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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    大根を縦に切るか、輪切りにするかという形而上学? 

    syou6-cyuu1 08-09 116 (3) コンビニの、おそらくほとんどの街のお店でも、おでんの大根は、ほぼ輪切りだ。ホクホクとして、歯応えもある。それなりに出汁もしみて美味しい。

    あるとき、縦に幅1㎝ほどに切り落として煮込んでみた。すると歯応えが柔らかくなり、また別の大根の味がした。そしてこれもおいしかった。個人的には、縦切りの方が好みとなった。

    一つの同じものでも、アプローチの仕方によっては別物になるということなのだろう。

    今日未明、安保法制が、集団的自衛権を認知する形で参議院をも通過した。降りしきる雨の中、国会前に集った民衆の声は、永田町の傲慢な選民意識の中の良心に届くことはなかった。

    そもそも昨年12月の消費税を問う形で解散された総選挙で、欺かれて多数を与えた民衆の側が甘かったと言うしかないのだが、それとても作為的に作られた株高をデコレーションして詐欺的手段で騙しぬいた側に、より罪は大きい筈だ。選挙マニュフェストにほんの少しだけサラッと流した項目が、半年後には大々的な国家的課題のように変わっていったのだから。

    結局、その目的とは何だったのだろうか?
    仕組まれた株高(好景気演出)、閣議決定、秘密保護法制定、ガイドラインの指示を受けてのいつもお定まりの対米追随、騙まし討ちのような総選挙、積極的好戦主義のような従順な相手にはお金に物言わせバラマキ、対立国家とは敵対して周辺の危機を煽り立てる外交、憲法を頂点にする立憲主義否定、内閣法制局やNHK(最高裁判事などその他おそらく隅々までの)人事介入、強権的圧力をかけてのマスコミコントロール、福島の現実を無視しての川内原発再稼働、民意を踏みにじる辺野古移転強行等々・・・。全ては、どこかで決められた下手糞なシナリオ通りに進んだ結果である。こんな弾圧恐怖政治が、あっという間に近代国家日本の政治風景になってしまっている。選挙で数を与えると、こんな、とんでもないことになることを、私たちは教訓として学ばなければならないのだ。

    「国民の命と平和を守るために」と、何度も紋切り型で立憲主義の意味すら理解できない愚鈍の裸の王様のような首相から繰り返されたが、このとき言われる国民とは、決してあなたでも私でもなく、愚鈍の権力者に媚へつらうお友達だけが彼のイメージする国民だったのだ。そう考えると、いろんなことが納得できるというものだ。

    今、幼子を育てる多くの母親たちは、いつか戦場に送り込むことになるかも知れないと、これからは言い知れぬ不安を抱えるだろう。これまでは、専守防衛を理念として掲げてきた憲法9条が、すべての法案の土台となっていた。しかし、これからは好戦的な兄貴分アメリカの不条理な意を受けるまま(今のアメリカは理念ではなく利に走るだけの物欲主義的存在となっている)に、集団的自衛権の行使を認める新安保法制が原点の土台となってあらゆる法が作られていくのだ。放って置いたらすぐに社会の風景は別なものになるだろう。

    どこやらの首相には育てる子供がいるのかいないのか、私には定かではないが、もし子供がいないのなら、私たちやあなたたちの子供たちの未来への不安は、一片の配慮すらない貧しい想像力の中で決まったとも言える。

    専守防衛と平和主義を掲げた現憲法の理念を失うことは、戦後70年間に渡って私たちが世界と対峙する術としてきた最高の(他者には持ち得ないという特権を有していた)形而上的攻撃的兵器を失い、貧困と対立とそれ故にこそのテロの土俵に自ら進んでのめり込んで行くことなのではないか?何故今、そんな選択を敢えてしなければならないのか?不思議なことだ・・・。

    今、私の眼の前には、ホカホカと湯気を上げる輪切りの大根と縦切りの大根が別々の皿に盛られている。どちらも和風出汁が効いて、おいしそうだ。

    もしそこに、突然闖入者が現れて、「大根はアメリカ的料理法こそが正義であって美味しいのだ。それはあなたを守る集団的自衛権行使だ」などと言われても、うるさいハエを払うように追い返すだけだ。

    そうか。この和風出汁の味わいを守るには、違憲立法審査会か次の選挙での1票の権利行使しかない訳だ・・・。そのときを首を長くして待っているしかないのか・・・。でも、必ずその日は来るのだ。

    ああ、待ち遠しいと思うと小腹が空いて、私はホクホクの大根を、フウフウ言いながら平らげたのである・・・。






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    category: 世相を読む~極私的注目のままに

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    民意の反映~大新聞《不買運動》の提案 

    JT

    8月30日、国会周辺に市民が集った。その数、主催者発表で12万人。警察発表では3万5千人。どちらの計測が正しいかは定かではないが、いずれにせよ10万人近い市民が、意を決して集ったことは確かである。

    同時に全国各地での小集会も盛況だったという。

    戦争に参加拒否する意志を持った市民は、戦後70年の間に、かくまで育っていたのである。

    それはそうだろう。戦勝国となった連合国側によって、その戦争責任を問われた東京裁判の被告以外、原爆投下を含め、あれだけの犠牲者を出した戦争責任を問われなかったこの国の体制のいい加減さを知れば、他国から仕掛けられたか自ら仕掛けたかを問わず国家による戦争に、例えばかつてのように「赤紙一枚」で加担させられるのは、愚挙そのものだと、心の底で知ってしまっているのだから。

    同時に、今回の安保法案提出まで(堂々と選挙公約にせず騙すように隠して勝った選挙結果)と、その後の現憲法を無視した閣議決定から、法案提出後の訳の判らぬ法案説明のずさんさの経緯を見れば、まるでオレオレ詐欺のようないかがわしさを、もう多くの市民が知ってしまっているのだから。

    この国の市民は、ジリジリと忍耐を重ね、最終最後の段階までは我慢する愛らしさを持っている。

    が、権力が傲慢に最後の一線を踏み越えたなら、百姓一揆や打ち壊しや米騒動などを体験してきた血を体内にほとばしらせているのだ。あまりに舐めて見下していると、強烈なしっぺ返しがあることを、政官財の上に立つ者たちは知るべきである。

    そこで私は、こうも考えた。ここ数年、大手新聞やTV各局には、本来持つべきジャーナリズムが失われて久しい。市民を見ることをせず、権力を仰ぎ見てきてもいる。本当のあるべき姿を追いかけて、真実を明らかにしようとはしない。

    ならばここで、せめて大新聞の《不買運動》を市民の間で大々的に展開してみたらどうだろうか?

    かつてはトップが800万の部数を誇った大新聞も、今や、ネットに押されて、それでなくても日々発行部数を減らし続けているのが大新聞の現状だ。

    30代の新聞記者がこう嘆いている現実もある。「今はまだいい。でもこのまま行けば、私たちが定年を迎える頃には、何の保証もないみじめな定年が待っているだろう」と。

    それまで待つ必要はない。
    ジャーナリズムの精神を失い権力の御用新聞となっている大マスコミの姿勢を根本から変えるために、今日から、彼らが発行する新聞の《不買運動》を展開するのだ。たぶん決定的なダメージを受けるだろう。ほとんどの大新聞は、発行印刷から配送までほぼ一体化のシステムを構じている。発行部数の減少は、予想以上の決定的ダメージとなるのである。

    どこかの政治家が、「意にそわないマスコミには広告予算を削れ」などと発言したが、売れなくなった新聞には、そもそも広告予算が付くべくもないではないか。

    傲慢増長して、市民を捨て権力になびく大新聞の姿勢を180度変えるには、《不買運動》の大展開こそが、おそらく最も有効な市民を守る手段となると信ずるのだが、さてどうだろうか?






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    戦後70年談話を聞いた 

    JT


    仰々しく始まった首相による戦後70年談話。昨日の夕刻のことだ。

    いやはや、いささか度が過ぎた口先芸を演じようとしたようである。だれが書いたものなのか、巧みな原稿が用意されていた。途中は原稿をそらんじて、あたかも自らの言葉のように演じていたが、発せられた言葉に力はなく、結局は、私の頭では、これまでの「最高権力者は私である」とか「すべて首相である私が決める」といった論調とはまるで脈絡がないようにしか感じられなかった。

    いったい、かくも仰々しく、これまでの彼が発した論調をも薄めて、オオカミが羊の如く振舞って、何を伝えようとしたのか、到底判らない。平和や未来を志向して、侵略を許さない国家を目指そうとするのなら、現憲法こそが世界に向けての最高の武器となるはずだが、現実は新安保法制を強行突破させようとしている。しかもほとんどの憲法学者が「違憲」を指摘しているのを聞かぬ振りをしてである。

    読み上げた原稿は、政府が選んだ「有識者会議」のまるでメッセンジャーボーイのようなものだった。つまり最高権力者は、その瞬間、自らのパラダイムを持たぬメッセンジャーボーイだったのだ。だから込み上げてくる意志が何もなかったのである。

    まるでいい子の振りさえすれば、国民は欺けるとでも、まだ思っているのだろうか?
    一度芽生えてしまった不信感は、そう簡単には消せないことすら理解できないのだろうか?

    「美しい国日本」を目指すならそれもいい。しかし、そのときは醜いほどの米国追随一体化はすべきではない。米国的経済社会の在り様は、彼らが建国以来気づいてきた方法であり、極東の島国日本の文化にとっては、やはり異質な文化なのだ。共有する基盤は必要だが、精神性さえも他者米国に売り渡して、同じ土俵に上がる必要はない。おそらくグローバリズムの限界はこの点にあるのだろう。

    何故、私たちは私たちの築き上げる国家を、現憲法を根底にして目指そうとはしなのか?現憲法こそ、戦後世界を我が物顔で自分流儀に染め上げようとする米国の、最高傑作の遺物なのだと、私には思えてならない。彼らが理念的に残した、今の彼らにとって喉もとに張り付いた棘のようなものなのだ。これを有効活用することが、たぶん私たちの未来を拓くのである。そう思う。

    今日は8月15日。敗戦の決定した日。少しばかり気を引き締めて、こんなことを考えていた。

    幾多の作品によって示されてきたように、戦争は悲劇的な結末となり、どの戦争でも犠牲となるのは、結局は武器を持たない市民なのだ。だから私は、戦争に加担することも、強制されることも、断固拒否する。もし戦うときがあるとすれば、それは、人間存在を否定し、生存権を脅かす敵に対してである。

    憲法学者が憲法を学び、宗教者は宗教の教義に生き、憲法の番人たる法制局は確固たる法理論を守り抜き、公僕は謙虚に奉仕の精神を尊び、市民が笑顔で明日を迎えられる社会など、実は虚構の中の理想かも知れないが、それでも、そうあるべきと一歩一歩歩んで行かねば、すぐに社会は増長と強欲の亡者の集団が大手を振って支配するものとなってしまう。そしていま私たちの生きる21世紀の日本は、そんな輩が加速度を増しながら増えているような気がする。

    8月15日。どんな形であれ、戦争で犠牲になられた方たちの、無念と悲しみを改めて想い起こして、同時に今も続く世界の戦争の現実をも思いやって、市民を犠牲にする戦争に、不戦の誓いを持つ記念日としたいと、そう思うのであります、ハイ・・・・。




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    理想と現実~矢巾町HP教育「いじめ防止基本方針」から 

    JT

    4日前の7月5日。岩手県矢巾町矢巾北中学2年の少年が鉄道に飛び込んで死んだ。
    そしてその後、新聞記事等を通して、次第にその死が、いじめに起因する自殺であることが明らかになった。

    「またか・・・また起こってしまったのか・・・」というのが、少年の哀しい死に対する率直な感想である。

    その後、報道された校長の発言や、今は病欠しているという担任女性教師の少年が訴えた「生活記録ノート」への他人行儀な返答(誤字さえあるものだった)を知り、義憤すら抱かざるを得なかった。教育に関わる者としての矜持と責任が、まるで感じられなかったからである。

    そこで、矢巾町の役場の公式HPを閲覧してみた。教育のコーナーに「いじめ防止基本方針」が高らかに宣言されていた。
    ブログでは少しばかり長い文章だが。敢えて全文を引用しておこう。


    矢巾北中学校「いじめ防止基本方針」

    Ⅰいじめの防止等のための対策に関する基本的な考え方
    1いじめの問題に対する基本的な考え方
    いじめは、いじめを受けた生徒の教育を受ける権利を著しく侵害し、その心身の健全な成長及び人格の形成に重大な影響を与えるのみならず、不登校や自殺などを引き起こす背景ともなる深刻な問題である。また、最近のインターネットを介した、いわゆる「ネット上のいじめ」は、いじめを一層複雑化、潜在化させている。
    いじめの問題は、学校が一丸となって組織的に取り組むことを第一義とし、家庭、地域、及び関係機関等の協力を得ながら、社会総がかりで対峙することが必要である。また、いじめの問題の解決には、生徒にいじめを絶対に許さないという意識と態度を育てることが大切である。
    こうした中、本校は、学校教育目標に掲げる「友愛」-自他を尊重し、正義を愛する生徒-の精神を育むことにより、いじめを生まない環境を築くとともに、すべての生徒が生き生きとした学校生活を送ることができるよう教育活動を推進する。そのために、校長のリーダーシップのもと、全教職員がいじめの問題に対する感性を高め、組織的にいじめの未然防止、早期発見・早期対応に取り組む。
    2いじめの定義
    「いじめ」とは,児童等に対して,当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童と一定の人的関係のある他の児童等が行う,心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって,当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。【法第2条】
    〔具体的ないじめの態様〕
    ・冷やかしやからかい、悪口や脅し文句、嫌なことをしつこく繰り返し言われる。
    ・意図的な仲間はずれ、集団によって無視される。
    ・遊ぶふりをして叩かれたり、蹴られたりする。
    ・金品をたかられる。
    ・嫌なこと、恥ずかしいこと、危険なことをされたり、させられたりする。
    ・パソコンや携帯電話で、誹謗中傷や嫌なことをされる等。
    3いじめの基本認識
    (1)いじめは人権侵害であり、いかなる理由があっても許される行為ではない。
    (2)いじめは人間関係のトラブルを機序としているため、いじめられた側及びいじめた側の両方の生徒、並びにそれを取り巻く集団等に対し、適切な指導と支援が必要である。
    (3)いじめは教師の生徒観や指導の在り方が問われる問題である。
    (4)いじめは家庭教育の在り方に大きな関わりをもっている。
    (5)いじめは学校、家庭、地域社会などすべての関係者がそれぞれの役割を果たし、一体となって取り組むべき問題である。
    (6)いじめはその行為の態様により暴行、恐喝、強要等の刑罰法規に抵触することがある。
    Ⅱいじめの未然防止のための取組
    1教職員による指導について
    (1)学級や学年、学校が生徒の心の居場所となるよう配慮し、安心・安全な学校生活を保障するとともに、生徒が互いのことを認め合ったり、心の繋がりを感じたりする「絆づくり」に取り組む。
    (2)自己有用感や自尊感情を育むため、生徒一人ひとりが活躍し、認められる場のある教育活動を推進する。
    (3)すべての教師がわかりやすい授業を心がけ、基礎基本の定着を図るとともに、学習に対する達成感・成就感をもたせる。
    (4)生徒の豊かな情操と道徳心を培い、心の通う対人関係能力(の素地)を養うため、全ての教育活動を通じて、道徳教育及び体験活動等の充実を図る。
    (5)いじめ防止の重要性に関する理解を深めるための啓発その他必要な処置として、道徳、学級活動等の充実に努めるとともに、年2回の「いじめ防止全校集会」を実施する。
    (6)保護者、地域住民及びその他の関係者との連携を図りつつ、いじめ防止に資する生徒が自主的に行う生徒会活動に対する支援を行う。
    2児童生徒に培う力とその取組
    (1)自分も他人も共にかけがえのない命を与えられ、生きていることを理解し、他者に対して温かい態度で接することができる思いやりの心を育む。
    (2)学級活動や生徒会活動などの場を活用して、生徒自身がいじめの問題の解決に向けてどう関わったらよいかを考え、主体的に取り組もうとする力を育む。
    (3)学級の諸問題について話し合って解決する活動を通し、望ましい人間関係や社会参画の態度を育てるとともに、違いや多様性を越えて合意形成をする言語能力の育成を図る。
    (4)「心とからだの健康観察」を活用した心のサポート授業等をとおして、児童生徒一人ひとりのセルフケアやストレスマネジメントの力を高める。
    3いじめの防止等の対策のための組織
    本校は、いじめの防止等を実効的に行うため、次の機能を担う「いじめ対策委員会」を設置する。
    (1)構成員
    校長、副校長、主幹教諭、指導教諭、教務主任、生徒指導主事、養護教諭、スクールカウンセラー
    【重大事案発生時は右を加える】=学校評議員、町教委担当者、その他関係機関
    (2)取組内容
    ①いじめ防止基本方針の策定
    ②いじめにかかわる研修会の企画立案
    ③未然防止、早期発見の取組
    ④アンケート及び教育相談の実施と結果報告(各学級・学年の状況報告等)
    ⑤いじめ防止にかかわる生徒の主体的な活動の推進
    (3)開催時期
    いじめ事案の発生時は緊急開催し、事態の収束まで随時開催とする。
    4児童生徒の主体的な取組
    (1)生徒会による「いじめ撲滅宣言」や「STOPいじめ作戦」等の取組
    (2)いじめ防止標語・ポスターの作成
    (3)好ましい人間関係づくりをねらいとした生徒会行事や取組
    5家庭・地域との連携
    (1)学校いじめ防止基本方針を、ホームページや学校通信に掲載するなどして広報活動に努める。
    (2)PTAの各種会議で、いじめの実態や指導方針について説明を行う。
    (3)いじめ防止等の取組について、学級通信や学年通信を通じて保護者に協力を呼びかける。
    【例】「いじめのサインに敏感に!」:元気がない、体調不良、食欲不振、持ち物がなくなる等、いつもと違う子どもの変化に気づいてもらうための内容など
    (4)授業参観において、保護者や地域住民に道徳や特別活動等の授業を公開する。
    6教職員研修
    いじめの防止等のための対策に関する校内研修を年間計画に位置づけて実施し、いじめの防止等に関する教職員の資質向上を図る。
    (1)いじめの問題にかかわる校内研修会年2回(7月、12月)
    (2)いじめ問題への取組についてのチェックポイントによる自己診断年2回(6月、11月)
    Ⅲいじめの早期発見のための取組
    1いじめの早期発見のために
    (1)いじめや人間関係のトラブルで悩む生徒が相談しやすいよう、日頃から教職員と生徒が信頼関係を築くように心がける。
    (2)日常の観察については、いじめ行為の発見だけでなく、生徒の表情や行動の変化にも配慮する。(学級担任は、日記や生活ノート等も活用する)
    (3)いじめは大人の見えないところで行われるため、授業中はもとより、休み時間、給食時間、部活動においても生徒の様子に目を配るよう努める。
    (4)遊びやふざけあいのように見えるいじめ、部活動の練習のふりをして行われるいじめなど、把握しにくいいじめについても、教職員間で情報交換をしながら早期の発見に努める。
    (5)いじめの兆候に気づいたときは、教職員が、速やかに予防的介入を行う。
    (6)地域や関係機関と定期的な情報交換を行い、日常的な連携を深める。
    (7)相談ポストの設置。
    2いじめアンケート及び教育相談の実施
    いじめを早期に発見するため、生徒や保護者からの情報収集を定期的に行う。
    (1)生徒を対象としたアンケート調査(こころのアンケート等)年3回(5月、11月、2月)
    (2)保護者を対象としたアンケート調査年2回(6月、10月)
    (3)教育相談を通じた生徒からの聞き取り調査年2回(6月、10月)
    3相談窓口の紹介
    いじめられている生徒が、教職員や保護者に相談することは、非常に勇気がいる行為である。
    いじめを大人に打ちあけることによって、場合によっては、いじめがエスカレートする可能性があることを十分に認識し、その対応について細心の注意を払うこととする。
    いじめの兆候を発見したときは、関係する教職員で迅速に情報を共有し、適切な対応を行う。
    本校におけるいじめの相談窓口を下記のとおりとする。○日常のいじめ相談(生徒及び保護者)・・・・・・全教職員が対応
    ○スクールカウンセラーの活用・・・・・・・・・主幹教諭、生徒指導主事
    ○地域からのいじめ相談窓口・・・・・・・・・・副校長
    ○インターネットを通じて行われるいじめ相談・・学校または紫波警察署
    ※24時間いじめ相談電話(県教委)・・・・・・・019-623-7830(24時間対応)


    ここに記されている理念理想は、正しいのだろう。では何故、いじめに起因する少年の死が起こってしまったのか?
    これを機能させるだけの人間が、教育現場にいなかったということだ。これが事実だろう。
    理念理想の制度はきちんとまとめられてはいるが、それが人の手によってないがしろにされている現実が、現在の日本が抱える問題の根源なのだはないだろうか?

    永田町には、最高法規「憲法」を、閣議決定という姑息な手段で、ないがしろにしようと企む人間たちもいる。司法、立法、行政の3権分立の精神が、今は何故か行政権力優位の独裁が図られている。さすがに世論の動向はその修正に向かおうとしているが、昨年の総選挙の選択が誤りであったかも知れないとの自己批判が取り敢えず必要だから、すでに道は険しくもなっている。ほぼ御用ジャーナリズムの中での情報が、物事の本質を隠そうとする方向に働いているから、一部の気概を持ったジャーナリズムを除いた記事などは、新聞というより政権宣伝パンフレットになってしまってもいる。

    かつての日本には、小作人制度という農奴制が存在したが、今は中間搾取され身分保障もない派遣社員制の普及によって労奴制社会が現実化している。憲法が保障する自由平等の精神は、不自由不平等の固定化に変わった。でも大新聞やTVなどのマスコミの場所からは、明日は我が身なのに声も上がらない。いじめを訴えた少年に接した教育現場の図式と同じなのだ。

    そしていつの間にか、機能不全に落ちて、矢巾町の少年M君の様な哀しい死を迎えてしまう結末にもなってしまうことになる。
    あるいは、少年の死をもって行った抗議は、今の日本の、日本精神の死をも象徴しているのかも知れない・・・。

    リべラルな精神風土を墓場に葬ってはならない。それは、絶えずゾンビのように復活させ、甦らせ続けなければいけないのである。







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