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    Tsuruki Jun<鶴木遵>の原風景 《絶対零度》

    鶴木遵の本、新しい挑戦、趣味である競馬、将棋の駒、男の手料理、めだかやミジンコ飼育、犬猫のよもやま話、など四季折々に感じたことを発信していきます。

    2つの案内状(桂文生独演会と故大内九段を偲ぶ会) 

    もうずっと太陽の姿を見ていないような気がする。

    照りつける陽光、透き通るような青い空にムクムクと聳え立つような白い入道雲。8月の夏の記憶は、私にはそれが全てであるのに、止まぬ雨故に湿気混じりの日々が続いている。

    湿気は私の体調維持には大敵なのだが、どうしようもない。自然の力には為す術などないのだと、諦めの日々で、ただただじっと時の過ぎるのを待っておとなしくしている。「ひよっこ」と「やすらぎの里」と、「竜星戦」「銀河戦」に週末のGCの「競馬中継」をひたすら友にするような生活態度は、世間様からから見れば、実に非生産的な愚かしい姿に見えるのだろうが、身体がだるく、それでなくても冴えない頭も働かないような現状では、気だけ焦っても如何ともしがたいのだ。

    そんな折、2つの案内状が届いた。

    DSCN2601.jpg ひとつは、第1回桂文生独演会。8月26日午後6時開演の池袋演芸場。

    78歳の文生が「一人酒盛り」と「転宅」のふたつの噺を演じ、助演は、弟子の桂扇生が「千両みかん」、桂文雀が「尼寺の怪」
    をかける。
    これはもはや、桂文生の遺言の様な高座になると思い、行くことに決めた。(いえ、勿論半分本気で半分はジョークですから)

    興味のある方がいらっしゃれば、ぜひ池袋演芸場でお会いしたいものである。(ちなみに当日券は2500円です)

    そう言えば、今は亡き大内九段が、桂文生の噺を国立演芸場で楽しんで、
    「いやぁ、さすがでしたよ。文生師匠の噺は本物です」と、嬉しそうに眼を細めて言っていたのを想い出した。


    もうひとつの案内状は、
    DSCN2600.jpg その「大内九段を偲ぶ会」の案内だった。

    9月6日一ツ橋「如水会館」。
    優しく、厳しく、人情には厚くも一言居士だった故大内九段の人となりに、ここ6年以上もの間身近に触れることになった私には、駆けつけても行かねばならぬ会だろう。明日にでも、出席のハガキを投函しようと思っている。

    4五歩と指せば名人となっていた。1975年第34期名人戦第7局。しかし大内9段は読み切っていたのに、魔性の何かに取りつかれるように5手先に差すべき7一角と指してしまっていたのだ。名人位に限りなく近づき、ほぼ手中に収めた瞬間に、全てを失った大内九段。そのときの話を、大内九段自身の口から聞くことができたのも、今となっては私自身の大きな財産である・・・。


    私自身が今こうしている間にも、世の中は少しずつでも動き続けている。多くの人々を乗せて走る列車のようだ。病ある身故に、ある時から私はそんな列車に乗り遅れてしまった。しかしそれでも、ハァハァと喘ぐ吐息で、何とか追いつくようにと最後方で踏ん張ってはいる。だから、この夏の終わりのふたつの会には、ぜがひでも出席したいのだ。





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    category: 日々流動

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    荒川水系の鮎 

                             DSCN2570.jpg

    最近(と言っても、21世紀になってからずっとなのだが)、過度な自己顕示欲、売らんが為なら奇妙奇天烈の受け狙い、周りの雰囲気をまるで感知できない鈍感さ、そして究極のミーファーストの輩があまりにもでかい態度で跋扈していて、文章を書く気があまり起きない。
    で、じっとおとなしくしているのだが、湿度も温度も身体に粘りつくように高く、イライラ感が募るばかりで、何となく落ち着きが悪く、それならばと、塩分補給を兼ねて、あっさりとしたラーメンを近場の店に食べに行くようになった。

    勿論、とんこつ醤油系ラーメンが昔から好みなのだが、イライラ感が増すほどに、あっさりとした所謂「シナソバ」系の鶏ガラ煮干し出汁のラーメンに何となくほのぼのとした心の温かみを覚えて、この味もなかなかだと思えるようになっている。

    以前から通っているのは、「悦楽苑」。外見は普通の中華料理店だが、この店は、知る人が知る噂の店で、ライダーや釣り人らが中心となってブログやツイッターなどで噂は広まり、今やTV取材のクルーも訪ねてくるようになった。

    店主の趣味も、バイクと釣りに時代劇で、その腕前は本物である。鮎釣りに向かうときは朝3時起きらしい。

    まあ、この写真を見れば、噂が立つのも無理はないと知れるだろう。   eturakuen 味噌ラーメン
    圧倒的な量の味噌ラーメンだ。通りすがりに寄った腹を空かせたライダーたちが、余りの量に感激して、噂に火を着けたのである。

    最初は何も知らずに入っていつものつもりで味噌ラーメンをオーダーしたのだが、この野菜の量にただただ苦笑いをするばかりで、汗を流して挑戦したが半分ほどしか食べられなかった。で、その後店に行ったときには、「ごく普通盛でお願いします」と、店主に頼み込んで今に至っている。何も知らずに味噌ラーメンを注文するお客がいると、さてどうなることやらと、ニヤニヤしながらお客の表情を見守ってしまうのは、私の人の悪さなのかも知れない。

    私自身は、ここしばらくは好みになった普通の鶏ガラ煮干し出汁ラーメンを注文するので、今は、量の多さに冷や汗をかくことはない。

    3日前の早朝6時過ぎのTVのニュースショーで、たまたまこの味噌ラーメンを見た。あれ、どこかで見た味噌ラーメンだと思ったら、やはり「悦楽苑」の味噌ラーメンだった。この山盛りラーメンを、確か三峰神社近くのロードレースに出場したマラソンランナーの川内優輝が完食する姿を、この日はTBSとNHKが店内で取材したのだという。
    「川内、完食やったか」と、感心した。

    次の日の夜、たまたまラーメンを食べに行き、店主にTVで見た話をしたのだ。店主は放送日を知っていなかったらしい。ラーメンを食べ終えた後、少し話が盛り上がったとき、店主は言った。「鮎は好きか?」と。勿論私の答えはイエスだ。

    すると店主は、最近釣ってきた鮎を持っていくかという。ありがたいことに、去年も私は鮎を頂いていた。
    20cmを超える鮎が8匹。釣ってきて、すぐにビニール袋に水と鮎を入れて、そのまま瞬間冷凍したもので、鮮度は保たれたままである。荒川水系の上流は、今年は雨が少なく、そうなると水量の減った川には、鮎が食べる新鮮な苔も減り、苔自体の質も下がって、鮎には良くないのだという。雨雨ふれふれ母さんが・・・である。

    ありがたく頂戴して、今朝、塩焼きにしてみた。うーん、真夏の清涼感。さわやかな味わい。
    グリルで焼くのではなくオーブンならば、もっとおいしく焼けるのだろうが、まあしょうがないか・・。今度は七輪に炭を起こして網焼きしてみようか?・・・。

    それにしても「悦楽苑」の店主に感謝である。またラーメンを食べに行かなくちゃいけないな、こりゃぁ・・・。
                            
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    category: 男の手料理

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    世相を妄想してみた 

    JT

    世の中、いろいろと騒がしく、アンフェアなことに憤ってみたり、暑さ故のまとわりつく汗のべたつきにイラついたり、厚化粧且つだて眼鏡の58歳のカン違いオバサンに呆れてみたりして、なかなか平穏な心で毎日を過ごすのは難しい。

    で、ついでだからいろんな事を妄想してみた。

    K学園問題。核心を守るための様々な都合の良い嘘が積み重なっているだけに、嘘をついた側の論理破綻は、今でももはやおかしさが露呈しているが、やがて決定的に明らかになるだろう。世の中には、それなりの良心や義侠心は存在しているものだし、それがすでに大きな固まりとなって不信の世論ともなっているのだから、もう誤魔化しや言い逃れはきかない。

    この際だからK学園グループの系列大学を調べてみた。岡山理科大、倉敷芸術科学大、千葉科学大。らしい名前が付いているが、いずれも偏差値45ほどで合格できる大学らしい。偏差値45で千葉科学大は薬学部に入学できるが、国家試験に合格して薬剤師となれる人数は本当に少数で、2015年2月19日、文科省が発表した大学の新設学部、学科を対象に行った「設置計画履行状況等調査」では、「大学教育水準とは見受けられない」「学士課程に相応しい授業内容となるよう見直す」と、報告されている。
    英語は、be動詞の活用や過去形あたりから、数学は百分率や分数の計算から教えてくれるそうだから、凄まじく丁寧なカリキュラムというか、あるいは大学の名に値しないカリキュラムというべきか、入学したこともないので、ちょっと判らない。
    同じ系列となれば、岡山理科大にしても似たりよったりということだろう。(敢えて触れておくが、すでに通ってそれなりに頑張っている学生たちには、自身の夢の実現に向かって一層精進して欲しいと願うばかりだ。自分を磨くのは、誰でもない自分自身なのだから)

    そのグループが、国家戦略特区という大義のもとに今治に獣医学部を創設するという。所謂石破4条件を満たして、世界に通用する獣医学部が誕生するのだという。グループ系列大学がbe動詞の活用や分数の計算から大学で教える現状であるのに、岡山理科大獣医学部だけは、並み居る日本の獣医大学を凌いで世界最先端レベルの獣医学部を目指し、その水準にある獣医師を養成するのだという。ヘェーッと感心するしかないが、「駄馬は調教しても駄馬」と最後に書き遺した亡き父のメモを思わず想い起してしまった。こういうのを、世の中では「捕らぬ狸の皮算用」とか「鬼も笑い転げる勝手読み」とかいうのだ。


    さて話は飛んで、すでに超特急のスピード進行で「共謀罪」の法が施行された。確か277の犯罪に適用されるのだという。
    法律の専門家ではないから、ここから先は個人的な妄想が始まる。

    もし仮に、国家や地方自治体から、資産や予算を奪おうという資金略奪テロを、権力を有するとあるグループが計画して、謀議を積み重ね、それを実行したとしたら「共謀罪」は適用されるのだろうか?いやいや、共謀罪適用は、共謀時点での事前捜査を可能にする法律なのだから、実行された時点で別の刑法によって裁かれるのだろうか?

    いやまあ所詮妄想だから、法の専門的知識は敢えてふっ飛ばして、妄想を続けよう。

    とある極東某国の出来事である。かつて中南米にはゲバラという革命戦士がいたが、極東某国の首相は、ゲリバラ首相と密やかに囁かれていた。(本当のことを言うと、この私自身も脊髄を病んでからは、その影響で深夜早朝のゲリバラ過敏症候があるので、その辛さは理解しているから触れたくはないのだが、心を鬼にする。多くの場合ストレスが関係していると実感している)
    そのゲリバラ首相は、ある日、数十年来の友のために、国家資産や自治体予算の収奪を計画して、実行に移し始めた。首相になりたての頃はこうるさい大臣もいたので、それでもまだ遠慮がちだったが、何回か選挙を重ねるたびにオレ様だから勝ったのだと増長して、周囲にお世辞を言うお仲間だけを寄せ付けるようになり、瞬く間にそれまで隠していた人格を顕わにするようにもなって独善化した。そうなると手がつけられない。誰も押さえつけることはできない。諫言すれば、人事権を忍術のように使って報復されるからだ。でも黙って従ってお愛想笑いをしていれば、それなりの待遇も時には付届けの贈り物さえ届きもした。この辺はぬかりなかったのである。

    手先となって家庭内別居しているゲリバラ夫人までもが、せっせせっせと「私人」の振りをして5人の公務員秘書を伴って、まるで極東のイメルダ夫人のごとく動き回り、官房長官を筆頭に、官房副長官から内閣府の役人から所轄官庁の大臣までが醜く蠢いた。曰く「最高権力者のご意向」と。勿論その周囲には、民間政商や民間の振りをした似非インテリ人たちも跋扈した。

    栄耀栄華は極まったかに見えたとき、そんな権力の砂上の楼閣は、これまで「こんな奴ら」と人格さえも与えていなかった多くの人々の反感・反発の前に、突如として崩れ落ちた。跡形もなくだ。失政というよりは(いや勿論極まった失政なのだが)、それ以上に人として信じられない!という憎悪のような感情の反発が、巷に溢れ返ったのである。

    そして「共謀罪」適用によって官邸の周りには、誰もいなくなった。多くの高官たちは罪を減じる司法取引制度を活用して、言い逃れを画策し、内部分裂も甚だしかったのである。
    後には、もはや廃墟となった官邸が古びたお化け屋敷のように残っただけだった。

    やがて顔を浮腫ませ、か弱き1個の動物になったゲリバラ元首相は、最先端治療を受けるため四国今治の国家戦略特区に向かい、他でもない生物として獣医学的な診療治療を受けたが、その後どうなったか消息は明らかにされなかった・・・。

    こんな茶番の、喜劇にもならない笑劇を妄想するほど、本当は暇ではない(そう言っておくことにする)のだが、思わずそうしてみたくなるような憂鬱な湿気混じりの暑い夏と、極東某国のあるがままの姿が曝け出されている。
    嘆かわしいにもほどがある・・・。






    category: 世相を読む~極私的注目のままに

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    卒業アルバム 

    2年前に関東でも起こった線状降水帯発生による洪水被害はまだ記憶に新しいが、それが今年、北九州や岐阜県辺りでも起こった。

    温暖化の影響なのか、地球規模での気象現象は、今大きく様相を変えているのだろう。治山治水のインフラ整備は、想像以上の変貌を遂げている状況に、過去の統計数値も役に立たず対処もできずにいるようだ。もはや頭を切り替えて発想しなければ、命も保証されない時代が到来しているのかも知れない・・・。

    カラッとした暑さならまだ我慢も効くが、ムッとするような湿気混じりの暑さは、ただただ肉体から元気を奪っていくようだ。

    何も手付かず状態で、それならばと断捨離の心で書棚の整理をしていて、一冊の卒業アルバムを見つけた。
    高校の卒業アルバムだった。


    ページを開けると最初に「江原記念講堂」の正面写真。続くページには、あのときの歴史的事件が写真の証言によって再現され、その後におよそ300名の同級生たちの顔写真が並んでいる。

    改めて今、見直すと、このアルバムを作った製作委員会有志の気高い情熱や、このアルバムの存在自体を許容した学園側の度量の大きさや、流れる自由の精神を十分に感じ取れるというものだ。

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    1970年3月から始まった全学集会を経て、4月、突如として現れたY理事長代行(確か旅館業経営者で教育者の資格はなかったと記憶している)による、それまでの自由な精神風土を無視した暴政を(学園資産の独断的売却なども噂されてもいた)、全学集会などの学園正常化を訴える抗議活動を通しながら、翌71年11月に学園生によって遂に打倒したリベラルな抵抗運動の記録でもある。
    71年10月から11月まで、理事長代行は学園をロックアウトして対抗した。学園に生徒を寄せつけない姿勢には、やはり教育者の姿勢はなかった。

    11月15日夕刻、校庭で行われた全学集会はエスカレートし、集う生徒たちに追い詰められたY代行は逃げるように退陣を確約し、翌16日、生物の吉川涼新校長がY代行の退陣発表をして、ようやく事態は収束に向かったのである。

    1年半以上も続いたY代行による力づくの強権的手法は、自由自主の(しかし選択した結果責任は自分自身が負うという厳粛な厳しさがあるのだが)精神風土にはいささかも根付かなかったのである。

    多感な10代のときに体験したこの光景は、実に印象的だった。代行側につく醜悪な教師も眼にしたし、生徒側と真剣に討論した良識ある教師の存在に安心もしたし、ロックアウトの強制的な休日を心の何処かで喜んでしまっている自分自身の愚かさをも知り得たものだった。

    自由な精神風土とは、何物にも拘束されない自分自身だけではなく、もっと大事なことは、相手が邪ではない限り他者の自由を保障・許容することでもある。

    私自身は未熟者だったから、そのことの本当の価値を体得するまでには、まだまだ時間が必要で、見せかけの自由を謳歌して人生を狂わせてしまったが(苦笑しかありません、ハイ)、おそらく10代の多感な時期にその本質を理解し得た優秀な男たちもいるだろう。

    そう言えば、今時の人になっている前川喜平は、高1から高2の時期にあの光景を体感した。少し前の時の人古賀茂明は中3から高1のときに体感している。

    おそらく彼らに共通する力に押さえつけられないある種意地っ張りな感性は、おそらく初々しい10代に体験した本物の自由な精神風土が大きく影響しているのだろう。
    そう思えてならない・・・。










    category: 異化する風景

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