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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    9月6日 大内延介九段を偲ぶ会~竹橋:如水会館 

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    竹橋:如水会館に着いたのは会が始まる20分ほど前だった。
    そのまま受付に向かうと、すでに一部開場されている部屋の中から、手を上げて合図を送ってくれる人物がいた。
    エッ?誰だろう?と、目を凝らしてみると、何と駒師出石だった。ここしばらく連絡もしていなかったので、久し振りの再会だったが、時間の空白など少しも感じることはなく、この時代にそこにタバコ仲間がいてくれた心強さに安心感を覚えただけだった。

    で、そのまま連れ立って3Fの喫煙デッキに向かい、一息ついて会場に戻ると、パテーションが開けられ献花の祭壇が飾られたその隣では、バイオリンとピアノの生演奏が始まっていた。

    午後5時。「大内延介九段を偲ぶ会」が始まった。会場には、故人を偲ぶ150人ほどの人たちが集まっていた。

    棋士で言えば、佐藤康光会長、西村九段、郷田九段らがいたし、勿論孫弟子の藤森五段、梶浦四段をも含めて大内一門は勢揃いしていた。

    会が進めば進むほど、故大内九段の人となり、交友の広さが浮かび上がってくるように感じてならなかった。改めて価値ある人を失った無念が会場を包んだ。

    5月5日のこどもの日、私は大内九段とお会いしたが、そのときの病にやつれた姿に、実は大きなショックを覚えていたのである。その半年前に会って、冗談を言い合った時とはまるで別人の姿だった。いつもの大内九段特有の精気が失われていた。だからこうなることは予感していたが、それでもまだ何度かは会えるはずだと信じようとしていたのだ。

    しかし前立腺癌は、おそらく腰骨にまで骨転移し、その転移は肝臓に達してしまったのではないだろうか?同じ流れで身内を失ったことがあるので、医者ではない私でも想像はつく。

    そう言えば、あのとき愛知・豊川の駒師清征が持参した2組の「怒涛流大内書」の彫り駒は、大内九段の遺品となってしまったが、それは鈴木大介九段が受け継いでくれたという。

    その鈴木九段と、私と出石は会場で話をした。
    「あの怒涛流大内書は、私がお願いして、一昼夜をかけて大内九段が書を仕上げ、この駒師出石が駒書体として完成させた言わば大内一門の宝物です。ぜひ鈴木九段にきちんと受け継いでいただきたいんです」
    「そうですか。あの彫り駒もいい駒ですよね。先生の書体ですから大事にしなければいけませんね」
    「出石は大内九段から依頼を受けて、すでに10数組の怒涛流盛上げ駒を作っています。これからのことはこの駒師出石と連絡を取り合って下さい」
    「そうしましょう」

    会が終わっての帰り道、私は出石と大内九段のことを改めて想い出していた。まるで子供のように楽しそうに詩吟を朗詠してくれたその姿。落語好きな出石の兄の小噺を一緒に聞いたあの日のこと。出石を翻弄した自宅での記念対局。神楽坂:龍公亭での美味しい中華食事会。盛り蕎麦をお代りした日暮里:若松での蕎麦会・・・・。そこにはいつも、その程度のものでは満足も納得もしない大内九段の心意気ある姿があった・・・。それが粋だった・・・。

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    故大内九段が、この日の偲ぶ会の参加者に最後に手渡したのは、「木鏡」と記された扇子である。
    浅学ながらその意を解釈すれば、「飾らぬありのままを映す」というようなメッセージに受け取れる。
    木には、素朴で飾らないありのままという意味が古来より込められている。水は、飾ったお化粧姿も包み込んでしまうが、木にはそれがない。敢えて「水鏡」とは記さず「木鏡」と記したことが、おそらく大内九段の遺言なのだろう。
    重く深い言葉である。









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    category: 日々流動

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    8月26日 落語協会特選「桂文生独演会」~池袋演芸場 

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    8月26日 午後6時から「桂文生独演会」が始まった。満席で通路にまで折りたたみ椅子が並び尽くした。

    開口1番は、前座・一猿の「寿限無」。

    次に、2番弟子(いや文生一門には、もう一人同じころに弟子になった文ぶんがいるから、正確には3番弟子か)文雀の「尼寺の怪」。
    暑気払いにみんなが集まって怖い話をし合って、ゾクゾクとしないような話だったら、みんなにたらふくの酒をおごらなければならないことになった若い魚屋が、和尚さんからその昔の怖かった尼寺での話のネタを聞きつけて、これならいけるとみんなの前で披露して、結局はこけてしまう噺だ。

    そして中入り前の文生最初の登場となる。
    待ってましたとばかりに、客席の拍手の音が増し、「転宅」が、酒の噺やあまり飲めない小三治の話題を枕にして始まる。
    以前に太夫だった妾宅に忍び込んだ間抜けな泥棒が、逆に妾となった太夫に財布の中身をからにされてしまうという噺。
    下げに向かう頃には、文生の明るいフラのある顔が、間抜けな泥棒の顔と一緒になってしまう感覚になってくるのが不思議だ。

    そして15分ほどの仲入り休憩。

    1番弟子扇生の「千両みかん」。
    真夏に、艶々しくしかもみずみずしく薫り高いみかんに恋して、ひどい恋煩いに堕ちた若旦那を助けようと、一肌脱いで真夏にみかんを探して奮闘する番頭の悪戦苦闘の噺だ。

    ここまで噺を聞き終えて、ふと私は思った。文生は、自然と顔全体の筋肉を使いこなして、あの飄々とした特有のフラのある表情を作っているのだと。
    そう思うと、前座・一猿は、まだまだ少しも眼元の楽し気な表情を浮かべる余裕のないのが判るし、すでに相当の実力を備える文雀や扇生にしても、もしそのことに気づいて実行してみたなら、さらに色気や艶が漲ってくるのになと感じた。

    文雀は眼尻の表情は使えているが、眼元の筋肉の表情をまだ使い切ってはいない。眼尻ではなく眼元の表情がまだもうひとつかたくなな印象で、そこに文雀自身の自負や自我が意志が漂っている。ここを自然体で崩してしまったら、さらに数段化ける可能性を感じた。ついでに言うなら手先の説明がうるさい部分もある。力のある芸人だけに、ぜひともドーンと構えて欲しいものだ。

    扇生は、江戸の端正な職人の風情を自然と持ち備えている。これは武器だ。この武器を生かす形で、時にメリハリのある大きな目の表情を効果的に作って巧みに間合い(客との駆け引き)を図ったなら、観客はその端正な扇生自身とのギャップにより引き込まれて、古き良き江戸の噺家の味わいをもっと堪能していくだろう。

    おそらく仲入りの間に、文生はなみなみと注がれたコップ酒を1・2杯豪快にあおったのではないか?
    そう思えてならないほど、文生の「一人酒盛」は名人芸に満ち溢れていた。

    とっておきの良い酒は、良い酒だからこそ舌で舐めるのではなく、ゴクゴクと飲み干して喉で味わうのが酒飲みの嗜みと思い知らされた観客は多かったろう。

    自分自身の酒の強さを、ある意味処世の術としてまで活かしきって、先人の名人芸の噺家たちから可愛がられもしてきた文生の、凄味ある噺を聴いた感がある。

    この夜の文生は、かつての名作漫画「寄席芸人伝」の主役キャラを演じられるほどの世界を披露した。

    「(酒の飲めない)留の奴は、酒癖が悪い」と下げを決めたとき、文生に対して、観客席の後方からワーッと歓声が上がった。

    78歳の文生を、池袋に集った観客たちが、まるでアイドルのように迎え入れた瞬間だった。
    芸の力が場内を圧倒したと言えるのかも知れない・・・。






    category: 異化する風景

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    金魚を飼おう⑭~ランチュウの成長・1年を超えた‼ 

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    丸々太ったランチュウを飼い始めて、2回目の夏。
    毎週の水替えと、ただエアを送るだけの簡易なフィルターのマット替えに追われた1年だった。

    最初は外で飼い始めたが、朝昼の山の気温変化が大きく体調を狂わせもしたし、深夜にはタヌキやハクビシンらが闇に紛れていたずらをしにもきた。早朝にはカラスも不穏な動きで様子をうかがってもいた。いちど水槽にしていた大きめの盥桶が荒らされ、オランダ獅子頭の稚魚が何匹かは何故かどこかに失踪し、何匹かは死んでいたことがあって、その後は住処を室内に移したのである。

    その後はほぼ順調に育ってくれた。そう、丸々と太って。

    今月の初め、一匹に危機が訪れた。私自身が、ちょっと水替えをさぼって3,4日遅れたときに、頬に傷でもあってそこから黴菌が入ったのか、頬の肉が腐るように崩れ始めたのだ。

    幸い、すぐに気づいて、即水替えをして、普段食用にしている塩(NaClの精製された食塩ではありません)を適量溶かし込んでやると、数日で治療完了して、ひと安心。
    写真の頬の白い部分が、その傷跡である。   DSCN2606.jpg(左隣は、ランチュウではなくお気に入りのオランダ獅子頭だ)

    危機を脱して、残った3匹のランチュウが、このままさらに大きく、さらに丸々と育つことを願いながら、今日も盥桶に餌をやっている。

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    category: 金魚を飼おう

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    2つの案内状(桂文生独演会と故大内九段を偲ぶ会) 

    もうずっと太陽の姿を見ていないような気がする。

    照りつける陽光、透き通るような青い空にムクムクと聳え立つような白い入道雲。8月の夏の記憶は、私にはそれが全てであるのに、止まぬ雨故に湿気混じりの日々が続いている。

    湿気は私の体調維持には大敵なのだが、どうしようもない。自然の力には為す術などないのだと、諦めの日々で、ただただじっと時の過ぎるのを待っておとなしくしている。「ひよっこ」と「やすらぎの里」と、「竜星戦」「銀河戦」に週末のGCの「競馬中継」をひたすら友にするような生活態度は、世間様からから見れば、実に非生産的な愚かしい姿に見えるのだろうが、身体がだるく、それでなくても冴えない頭も働かないような現状では、気だけ焦っても如何ともしがたいのだ。

    そんな折、2つの案内状が届いた。

    DSCN2601.jpg ひとつは、第1回桂文生独演会。8月26日午後6時開演の池袋演芸場。

    78歳の文生が「一人酒盛り」と「転宅」のふたつの噺を演じ、助演は、弟子の桂扇生が「千両みかん」、桂文雀が「尼寺の怪」
    をかける。
    これはもはや、桂文生の遺言の様な高座になると思い、行くことに決めた。(いえ、勿論半分本気で半分はジョークですから)

    興味のある方がいらっしゃれば、ぜひ池袋演芸場でお会いしたいものである。(ちなみに当日券は2500円です)

    そう言えば、今は亡き大内九段が、桂文生の噺を国立演芸場で楽しんで、
    「いやぁ、さすがでしたよ。文生師匠の噺は本物です」と、嬉しそうに眼を細めて言っていたのを想い出した。


    もうひとつの案内状は、
    DSCN2600.jpg その「大内九段を偲ぶ会」の案内だった。

    9月6日一ツ橋「如水会館」。
    優しく、厳しく、人情には厚くも一言居士だった故大内九段の人となりに、ここ6年以上もの間身近に触れることになった私には、駆けつけても行かねばならぬ会だろう。明日にでも、出席のハガキを投函しようと思っている。

    4五歩と指せば名人となっていた。1975年第34期名人戦第7局。しかし大内9段は読み切っていたのに、魔性の何かに取りつかれるように5手先に指すべき7一角と指してしまっていたのだ。名人位に限りなく近づき、ほぼ手中に収めた瞬間に、全てを失った大内九段。そのときの話を、大内九段自身の口から聞くことができたのも、今となっては私自身の大きな財産である・・・。


    私自身が今こうしている間にも、世の中は少しずつでも動き続けている。多くの人々を乗せて走る列車のようだ。病ある身故に、ある時から私はそんな列車に乗り遅れてしまった。しかしそれでも、ハァハァと喘ぐ吐息で、何とか追いつくようにと最後方で踏ん張ってはいる。だから、この夏の終わりのふたつの会には、ぜがひでも出席したいのだ。





    category: 日々流動

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