらに言い切れば、私の文章の原点は、実はこの3部作にあるのだと言い切ってもいいだろう。

    その最初の契機は、1976年の梅が丘羽根木公園での3部作連続公演に、西堂行人と共に何度も出向いたことにあった。

    そこでは、隣に座る見知らぬ他人とひざや肩を寄せ合って3時間を耐える満員のテント空間があり、故斎藤晴彦やら黒テントの女王新井純らが躍動していた。大谷直子と付き合い始めていた清水紘治も、〖キネマ・・〗〖ブランキ・・〗では、艶やかな男の色気を発散させていた。他にも、村松、溝口、服部、福原、小篠、金子、小早川、井川・・・らが。

    この3部作で、私は、30代になったばかりの劇作家佐藤信から、みずみずしい言葉の豊饒さや、重層構造の劇作術や、笑いの多様性を教えられ、学んだのだった。(少しでも自分のものとするには、才能に恵まれないためにそれから多くの時間が必要だったが・・・)

    佐藤信作〖阿部定の犬〗は、私にとって、記念碑といえる、そんな作品だったのである。

    2015年8月20日の、若い世代による公演の詳しい感想は、ここでは書かない。2・26事件とベルリンオリンピックが同居した1936年から40年後の黒テント梅が丘公演、そしてそれから約40年後の若い世代による公演である。少なくとも彼らは〖アベの犬〗となることを忌避しようとしたことは間違いない。

    ただ同じく若かった私が、76年梅が丘で感じた4つのことだけは記しておこう。今回の公演で、ドラマツゥルギーとしての重層構造を意識化した舞台の時空が意識されていたか否か?跳梁する役者たちの身体への意識はどうだったのか(21世紀の身体論とは何か)?昭和喜劇3部作から要求される笑いの質は整理されていたのか?オペレッタの役者たちが、役で唄うことへの配慮はあったのかどうか?

    頑張ってやり遂げるだけではなく、表現には表現が要求する「魔性の技術」もある。それが足りてなかったら、表現すらが成立しない「お芝居の神様」の領域のことだ。意識があればそこににじり寄っても行けるだろう。

    76年の梅が丘。黒テント本公演の入場料は、確か1500円か2000円ほどだった。そこで私は、人生の新しい息吹を得た。
    今回の公演は、予約券で3800円。芝居の現実もあるが、それだけの観劇料を頂く怖さを忘れないで欲しいものである。甘えたら、明日はないのだと。

    でも、私は芝居を見ながら、クルトワイルや林光の「日の丸弁当」の歌を、一緒になって鼻歌で歌っていた。

    ラストシーン。「昭和、終わったか」と原作にはあるが、今、本当に劇作術として終わらせなければならなかったのは、何であったのか?それが一瞬でも垣間見られたら、おそらく私は、至福の時間を劇場で得られていただろうが・・・。

    終演後、西堂行人の仲立ちもあって、黒テントの女王新井純と、劇作家佐藤信に挨拶できたのは、今や山中引き籠りになっている私には、実に刺激的だった。西堂に感謝しておこう。そして同じテーブルでご一緒した「論創社」の森下さんにも。

    またいつでも劇場に行きたいと再発見した1日だった。









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    テキサスの5人に仲間~A BIG HAND FOR THE LITTLE LADY 

    20141126010224cbe.jpg    テキサスの五人の仲間2

    1966年製作の、エンターテイメントの映画である。

    最初に見たのは、それから10年も経った頃のTVの深夜放送だった。最初は、何が始まるやらと小馬鹿にしながら眺めていたのだが、シナリオがあまりにも秀逸で、ハラハラしながらすぐに引き込まれ、最終最後のどんでん返しに、してやられたと「5人の仲間」の正体に唖然とした次第。

    ヘンリー・フォンダとジョアン・ウッドワード(ポール・ニューマン夫人である)の息が合って、小作品ではありながらも、記憶に残る映画だった。

    ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの映画「スティング」の仰々しさはないが、見事に嵌められてしまうシナリオと、邦題「テキサスの5人の仲間」というタイトルには、見終えた瞬間に脱帽した。それから何度見ただろうか。とにかく楽しませてくれる映画である。

    舞台は、年に1度5人の金持ち富豪が集って、ポーカーの大勝負に挑むテキサスのとあるホテル。
    そこにサンアントニオに向かう途中の3人家族が現れて、有り金全部をはたいてしまうことから、ドラマは佳境に入っていくのだが、何せどんでん返しの構成だから、これ以上のストリーを書いてしまうのは野暮だろう。

    が、こんな唖然茫然の表情写真が、映画の全てを象徴している。
    l.jpg

    世の中には、面白みもない堅物の銀行マンという先入観が、今も昔もあるのだが、その先入観こそが、騙しのテクニックを成立させてしまうから、アイロニックである。たぶん今でも、銀行を舞台にした詐欺が計画されたら、騙されてしまう人間は多いはずだ。

    脚本の凄味を教えてくれた映画だった記憶がある。それは今でも、私の中に生き生きと残っている。






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    映画「Mulholland Drive」~喉の棘からの解放 

    ここしばらくの間、サラブレッドや将棋駒など具体的なものから、自分自身の想像力を鍛えようとしてきた。

    映画や演劇、あるいは文章などの作品は、例えば、何もない空間に一人の役者が現れれば舞台となり、何の変哲もない大きな白い布切れに光の陰影が映し出されれば映画となり、何もない紙の空白に文字が埋め尽くされていけば文章の醸し出す虚実の世界が刻まれる。
    何もない場所から、想像力の交響詩が鳴り響き始めるのだ。

    そう言えばと思った。そう言えば、「何もない空間」や「何もない銀幕」や「何もない原稿用紙」の大きな可能性を、ちょっと忘れがちだったなと、大いに反省したのである。

    具体物を手掛かりにして頼りにすると、スノッブにならざるを得ないだろうし、出会う人間の言葉や視点観点も、相手の能力が溢れていない限りスノッブなものとなっていく。気がつかないうちに、作品の質よりも価格の値打ちの話に落ちて行くのだ。いくらで買って、今はいくらだという話は、何がいいのかを考えて刺激を受けたい私の様な者には、それだけではどこか心の不満ともなっていくから悩ましい。

    そんな私の日常を少しでも改善しようかと、ずっと以前に録画したDVDを取り出した。

    映画のタイトルは、「Mulhollando  Drive」。2001年、デヴィッド・リンチ監督の作品である。

         413yOkxjFqL.jpg    about_key.jpg    3-2.jpg(写真は、Mulholland Drive を扱ったHPから参考にさせていただきました)

    この映画、これまでに7,8度見ていたのだが、見るたびに様々な迷路に誘い込まれ、同時に様々な妄想を呼び起こされて、結局はデヴィッド・リンチの世界に翻弄され続けていた。どうにも喉元に棘が刺さったようなもどかしさが拭い去れずに、言わばデヴィッド・リンチの掌で踊らされていたのである。

    「な、何なんだ、こりゃ!?」と、たまには叫んでみたい方がおられたら、ぜひ一度ご覧になって下さいと、ニヤニヤしながらお勧めしたい映画である。

    デヴィッド・リンチは、’80年「エレファントマン」、’86年「ブルーベルベット」、90年「ワイルドアットハート」、’92年ツインピークスなどの映画作品を残してきたが、日本では90年代にブームとなったTV版「ツインピークス」で知られている。

    しかし「Mluholland Drive 」こそが、私を最高に刺激して、同時に最高に哀しくさせてくれる作品である。

    もし、現実(そしてあるいは死)から冥界(現実と夢の領域を繋ぐ世界)そして夢(耐えられない現実がこうなって欲しいと垣間見た夢)という並びなら、おそらく戸惑うことなく「こんなもんだ」と受け入れられた構成だったろう。

    それが、デヴィッド・リンチの最初の仕掛けで、敢えて夢~冥界~そして立ち戻る現実と大胆に構成されてくるから、何度見ても、私は術中に嵌まってしまっていたのだろう。

    今回見直して、そのことだけは理解した。

    あらすじを最初から記してしまうのは野暮だ。特に映画そのものがミステリー仕掛けになっている要素も強いから、それは控えなければいけないが、可能な限り最小限だけ記して見なければ、何も書けなくなってしまう。

    イントロは、地方の場末都市で高校生のダイアンがジルバ大会に晴れがましく優勝するシーンが再現されるところから始まる。白い靄のような白煙に包まれて、後に遺産を残してくれた叔父叔母とダイアンがホワッと浮かび上がり、次の瞬間、カメラは血の様なえんじ色のシーツにくるまってベッドで眠る人の姿をズームアップ。

    そして、ベティとリタの物語が進んで行く。(これはダイアン自身であるベティと、やがて一流女優へと成り上がって行くカミーラであるリタの、ダイアンがこうあって欲しかったという夢物語である)キーポイントは、文字通り鍵にある。ブルーの鍵だ。

    やがて二人は、深夜、クラブ「シレンシオ」(言うならば、クラブSilence=沈黙の世界=冥界)にたどり着く。
    そこは、全てが記録録音された、楽団もいない、まやかしの世界。ロスの泣き女の唄に、ダイアンは、自ら作り上げたベティのまやかしの世界ではなく、赤裸々な現実を思い知らされ、震え慄く。肩を抱いて、震えるダイアンを受け入れて涙するカミーラであるリタ・・・。

    そしてベティは消え、ダイアンの現実がさらされていく。
    それは、一発の銃声で結着するのである。同時にそれは、かつては期待に胸を膨らませていたダイアンの夢が、現実に飲み込まれた瞬間でもあった・・・。

    映画の最終最後シーン。本編中のキーワード「青い鍵」のイメージを再現するように、青い髪の泣き女がクラブ「シレンシオ」の壇上の椅子からそっと呟く。
    「シレンシオ・・・」
    それはまるで、ダイアンとカミーラの二つの死を、そっとして弔いましょうと、冥界から現実に生きる私たちに呼びかけているようだった・・・。

    今回、ここまで理解できた私は、映画を見終えた瞬間、大きな哀しみに襲われていた。ダイアンの悲痛な叫びが想像できたからである。

    ちなみに、デヴィッド・リンチがタイトルに名づけた「Mulholland Drive」(=マルホランド通り)は、1950年名匠ビリー・ワイルダー監督作品「サンセット大通り」(この映画も、現実を受け入れることなく過去のサイレント映画時代にスター女優であったノーマが、妄想妄執に生きていることで起こった哀しいドラマだった)へのオマージュ(大きな敬意を表して影響を受けながら捧げた作品)ともなっている。
    ナオミ・ワッツのデビュー作でもあり、デヴィッド・リンチは、第54回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した。
    この映画を、ハリウッド資本が受け入れず、最終的に米仏合作映画になったのも、見終えてみると、何となく理解できるだろう。

    うーん、なかなかに刺激的だ。これに懲りず、たまには今まで見てきた映画や演劇を、採り上げたくなってきた。それだけ良いものを見守って来たなという実感はあるから、自分自身を錆びつかせないためにも、これからやってみることにしようか。
    皆さん、たまには気分を変えて、競馬の推理や、将棋や囲碁の次の一手を考える乗りで、お付き合い下さったら幸せです。








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